[ 内容 ]
貨幣を経済学の封じこめから解き放ち、人間の根源的なあり方の条件から光をあてて考察する貨幣の社会哲学。
世界の名作を“貨幣小説”として読むなど冒険的試みに満ちたスリリングな論考。
貨幣を人間関係の結晶化と見、自由と秩序をつくりだす媒介者としての重要性を説く。
貨幣なき空間は死とカオスと暴力の世界に変貌するからだ。
貨幣への新たな視線を獲得することを学ぶための必読の書。
人間の根源的なあり方の条件から光をあてて考察する貨幣の社会哲学。
世界の名作を「貨幣小説」と読むなど貨幣への新たな視線を獲得するための冒険的論考。
[ 目次 ]
第1章 貨幣と死の表象
第2章 関係の結晶化-ジンメルの『貨幣の哲学』
第3章 貨幣と犠牲-ゲーテの『親和力』
第4章 ほんものとにせもの-ジッドの『贋金つくり』
第5章 文字と貨幣
エピローグ-人間にとって貨幣とは何か
[ 問題提起 ]
“死の観念の具象化としての貨幣”と今村仁司は書いている。
そして続いて“貨幣は人間存在の根本条件である死の観念から発生する”という命題を論証ぬきで話を進めるとしている。
これはいささか乱暴ではないかなと読みながら正直思った。
それでも読み進めながら、その意味がわかってくるのかなと思い直すも、論旨はゲーテやジッドの小説の話やルソーの文字論の話へと展開していく。
[ 結論 ]
最初に宣言されたように、与えられた命題の論証がなされないままに、貨幣というものを哲学的に理解するための素材として小説の話を延々とされても、一体どこまで「貨幣とは何だろうか」という本のタイトルにもなっている大きな疑問符に対する解決となり得るのだろうか?との著者に対する疑問符が逆に湧き上がってくるのである。
今村は、過去の著作の「排除の構造」で集団が秩序を維持するために、サクリファイスとして第三項なるものを排除するのだといったようなことを主張していたはずだ。
もう20年近くも前に読んだ本であるから、不確かであるがそんなようなことであったと思う。
その排除された第三項が実は媒介形式としての機能を持っており、この今村版貨幣論の地平へと繋がってくるのだろうと考えられるが、この本には〈第三項〉の文字も出てこないため、そう決めこんでしまっていいものかと悩んだりもする。
つまり貨幣についての明解な説明がないのである。
それじゃあこの貨幣論は、片手落ちではないかと思うのである。
貨幣は死というものを我々が気が付かないレベルで表象している…媒介形式としての貨幣は人間社会に内在する暴力の制度的に回避する装置なのである…といった論旨は、スリリングなものと感じるのに、新書という形態の媒体で(それは専門的な内容でも比較的わかりやすく提供する役目を持っている本ではないかと考えるのだが)、小説という素材を持ってきて一見平易を装いながら、実際は“貨幣小説”という冠を付け、一般には難しい言葉でそれを抽象的に語るのは、あえて言うなら読者不在の本と言えないだろうか?そう思った。
[ コメント ]
本書の中で一番印象深く響いたのは、内容には全く関係ない引用されたギュゲス物語の一節「女というものは下着と共に恥じらいの心をも脱ぎすてる」という文章でありました。それは貨幣論が物足りないぶんナルホドと納得したのだが・・・。
[ 読了した日 ]
2010年2月19日