D.GRAY-MANの趣味ブログ

D.GRAY-MANの趣味ブログ

ココチよさって私らしく暮らすこと ~読書と音楽と映画と・・・Plain Living and High Thinking~

本日は、お越しくださり、ありがとうございます。

自分の得た知識・経験・体験・スキルなどを興味の趣くまま提供する趣味ブログです。

自分の好き嫌い・得手不得手・趣味に、少しでも共感頂けて、つながっていけることを楽しみに待っています、ね(^^)

【自己紹介】
https://profile.ameba.jp/me

【趣味ブログの標語】
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」by タモリ

【関連サイト】
<ノート>
固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。
https://note.com/bax36410

<インスタグラム>
「日日是好日-暮らしの歳時記フォトアルバム」
「写真と言葉はひとつ」と題して、お気に入りの写真に言葉を添えて、投稿しています(^^)
https://www.instagram.com/bax36410/

<ブクログ>
大人の本棚「こどもごころ」(只今、本&映画&音楽&ゲーム等セレクト中♪)
一冊の本からは、人生と同じように無数の道筋が次なる本に向かって伸びています。
その道のひとつ、または複数を選択して未知の本と巡り会える、そんな自分の好きな本(に音楽と映画をプラス)を、好きなだけ置いた、理想の本棚&“素の自分”に戻れる大人のための秘密基地♪
https://booklog.jp/users/trafalgar

事故や怪我、病気って、意外に自分でなりたくてなっているかも、と思ったことはないでしょうか。

たとえば、何かやりたくないと思っていると病気や怪我、事故にあったりします。

怪我や病気をしたら、やらなくてすみます。

会社に行きたくないと思っていると、夜眠れないから朝起きれず、結局会社にいけなくなったり・・・・・・

同じように、ときに周りの注意を引きたいときなどもそう。

病気や怪我や事故は、周りの人が気にかけてくれる絶好の理由になります。

そんなこんなで、ケガや病気、事故などを自分に都合よく引き寄せているときがあります。

多少格好が悪かろうが、怒られようがそれは一瞬のことですし、自分が健康でいられるほうがいいはず。

「健康はケチの基本じゃないですか。病気になれば金はかかるし、大切な時間が無駄になる。」鳥井道夫(サントリー副社長)

失ってから初めて健康の大切さに気づいても、その時点ではもう戻れないから、健康でいられることに感謝して、病気にならないように普段から気を付けてくださいね。

いま当たり前だということの大切さに気づけば、未来の損失は防げるはずだから、ね。

こうして、何かを避けたいとかやりたくないとか、一時の不安や恐怖を避けようとして、長い目で見た自分の身を脅かしてしまうのは、本当に危ないことです。

「健康の感じは病気によってのみ得られる。」リヒテンベルク(物理学者)

失ってから初めて気づき考えたのでは、失ったものは元には戻らないかもしれないので、いつまでも健康でいられるように、普段から健康を意識した生活を送るように注意して、未来に起きる困難を予防するためにも、いまできることを確実にしておきましょう。

そう、自分を守るためには、目先のことだけではなく、長い目で見るクセをつけたいものですね。

たとえば、イヤだと思っていることがあるなら上手に伝えるスキルを身につける。

もしかしたらそのおかげで一時的には拒否されたり、人間関係がぎくしゃくするかもしれませんが、長い目で見たら、自分の精神状態にも身体にもかえっていいことかも。

病気になったり倒れたりしたら、こちらがつらかったことも伝わるでしょうけれど、自分の健康という被害が大きすぎます。

ときにはNOということも大事になる、境界線をはって、周りがやっていいこと、よくないことをちゃんと普段から伝えておくことが大事なのは、このためです。

ケガや病気になる前に、事故などを引き寄せる前に。

自分でなんとかできる道を探しましょう。

「健康は労働から生まれ、満足は健康から生まれる。」ウィリアム・ぺティ(経済学者)

当たり前だと思っていることも、それを失ってはじめてそのありがたさに気がつくこともあるから、後悔しないためにも、普段から意識しておきましょう。

健康で働いていられることに感謝し、それを続けていくためにも、周りを巻き込むのもOKです。

人には言語というツールがあるのですし言葉によらないコミュニケーションと合わせて上手に使えばかなり効果的。

身を守る手段として、伝えるスキルをしっかり自分のものにして、プラスになるように使ってください。

意外な展開が待っているかもしれません。

「幸福になるには、理想と現実の関係を知らねばならない。」武者小路実篤(小説家)

理想と現実のギャップは確実に縮まってきていますか?

どうすれば早く確実に理想と現実のギャップを埋めることができるのかを考えて行動していくことで、理想と現実の両方を客観的に見ることができるようになれるはずです。

本当はこうなったらいい、とか、理想はこうなんだけど、今目の前にある現実があまりにもかけ離れていて、もしくは、いろいろと事情があって理想の状態にはできない、という状況は、日々ありますよね。

こんなとき、どうしましょう。

コーチングを受けた方は経験があるかもしれませんが「本当はどうなったらいい?」なんて聞かれたりします。

「知ってたら今この場にいません」とか「わかっていても、今すぐ言えないことやできないこともあるんです」「だから本当はどうなったらいいって聞かれても、困る!」と言いたくなります。

まったくその通りです。

ただ、そう言ってしまっては、ここで話が終わっちゃうので、どこから手を付けるか。

どこから1歩を踏み出すか。

かけ離れてることを認めないわけじゃないし、問題や課題があることも否定しないけど、それをひっくるめた上で、じゃあ私これからどうしよう、という選択はまだできるよね、という話から始めたいかな、と私は思います。

「現実は常に公式からはみ出す。」ファーブル(昆虫学者)

自分の経験から学んでいかなくては、本やマニュアルには、どうしても限界があります。

理想と現実のギャップを埋めていくには、自分で経験するしかない事も多いから、理論やマニュアル通りだけではなく、応用が効くように経験値のバリエーションを広げていければ良いと考えます。

そう、私が一番欲しいものは、この「経験値のバリエーションを、如何に増やすか!」であり、そのために、意識していることは、ざっくり纏めると以下の通りです。

「失敗をダメージと考えない。」

「トライ&エラーを苦にしない。」

「失敗を怖がらないで幾らでも経験を積む。」

「興味を受け入れる、共有する。」

「興味を広げる、方向づける。」

「興味をつなげる。」

ニーズも環境も、日進月歩で変化する世の中だからこそ、興味を持つ⇒試行⇒学習⇒早い適応力⇒経験値アップこそが、究極の競争力となり得るし、金沢工業大学教授の三谷宏治氏は、著書「経営戦略全史」の中で、やってみなくちゃわからない試行錯誤型経営が最後の答えとしていましたね。

今の時代、試すを習慣化(「試してみた」「やってみた」系)するだけで、巨大なアドバンテージが得られる仕組みになってしまっていて、ボストン・コンサルティング・グループによれば、アダプティブ(適応)型戦略を実行のために必要な能力の1つは、実験する能力と述べています。

つまり、この実験する能力を向上するために「準備する」「実験する」「評価する」の3ステップすべてが必要不可欠であり、例えば、三犬塚壮志氏は、著書「理系読書 読書効率を最大化する超合理化サイクル」の中で、これらのステップをベースにした以下のフレームワークを読書にも応用可能だと述べていました。

<参考図書>
「理系読書 読書効率を最大化する超合理化サイクル」犬塚壮志(著)

1.準備する(=読む):

本の中から自分の問題解決に必要な素材(情報)を集めて、どんな実験を行うか計画を立てる。

2.実験する(=やってみる)
1.項で集めた素材を使い、立てた計画に基づいて、現実世界で問題解決を試みる。

3.評価する(=確かめる):

試してみたことがうまくいったのか、いかなかったのか、検証する。

人間相手の場合などは想定通りにいかないことも多々ある。

うまくいかなかったとしたら、その結果を検証し、改善策を立てる。

読書は、それ自体が楽しい行為だけど、読書で得た知識やスキルで自分が変わるほうが愉しくて、読んだ内容を実践に移し、自分の成長を実感できれば、もっと充実した瞬間を味わえるはず。

そう考えると、なんだかワクワクしてきませんか?

読書でさえ、試し方が色々あって、新しいものをすぐ試してみる人のことを人柱なんていうスラングもあるくらいだから、チャレンジ精神旺盛なその人達がいなければ、世の中はつまらないものになってしまうんだろうね。

いつの時代も、フロンティアは、そうした人柱になってくれる方々が開拓してきたし、こうした試してみたを、やってのけてしまう能力って、テスト力のある人達でもあって、仕事でもプライベートでも、フットワークよく、新しいことを次々と生み出し、学習能力が高いスキルの向上は必要不可欠だと考えています。

やっぱり、「試してみた」「やってみた」系を心がけて経験値のバリエーションを増やしていくことが、人生のご褒美であり、オンとオフのメリハリが生まれ、日常に満足感とささやかな幸せをもたらし、暮らしが潤うと思っています。

そうそう、ホンダの「試す人になろう」というCMは、そんなことを主張していました、ね!

いいなCM HONDA 企業CM 「試す人になろう(研究所)」篇
https://www.youtube.com/watch?v=hTubPGBSRgo

「何度もやり直して」

「ずっと気になって」

「たまにボーッとして」

「しつこく相談して」

「とことん心配して」

「自然と集まって」

「いつも体で考えて」

「ちょっと困って」

「つい盛り上がって」

「すぐ無口になって」

「結局またやり直して」

「でもきっと」

「失敗するたび未来に近づく」

「試す人になろう」

試すことが大切なのは、どのような状況であっても、未体験な事柄であれば、経験してみないことには始まらないからであり、逆に言えば「不適応」=「滅び」で、状況に適応できなければ、淘汰が待っています。

このように言うと、出来ない言い訳(例えば「いやいや、「試す」なんて、誰でもできるだろう。」とか。)をしてやらない選択肢を選ぶ人や、試しに始めてみるより、やる気がでないという人のほうが多くて、試せるというのは、もう、立派な能力で、それを持つ人はそれほど多くないんだよね。

また、例えば、人から「この本いいよ」と勧められて、すぐ買って読む人は、それほど多くはなくて、新しい趣味を積極的に試す人は、ごく少数派だし、このブログの様に、とりあえず書いてみるより、何を書こうか迷って時間を過ごす人のほうが多いんじゃないかなって、そう思います。

試すのは、面倒なので、メリットがあるとわかっていても、やらない人が多いんだろうけど、今、致命的な事は、目の前の課題に対して「知らない」「わからない」「やったことがない」と考えるのではなくて、世の中の多くの課題含めた出来事、どうせ、誰も知らないし、わからないし、やったことがないことが大半です。

だから、「試さない」「変わらない」「消極的だ」「やる気が起きない」「新しいことはしたくない」が致命的とならないよに、試す能力を、大事に育て(興味を持つ⇒試行⇒学習⇒早い適応力⇒経験値アップ)て、発揮させることが今の時代の最適解なのだと、そう考えています。

ただ、例えば、なんか引っかかる人がいたり、気になることがあって自分のやるべきことに集中できていない自分がいるのも事実ですよね。

本当は、文句も言ってやりたい。

でも言えない。

丁寧にプロセスを踏んで、言えない自分を言える自分に変えていくこともできるけど、それには時間がかかりすぎて、不可能でもないけど、今この瞬間のこのモヤモヤ、心の引っかかり、言えない自分、どうしよう?

今はどうにもならないから、将来に向けての話や計画をするのももちろんありだけど、それでも結局じゃあ今この瞬間どうするんですか、っていうところが問題。

こんなときに、これがどうなったらいい?って聞かれても。

「Sounds familiar to you!?」なんていう、人間関係や自分の中のモヤモヤの話は、多かれ少なかれみんなありますよね。

あなたなら、またはもし、あなたの周りでそんな課題を抱えた人がいたらどんな話を、どんなアプローチでしますか?

今すぐ解決できないことは、これから解決するプランを作るのはもちろんできることの一つ。

それが今この瞬間、あまりに大変なら、それよりはまずは少し自分をいたわって、少しでも自分の気分をよくすることが先決です。

気分の悪い自分では、課題に取り組むことはもちろんエネルギーも出てきません。

もしかしたら、他のことにフォーカスを向けてみるのもいいかもしれない。

考えないようにしよう、って言ってもそれは逆に大変なので、別のことで少し気分転換してみる。

長い気分転換や無理に忙しくしてごまかすのはおすすめしませんが少しの間、自分が休憩することにOKを出すのも良いですよね。

少しでも状態の良い自分になったら、これからどうする?という話ももっと建設的にできるようになります。

あなたは自分の言葉使いの癖を知っていますか?

自分がどんな言葉を使っているか、普段意識することはあまりないかもしれませんね。

知らないうちに、「こういう風にはなりたくない」なんて思うときはないでしょうか。

仕事でも、人間関係でも、「こういうのはイヤ」という否定文を使っていると、本当に不思議ですがまさにその「イヤ」なのがやってきます。

確かに、こうはなりたくない、っていうの、よくありますが、否定文でもあるので、そこには何かネガティブなエネルギーがあります。

私は言葉にも感情があり、エネルギーがあるといつも考えています。

良いエネルギーや感情のあるところにはやはり同じような波長のものがやってくるので意識してみると、違いが出てきます。

何が違ってくるかというと、まず自分自身の気分。

否定文を話しているよりは、肯定文を話しているときのほうが、気分的に軽やかに明るくなります。

本当ですよ。

だって、「これもいや、あれもいや」ってずっと言い続けている自分って、想像してみるだけでも気分が重くなってきませんか?

それに、こういうのはイヤなのよね、あんなふうにはなりたくないわよね、という言葉を発し続けている人のそばには、たいてい行きたくないですよね。

ほかにも、文句ばかり、悪いところばかり話しているのも同じです。

自分でもやっぱりイヤだし、誰かがそれをやっていても、気分はよろしくありません。

自分が気持ちよくいられることは、自分の状態をよくしておくこと、余裕を持つことへの1つのステップなので気分がいい・悪いは、意外に重要なのです。

チャレンジなのは、ときに自分が否定文を使っているクセに気づかないとき。

自分の言葉のクセに気づかないくらい、大変なときや余裕のないときって、確かにあります。

自分が発している言葉に普段から意識することや、または周りの人にチェックしてもらっておくのも良いでしょう。

気づかないままいると、そこから下降スパイラルに陥ってなかなか上がってこられないこともあるかもしれませんから。

それから、自分の言葉使いを知るためのサインもあります。

それは、自分の気分や感情です。

言葉が気分に影響を与えるのですから、逆も成り立ちます。

落ち込んでいるとき。

気分が乗らないとき。

ハッピーじゃないとき。

元気じゃないとき。

余裕がないとき。

ちょっと広げて考えると病気のときなどもそうですね。

身体の調子が悪いときは、自然と気持ち的にも落ちてきますから。

こんな風に下降気味のときには、言葉使いがネガティブになっていることがよーくあるので、普段よりさらに注意してみましょう。

そして、否定文を使っている自分に気づいたら、反対の肯定文に言い直します。

たとえば、「うそつきにはなりたくない」という否定文なら、「私は正直(誠実)でありたい」というように。

ほかにも、「この仕事はやりたくない」なら、「こんな仕事がやりたい」というように、肯定文を探します。

肯定文をクセにすることでの変化を感じてみて。

あまりに小さいことで不思議ですが、必ず変化が出てきます。

「悪口や非難など、否定的なことを言いそうになったら、それをどう肯定的な言葉で表現していくか考えてみてください。」佐藤富雄(作家)

使っている言葉は、その人の行動や態度に表れ、考え方にも影響します。

意識して変えていかなければ、言葉も自然と変わるわけではないから、否定的な言葉を肯定的な言葉に、意識して変える練習してみませんか?

最後に、不満や批判ばかりしていれば、考え方は自然と否定的になってしまうので、感謝することを意識すれば、自然と考え方も肯定的になっていくから、どんなことにも感謝するように、感謝できるように、考え方を変えていければ良いですね。

「感謝は肯定的な感情のみを生み出す─ 愛、思いやり、喜び、希望。私たちが感謝しているものに焦点を合わせれば、恐れ、怒り、苦痛は溶けてなくなってしまう。」M・J・ライアン(著述家)

ときに、自分のためにならないことやってる、と自分でわかっていても、そのまま何も変えないときってないでしょうか。

それは自分の古い良くない習慣だったり、または、自分にとってヘルシーでない恋愛関係や人間関係だったり。

ほかにも、これはやったほうがいい!と思っていてやらないこともあります。

運動なんか典型的。

なんでだろう?と真剣に考えてみてください。

何か変えたら絶対に自分にとっていい!と頭では完全に理解してはいるものの、その理解に心がついていっていないのですね。

これって本当に不思議。

自分にとってマイナスだとよくわかっているのに、なんでそのままにしているの?と自分に問いかけてみると、けっこういろいろ出てきます。

例えば、人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、「やりたいことを寝食を忘れてやる」オーバーアチーブタイプに二分されるそうです。

このどちらかだけを作り出すということはできなくて、手を抜く自分を際立たせるためには、他社を規格化する以外に手立てがないから、言い訳が出てくることもあるし、自分の見たくないものや認めたくないものなども出てくるかもしれません。

そのあたりは、たまに真剣に見つめてみるのもいいでしょう。

もちろん、ほかの理由や背景などもあります。

まずひとつ、頭で理解することと、心で理解することとは別ものだから。

頭で理解しただけでは人間はやらない傾向にあります。

組織内で自分に課せられた職務を超えてオーバーアチーブする人達のオーバーアチーブを動機づけているのは組織に対する忠誠心や帰属意識、仲間に対する同胞意識です。

そういうセンチメンタルな動機で人は働いていていて、「これだけの給料をもらったから、これだけの労働をする。それ以上はしない」というほうが合理的に見えますが、実際には潜在能力が開花するのは、自分以外の誰かのために働くときです。

先ほどもふれましたが、人間が最も高い能力を発揮するのは、組織のなかに「この人を助けてあげなければ」と感じさせる弱い人がいるときです。

たとえば、何かのハウツーものの情報や本などはたくさん出回っていますが、だからと言って実際にそれをやってみる人は少ないですよね。

やってみないとその効果も得られないからそのハウツーの意味を心で理解するチャンスも逃してしまいます。

それでも何もしないということは最低でも現状維持がほとんどなので、何も変わらなくて意外に居心地が悪くないので、またさらにやらないことになってしまうのかもしれません。

また、やったほうがいい、やらないほうがいい、と頭で思っているだけのときもあります。

心で本当にやったほうがいい、やらないほうがいいと実感しているなら何か本気モードになって行動に現れます。

それから、必要性の問題も。

たとえば、これをやり続けたらあなたは死にますよ、とか、あなたの子供が大変なことになりますよ、というような本当にどうしても必要な状況になったらどうでしょう。

人間はやらざるを得ない状況に迫られるとき、ときにすごい力を発揮しますし、自分の本気レベルも全く別なものになります。

なので、もしかしたらときにはやらざるを得ない状況を作ってみるのもひとつの手なのかもしれませんね。

自分を追い詰めすぎるのはお勧めしませんが、たまに自分へのチャレンジ、ストレッチ・ゴール(自分の持っている力よりもほんのちょっと上のゴール)として、これをやらねばすまない状況は、思いがけず成長させてくれます。

さて、多くの方が見たくないもの、認めたくないものというかやらないこと(やってしまうこと)の言い訳にしてしまいそうなものとして、不安や恐怖も手伝っています。

大きい不安や恐怖が勝つので、やったほうがいいのにやっていないのは、やらないときの不安や恐怖よりもやることへの不安や恐怖のほうが大きいとき。

やらないほうがいいのにやってしまうのは、逆です。

不安や恐怖を越えさせてくれるものの代表はやはり愛なので、自分への愛情をさらに育てていくのが長い道のりのようで、結局は近道かな、と私は思います。

だって、これが本当に私のため、私のためだからやったほうがいい、やろう!と思うようになる最大の要因は、「自分のため」を思える=自分への愛ですよね。

自分への愛情が強くなればなるほど、自分にとってプラスになることは自然とやるようになるし、マイナスになることなら、やめるようになります。

それに自分で一度育てたら、なくなる心配はまずありません。

誰かが奪うのは無理だし、自分の内側からいつでも沸いているものだから、減っていくこともありません。

自給自足ができるなら、安定していられるし、楽ですね。

ただ、それが楽だとしても、支え合う雰囲気が、日常生活のなかにあることが大切なのだとも感じます。

人間の思いやり、やさしさって、目には見えないし、数値化できないですよね。

「あなたのこと、気にかけていますよ」とか、「あなたを見ていますよ」とか、「応援していますよ」というシグナルが仕事を進めるうえで、どういう効果があるのかは客観的な証拠を以ては証明できません。

だから、数値化されたものしか信用しない人には、そういう人間の情緒が社会的にどれくらい力をもっているのかを理解させることは難しいものです。

信頼や思いやり、やさしさや労りなど、競争と成果主義のなかで捨ててきたものをあらためて見直すべきだと思います。

和気あいあいこそがいちばん効率がいいのかもしれませんね。

「書物よりは見聞、地位よりも経験が第一の教育者である。」アモス・オルコット(教育者)

自ら体験してみなければ、そこから伝わる雰囲気や感覚は、言葉や映像だけでは十分には伝わらないことってありますよね。

経験することが少なければ、感性も豊かにはならないから、実際に自分で経験することで、学び、それを成長の糧にしていければと考えているけど、物質的に豊かになって、物事や価値観も多様化していろいろと選択できるような時代になるといったい何が真実で、何がそうでないか、ときに判断し損ねそうになります。

あなたはいかがですか?

自分にとって何が本当で、何が正しいと判断しているのでしょうか?

「ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。」ルソー(哲学者)

「賢者は真実を発見して喜び、凡人は間違いを発見して喜ぶ。」ジョセフ・マーフィー(思想家)

その時だけ問題を解決できたとしても、考え方が養われていなければ、また同じようなことが起きますよね。

また、批判的な考え方ばかりをしていては、無意識のうちに自らをマイナス思考に陥らせてしまいます。

応用ができるようになれば、自己成長もできてくるから、答えを教えるのではなく、考え方や解決法を自分で見出せるように教えてみることがポイントで、物の見方をプラスに、前向きにとらえられるように訓練していければ、同じものをみても、その解釈の仕方で、考え方は変わってくるはず。

たとえば、自分を好きになるには自分を許すことから、もっと自信を持つには、自分を大事にすることからって思いませんか?

それから、いつでも幸せになろうと思えばなれる、とか自分がハッピーになるのは、周りに左右されない、とか。

こんなコンセプトは、多くの方にとって新しいものだったりするかもしれませんが、これを抵抗なく受け止めて、これって本当だ、真実だと思えるようになるのは、いつなのでしょう。

人間とは不思議なもので、何度も見聞きしていることはいつしか自分の中で真実になっていきます。

たとえば、どんなに怪しいと思う噂でも何度も聞いているうちにはホントかな?と思い始めますよね。

そして、さらに何度も何度も聞いているうちに、まあ何度も聞くからホントなんだろう、と思うようになります。

みんながそうだそうだといえば、それがもっともらしく聞こえてきたりもします。

自分の意見が人と違っていればなんとなく自分が間違っているような気がしてくるのも無理はありません。

結局、見聞きする回数が増えることで、それが本当だと思い込むようになるのです。

自分が何を信じるか、何が正しいかと思うかも同じ。

これが正しい、と何度も思っていると本当にそうなるし、これを信じよう、信じよう、と繰り返し思っていればいつしかそれを信じるようになります。

だから、普段から見聞きすることを流されずに自分で意識して選んでいかないと、本当は正しくないかもしれないのに、いつの間にかそれが本当だと思ってしまうかもしれません。

たとえば、キャリアで成功すれば幸せになれる、というのと幸せとはキャリアもちろん影響するけれど、まずは自分の内側から幸せであることから始まるからキャリアの成功も自分の幸せに影響される、なんていうのがあったとします。

または、私は無条件に幸せになっていい、というのと苦労しないと幸せになっちゃいけない、というのがあったとしたら。

どちらを自分にとって真実だと選びますか。

さらに、どちらをより多く見聞きするでしょうか。

より多く見聞きするほう、より一般的に見聞きするほうが本当っぽく聞こえますし、自分も見慣れているもののほうが安心感もあって、そちらが真実になっていませんか。

もちろん、どちらを選ぶのは私たち自身の自由ですしどっちがより良い、悪いという話ではありません。

自分の中で真実と捉えるものがやがて現実になるので、自分がこうありたい、こうなっていきたいと思うほうを選びたいのです。

もっと平たく言うと、自分が苦しまないほう、この際自分に都合のよいほうを選んでみては。

そんな自分に都合の良いほうなんて、と思うときもあるかもしれませんが、何を信じるか、何を真実とするかは自分の思いであって、ここはいつでも自由なはず。

問題は、聞くつもりがなくても、何もしなくても耳に入ってくることが多いこと。

今は情報量がとにかく多いし、世間はどうしてもメディアの情報にも振り回されがちです。

聞く姿勢を持つのは大事で総じて良いことなのですがときには聞いていて聞いてない、聞き流すというスキルが必要になってくるときも。

情報にはオープンでいる姿勢は持ちつつ、自分で自分にとってこれはOK、これはマイナス、と振り分ける力を持っていてください。

そして、自分にプラスになることはできるだけ繰り返し見聞きするように意識してみてください。