【乱読NO.3511】「高校生のための精神分析入門」清田友則(著)(ちくま新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
思春期には、自分の「生きづらさ」を、とかく自身の内面に追求してしまう傾向がある。
それゆえ精神分析は、いつの時代にも、悩める若者たちに必要なツールとして迎えられてきた。
フロイトや精神分析については、多くの論者がさまざまに論じてきたが、精神分析的なものの見方への興味関心は尽きることはない。
臨床心理士をめざす人にも必須の一冊。

[ 目次 ]
第1章 ほんとうに精神分析を勉強するつもりなんですか!?
第2章 セックスと精神分析ってそもそも両立するものなんですか?
第3章 ママとセックスしたい!?-エディプス・コンプレックス(1)
第4章 男根とは「鉄人28号」のリモコンである-エディプス・コンプレックス(2)
第5章 去勢不安の正体-エディプス・コンプレックス(3)
第6章 ナルシストは男根をもたない
第7章 パパは何でも知っている(もちろん女性の性愛についても)!
第8章 ぼくがお父さんでお父さんがぼくだったら…

[ 問題提起 ]
フロイトの精神分析に関する本は、遥か昔の大学生の頃に知りました。

無意識や夢判断など興味深く読んだものです。

その理論の詳しい部分はほとんど忘れてしまっていますが、フロイトに続く心理学者のユングとともに私のモノを見る目の一つの引き出しになったことは間違いありません。

たとえば“象徴”という言葉をとってみても、その漢字からだけだとよく意味を理解していなかったのですが、フロイトの「夢判断」などを読むとその一言の意味が深く理解できたような気がしましたし、ユングとなると同じものを見ても集合的無意識の考え方がそこに出てくるのど捉え方が違うということもわかってきました。

それは心理学的にという次元とは別に、言葉を理解するということで、とっても大きな読書体験であったと思います。

[ 結論 ]
ところで今回ピックアップした本のタイトルは、「高校生のための…」とありますが、読んでみるととてもとても、高校生のためと言っていいのだろうかと思えるほどの、レベルは高くむつかしかったというのが実感です。

書店で本を手にしてパラパラとめくっていると、無意識は淫らなもの=性によってつくられているとアダルトビデオを観る男の例を度々登場させながら解説をしていたので、タイトルにもあるように身近に書いてあるのかなと購入したのでありました。

ところが、実際は平易な文章で書いてあるのですが、理解できたのかできないような展開がむずかしかったです。

実は・・・。

こまかい内容について触れていくと当方の頭が混乱してくるので、そこは避けて通るとして無意識の世界は目に見えるこの世界の常識とは相当かけ離れているということ。

フロイトはそこは“性”の原理によって支配されているとして、非常にオドロオドロしいものになっていると主張したわけです。

無意識を発見したフロイトから以後は、様々な論が展開されて、門外漢で素人の私はどれが有効ななのかはさっぱりわかりません。

ただなんとく思うのは、それも一理あるかなとどれも感じることです。

この本を読んでもフロイト的な無意識で行われている母と子、あるいは父と子のドラマは、どうなんだろうか?と思う部分もあるが、わかりやすい言葉で提示されればなるほどと頷けるところもあるからです。

そもそも心理学という形のないジャンルなのでそれがシックリくるか、否か?という感性に響いた論こそが納得いくとなるのではないだろうか…と。

ちなみに、フロイトは“性”という視点から切り込んでいるからとても興味はあり、私にとっては重要なテーマであるものの、シックリという点ではユングの方が共鳴してしまいます。

[ コメント ]
ところで著者はこの本で、“一方で生物学的本能と愛を調和させるアダムとイブ的セックスがあり、他方で、こうした調和をかき乱す人間的セックスがあるという、どうにも折り合いのつかない二律背反・・・・・・これらはラブロマンスと卑猥なアダルトビデオの両立不可能性としても言い換えることができます。すなわち、二人の関係が崇高であればあるほど、セックスは機械的、動物的(本能的)なものとなり、逆に二人の関係が退廃的、肉欲的であるほど、セックスは官能的、技巧的なものとして描かれることになります。”と書いているのですが、このテーマまさに深い部分で知りたいところなのですが、清田友則が説くフロイトの理論がむずかしく書きすぎなのか、どうにか本を読み終えたのですが、そこのところがわからずじまいでした。

残念。

[ 読了した日 ]
2010年2月19日