【乱読NO.3339】「新・サッカーへの招待」大住良之(著)(岩波新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
世界で最も多くの人が観戦するスポーツイベント、ワールドカップ。
華やかな舞台をめぐる人間ドラマは?
世界各地の個性豊かなプレーを創りだしたものは?
日本の初出場を期して、好評の前著『サッカーへの招待』を全面的に書き改めた。
世界各地を長年取材してきた著者による、ワールドカップ観戦のための必携書。

[ 目次 ]
序章 サッカーとは何か
第1章 ワールドカップ
第2章 ルールと戦術
第3章 次世代の育て方
第4章 世界のステージ
第5章 二十一世紀に向けて

[ 問題提起 ]
羽生善治は、優れた指し手だからこそ、別の優れた指し手を切に必要としているのだ。

個人だけではない。

組織もまたそうである。

我々が独占禁止法を作り、公正取引委員会を作っているのはまさにそれが理由だ。

我々は、常に敵を必要としている。

「敵」というのがあまりに殺伐としているのなら、「ライバル」と言い換えてもいい。

ライバルがいなくなった世界は、どこも間違いなく停滞する。

我らが電脳界でも、OS、Office Suite、Browserという具合に、この事例に事欠かない。

その停滞の責任を誰が一番負っているかは、ここで言うまでもないだろう。

合州国の「根腐れ」も、今思えばソヴィエトの崩壊があった。

ソヴィエトを失ってからのかの国の迷走ぶりというのは、かの国で高等教育に触れた私にも「目の毒」もいいところだった。

ソヴィエト亡きあとの合州国は、あちこちの敵未満を針小棒大に敵と見なして、そこをたたくということを繰り返しているが、それはもう競争でも何でもなく、単なる弱い者いじめにすぎない。

[ 結論 ]
前人未到の七冠を達成した羽生(ここでは敬称略)の陰に隠れがちだが、羽生にとって幸いなのは、羽生を脅かす好敵手が将棋界には何人もいることだろう。

そしてさらにありがたいのは、将棋そのもののルールは不変であること。

ビジネスの世界ではルールが不変である方が異常であり、常に好敵手の存在を担保する将棋やスポーツにはうらやましさを禁じ得ない。

スポーツといえば、今真っ盛りのサッカーも、実は何度かルールを改正してきた。

その改正は、常に「好敵手の存在を担保する」ということに徹してきたように思う。

なぜサッカーが世界で最も人気があるスポーツかといえば、それにとどめを指すのではないか?

この辺の事情は、上の「新・サッカーへの招待」に詳しい。

ちょっと古い本であるが、この辺の状況は少しも古びてないと思う。

プレイヤーがルール改正にある程度かかわることが出来る世界において、これは当たり前のようでいて難しい。

どうしても「自分がより有利になるルール」を提案しがちなのだ。

こうしたルールの改正はヨーロッパの得意技で、スキージャンプや背泳ではだいぶ日本も泣かされてきたのはみなさんご存じのとおり。

問題は、これらのルール改正がゲームを面白くしたか、ということだ。

我田引水は、結局のところゲームをつまらなくし、ファンの足を遠ざけ、結局ゲーム自体を衰退させてしまうのだ。

[ コメント ]
しかし、プレイヤーによる我田引水的ルール改正というのは、ゲームというものそのものが背負った宿命でもある。

ネットはいつまでそういう状況を保っていられるのだろうか....

[ 読了した日 ]
2010年1月13日