【乱読NO.150-1】「なぜ「少年」は犯罪に走ったのか」碓井真史(著)(ワニのNEW新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
不可解な動機、不可解な存在、17歳。
なぜあんな普通の子が殺人を犯してしまったのだろうか?
事件が起きるたびに世間は反応する。
だがこれまでの事件は「普通の子」だから起こしてしまった悲劇なのだと本書は警告する。
これはどこにでも存在しうる少年の精緻な心理分析である。

[ 目次 ]
第1章 一七歳、愛知体験殺人事件(人を殺す経験がしたかった 快楽殺人・純粋殺人・連続殺人 ほか)
第2章 一七歳、佐賀バスジャック事件(血も凍る一五時間 歪んだ優越感「我、天帝なり」 ほか)
第3章 一七歳、岡山バット殺人事件(少年はバットを振り下ろした いじめから芽生える殺意 ほか)
第4章 一五歳、大分一家六人殺傷事件(現代の『八つ墓村』事件 盗まれ、切り刻まれた下着 ほか)
第5章 あなたの子供は大丈夫?―私たちの未来のために(犯罪心理学とは? 非行の心理 ほか)

[ 発見(気づき) ]
今、なぜ17歳なのか。
かつて、教育テレビで17歳に焦点を当て、インタビューをした番組があった。
いろいろな価値観、生き方が紹介されていた。
しかし、一方では犯罪に走る場合もある。
「不可解な動機、不可解な存在、17歳」というフレーズが目に飛び込んだ。
本書の帯に記されたこのセンセーショナルな言葉。
近年、頻発している少年犯罪を端的に表している。
関連書籍が多数、出版されているが、本書は、犯罪に走った子ども達の内面に迫り、心理学的観点で綴っていること、しかも冷静に分析している点で異色であり、注目に値する。一般向けに書かれているが、犯罪が発生する背景を詳しく記していることから、自治会の役員、保護司、家裁の調査官、さらにはカウンセラーなどにも一読を薦めたい。
本書は5章構成で、4つの事件を扱う。
一つを除いて17歳が起こしたもので、愛知体験殺人事件、佐賀バスジャック事件、岡山バット殺人事件、大分一家六人殺傷事件である。
なお、大分の事件は15歳の少年が起こした。
かつては動機が存在し、犯行に走ったケースが多いが、近年ではここで取り上げられた事件以外にも、動機があいまいだったり、理由もなく犯罪に手を染める事例が目に付く。
動機がはっきりしないため、捜査が難航したり、対策を立てようにも立てられない。
かつてのような皆で遊ぶ光景が減り、家に閉じこもることが多くなり、青少年の孤独、精神面での未熟さが見て取れる。
著者は親の過干渉の弊害、地域で叱ってくれる大人が少なくなった点などを気に止めている。
本書では事件の概要、少年像、家庭環境、心理的所見などを扱う。
感情喪失、ゆがんだ優越感といった心理学的観点から解説。
事件に関連し、大量殺人の心理、なぜキレるのかに触れ、希薄化する地域社会の問題点などを指摘。
「幸せな家庭こそ危ない」というフレーズに目が行き、どうしたら良いのか思案に暮れる。
最終章で普通の子どもが犯罪に走るケースが増加している点に言及したうえで、少年法改正など、今後の在り方を模索している。

[ 教訓 ]
少年少女による事件が発生するたびに、関連語句を検索すると、いつも行き着いてしまうのがこのサイト。
・心理学 総合案内 こころの散歩道
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/
このサイトの著者が、最近の実際の事件をケース分析して、少年犯罪について一般向けに解説した本。
ところで少年凶悪犯罪事件が最近、多いような気がしているが、実はそんな事実はないそうである。
むしろ、実際はその逆でこの数十年で急激に減っているのだ。
この数字はメディアの報道内容と違い、意外に感じる。
まず少年犯罪。
警視庁がまとめた犯罪白書。
昭和41年からの「交通関係業過を除く少年刑法犯の検挙人員および人口比(1000人あたりの比率)」は昭和41年が18万2000人、人口比9.0人で、ピークは昭和56年(1981)の25万人、人口比14.3人。
最新の平成10年(1998)では18万4000人、人口比12.5人。
横ばいで少しずつ減っている。
凶悪犯罪(殺人、強盗、レイプ)の検挙数は戦後すぐから昭和40年まではずっと300人前後。
昭和50年に初めて100人を割り、その後は二桁が続き、今に至るまで3回しか100人を超えた年はないそうである。
凶悪化は進んでいないどころか、減少している。
若者による殺人者率については10代の殺人者は30年前の6分の1にまで減っているという。これらの数字を総合して言えるのは、警察の取り締まり強化で検挙数は若干増えているものの、この数十年は若者の凶悪犯罪は目立った減少を安定して続けているという、感覚とは逆の結論である。
事実を歪める解釈がメディアによってなされている。
たとえば少年犯罪が「前年に比べて急増」という報道は、実は前年が特別に少ない年だったのである。
低年齢化も嘘であるそうだ。
年長犯罪が大幅に減少したため、見かけ上、少年犯罪の割合が増えたように見えるだけだそうである。
凶悪少年犯罪は都会の問題と考えがちだが、実際は田舎の方が発生率が高い事実もある。メディアが作り出そうとしている「都会で少年犯罪が増え凶悪化している」はまったくの捏造だと分かる。
そして歴史を掘り起こしてみると残忍な少年凶悪犯罪は過去にも多数あって、現在がひどいわけではないことも分かる。
それにも関わらず、最近少年凶悪犯罪が増えた、大問題だと考えるのは、ワイドショウ的にメディアが犯罪を頻繁に取り上げ娯楽化しているからであろう。
本当は問題ではないのに、ありもしない問題が作り出されてしまっているようだ。
もちろん、少年凶悪犯罪は少数でも問題であるし対策はせねばならないが。
少年法を改正して厳罰化する必要がないのではないかと著者はこの本に書いている。
全体としては減っているものの、犯罪の原因については変化があるようだ。
人間関係が希薄化して人の気持ちが分からない都会の子供が凶悪犯罪を起こす。
一見正しそうな、この見方も間違っているようだ。
実際には田舎の人間関係のように逃げ場のない閉鎖的な人間関係のもつれが、最近の凶悪犯罪の動機となっている。
たとえば大分の一家6人殺傷事件は、小さな町で起きた。
家族づきあいのある家から、風呂場をのぞいたことを疑われた少年が、変態と呼ばれて行き場がなくなるなら、皆殺しにしてやるというのが動機であった。
都会であれば引越せば知り合いのいない場所へ引っ越すことで解決できたかもしれないと結論されている。
愛知体験殺人事件では親の過度な期待が少年を暴走させている。
人間関係が希薄だからではなく、煮詰まりすぎたところで犯罪が発生しているのである。ドラエモンに出てくるジャイアンを問題児扱いしない地域コミュニティが必要だと著者は述べている。
ガキ大将のジャイアンは粗暴であるが、確かに学校の先生や両親からしばしば怒られている。
怒られるが不良、問題児として見放されることは決してない。
のび太やしずかの親もジャイアンと遊ぶなとは言わない。
ジャイアンはドラエモンの設定では、将来、経営者として成功するのだそうだ。
こうしたガキ大将を中心とした「ギャンググループ」が現代では形成されなくなったことで、人間関係や社会性を自主的に学ぶ場が失われたのが問題ではないかと著者は問題提起している。
ギャンググループ内で濃い人間関係やトラブルに慣れていれば、殴ることはあっても殺すことはないだろうというわけである。
また子供の「甘え」が悪いことと認識されていることも少年犯罪を起こす心理を作り出しているらしい。
少子化に伴い、厳しすぎるしつけや過度な期待に対して、子供たちが逃げ場を失っている。
真正面から受け止めてよい子を演じることが求められている。
「よい子」でなければならないという圧力が高くなりすぎると無軌道に暴発する。
どんなにダメで悪さをしても許される「安全基地」あってこそ、子供は将来に向けての自立の冒険ができるのではないかと著者は書いている。
少年犯罪を娯楽消費する社会では、犯罪者の少年を異世界の「モンスター」として扱いがちであるが、この本を読むとそれぞれに比較的明確な動機があることが分かる。
欧米に多いサイコパスの凶悪連続犯罪とは違って、少数の弱者の犯罪である。
羊たちの沈黙に登場するレクター博士のようなモンスターはそれほど多くない。
今後も少年犯罪が減れば減るほど、少数の事件が物珍しくなり、メディアに大きく取り上げられることが続きそうだ。
犯罪の娯楽化は、ドラマや映画でも中心に犯罪があることからもうかがえる。
娯楽は消費者があるから生産者がいる。
犯罪を好奇心の受け皿として楽しんでしまう私たち現代人の心理が、”少年凶悪犯罪増加”の本当の犯人だと分かったのが面白い一冊であった。

以下に↓つづく。
http://blogs.yahoo.co.jp/bax36410/48875984.html?p=1&pm=l

[ 読了した日 ]
2007年4月21日