【乱読NO.151】「占いの力」鈴木淳史(著)(洋泉社新書y) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
「占い」のもつ強力な因縁力を縦横に語る本邦初の試み!
科学万能主義といわれる現代、あらゆる情報が環境化する社会のなかで、人はなぜ「占い」の曖昧さに惹かれるのか?
無根拠であるがゆえに、占いの「言葉」は人を分類し、規定する。
そして、それは限られた人生の局面を切り取り、リアルという衣装をまとう。
占いは人生を「物語化」し、「私」が曖昧な社会のなかで、私探しの物語のツールとなり、「今」を生きる自分の里程標となる。
「占い」の構造と論理を縦横に語り、そこに多様化する物語性のあり方を探る画期的な試み。
だれが「占い」をここまでマトモに語ることができただろう。

[ 目次 ]
第1章 すばらしき占いの世界(信じてないが受け入れる マス・メディアでの占いの取り扱い ほか)
第2章 占いは人間を分類する(この本の著者がいい性格をしていることについて 性格はどうやって見分けるか ほか)
第3章 占いがリアルである理由(微妙な胡散臭さ 占い師の名前 ほか)
第4章 占いは人生を物語化する(新しいものはダメよ 麗しき人生観 ほか)
第5章 物語としての占いを生きるために(墓ではなく物語を売る 物語を生きるということ ほか)

[ 発見(気づき) ]
占いは信じないが受け入れているというのが、今の世間の姿である。
占いは人を分類するが、現実には人間の性格を同定しているわけではなく、誰にでも当てはまる受け入れやすい性格を提示しているに過ぎない。
これを「貴方だけの」と言って提示すると、単純にそうだと思ってしまう性質を人間は持っている(バーナム効果)。
この心理的な仕組みが、性格判断の根拠である。
この誰にでも当てはまる言葉は、倫理的な規範であり一般に受け入れやすいので、占いを求める者は、一旦は受け入れ自分の特殊性を埋没させる。
やがて、そこに自分を投影して、占いが語るキーワードから自分の物語を作る。
そしてこの物語の視点から現実を見るように認識を再構成する。
だから占いは当たるのだが、この心の動きは宗教も同じである。
ここで特に女性は社会的に受動的であることを倫理として植えつけられていることが多い。
すなわち外力に敏感なのである。
また未知なる未来に対して不安も強い。
したがって、この不安を解消してくれる言葉を求めることになるのである。
そして占いの言葉による判断に基づいて個々人は自分の物語を作ってゆく。
占いを媒介として世界を解釈するのである。
これが、信じないが受け入れている状態を意味している。
占いの論理として「世の中に起こるすべての現象は原因と結果という強固な糸でつながっている」という認識がある。
これは、物理世界で因果律を追求した科学と似たところがある。
ただ、占いの論理は、偶然性・一回性の「因果律」を説明しようとする。
そこには物語の論理が相応しい。
また、演繹とも帰納とも異なるアブダクションという非論理的な3段論法も物語を生み出す。
すなわち、占いの論理は物語に収束するのである。
帯に「占いは私をめぐる物語を作り出す装置である」とあるのは、こう言うことなのである。
また、この物語としての「因果律」を作りたがる力を「因縁力」と名づけているが、それが「占いの力」なのである。
本書は「饒舌体」とでも言うのか、ある事の形容が著者のややマニアックな知識の披露をしながら賑やかに会話調で表現されている。
古立一郎のプロレス中継といったところである。
宗教や科学を語るには軽すぎるが、占いというカスミのような文化現象を掬い捕るには案外、この軽さは合っているのかもしれない。
とはいえ、「私を消す物語」vs「私を探す物語」の展開、アブダクションと占い、など論旨がクリアーでない個所もある。
新書1冊も書きながら、占いの原理・方法及び歴史的背景・展開をまったく考慮していない。
これらを振り返ってみると、ああしてオドケないと書けなかったのかもしれないと思えてくる。

[ 教訓 ]
90年代後半、インターネットの占いコンテンツの供給で一儲けした人がいると聞く。
バイオリズムや四柱推命の簡単なアルゴリズムを使って、運勢の浮き沈みの波にあうように、各タイプの365日分のテキストを作成し、それを○○占いのテーマに合わせて書き換える。
これだけでも、コンテンツを探していたサービスプロバイダー企業にずいぶん売れた、らしい。
占いは単独コンテンツとしても使えるし、各種サービスメニューの一つとしても、手ごろであることが、受けた理由のようだ。
朝のテレビ番組でも、ニュースや天気予報と並んで今日の運勢のコーナーが堂々と存在していたりする。
公共電波を使って当たるも八卦、当たらぬも八卦の情報を流してよいのか?とは誰も問題にしない国である。
だが、占い師を職業とするもの以外は、占いを科学とは言わない。
外れても訴える人はまずいない。
それが怪しげな知識だとは認識されていながら、同時に広く受け入れられている。
占いを信じる層も幅広く、高名な経営者も占いを信じていたりする。
井深大、本田宗一郎、松下幸之助らも占いやオカルトが嫌いではなかったという。
この本は、古今東西の占いに触れながら、現代における占いの流行の構造を探る。
対象は血液型占いや性格診断や風水までも含む。
かなりお気楽な文体で書かれており、冗長な部分もあるのだが、現代人の占い人気を考えるのに面白い記述がある。
この本によると、占いには大きく3タイプがあるそうだ。
命占 誕生の時を軸に運命を解明する、四柱推命、占星術など
相占 万物の形象に宿るメッセージを読み解く、手相、姓名判断など
卜占 道具を用いて天意を読み解く、易、タロット、トランプ占いなど
そして、どのタイプも、天意→占い師→私という流れでメッセージが伝わる。
天意はそれ相応の専門家でなければ読み取ることができないのがポイントである。
一般人は本を読んで占星術のホロスコープやタロットカードの組み合わせを作ることはできても、その図柄を解釈することができない。
そして、占い師→私においては、誰にでも当てはまる上に受け入れられやすい記述が渡される。
「誰にでも楽しんでもらえる」を売りにした実在のサーカス団の名前を取って「バーナム」効果という心理用語があるそうだ。
万人が受け入れてしまうメッセージのこと。
人間は誰しも人と違う自分を認めてもらいたいと思っている。
そうした心理を突いたメッセージで、これって私のことかもと思わせるのが占いの巧妙さであるとする。
面白かったのは占いはアブダクションだとする著者の考え。
演繹法では、
(ルール)赤いものを持っていると幸せになる
(実例)赤いものを身につけていた
(結果)幸せになった
の順序であるが、これでは説得力に欠ける。
赤いものを持っても良いことがなければ、信用度が落ちる。
帰納法では、
(実例)赤いものを身につけていた
(結果)幸せになった
(ルール)赤いものを持っていると幸せになれる
となる。
が、これでは、実例と結果の間の推論がどう考えても不自然に思われる。
だが、あらかじめルールを暗示しておいた場合、
アブダクションでは、
(ルール)赤いものを持っていると幸せになる
(結果)幸せになった
(実例)赤いものを身につけていた
という構造になる。
たまたま、幸せになった人たちが、予め暗示されたルールを、因果関係として推論することで、納得してしまうという説。
後だしジャンケンみたいなものだが、これが占いの本質であるとする。
今流行しているオカルトの多くは実は近代になって流行したものであると著者は言う。
科学を強く意識すればするほど、それが扱えない事象が気になる。
オカルトは荒唐無稽なようでいて、(しばしば飛躍した)論理で原因と結果の因果関係を物語る、物語発生装置なのだというのが著者の結論である。
インターネットサイトでも相変わらず占いや性格診断は人気が高い。
ひとつには、コミュニティで転送して楽しめるのが原因であるようだ。

[ 一言 ]
年末の女性誌は「来年の運勢特集」が定番。
誰もが、幸せを願うし、誰ひとり(霊能者を除いてか?)未来が見えないのであるから、「占い」に惹かれるのは当然である。
男性は、指導的な立場になればなるほど、意外に気になるようである。
私は長年、めざましTVの今日の占いコーナーを観ているが、恋愛運なんて無縁だし、仕事運だって、あり得ない状況。
まぁ、20代OL向けであるから・・・。
で、ある暇な時、ネット掲載の無料のいろんな「その日の運勢」など比較してみたら、「獅子座」の私の運勢はよくこれだけバラエティに富んでいるなぁ、って関心してしまったことがある。
これだけあれば、どれかは当てはまるなぁ、と。
ずいぶん昔、京都の八坂神社で総合運を占ってもらったことがあって、いろいろアドバイスを受けたのであるが、ひとつも守れずにきた。
仕事は芸術的な方がいい、とか。まあ、運命っていうのは、変えられないけれど、それを良くするのが占いだっていうことを聞いたような記憶が、ないでもない。
事故にあっても軽くて済むとか。
そんな話だったような気がする。
神社参拝すると、当然おみくじを引きたくなる。
で、その活用方法が大事なんだろう。
おみくじや占いが示してくれたりすることに、自分の合点が行くかどうか。
さてさて、占いは当たったことだけ信じりゃいい、と言われたり、雑誌の占いなぞ結局なんの保障もないのであるが、心のよりどころなんだろうなぁと思う。
もし、占いが検証されたなら、これほどいい加減な話はない、とわかっていて、それでもすがりたいであろう。
今の私の迷いに、時に占いのエッセンスをちりばめながら、さあて、どうやって解決しようか?と取り組むことにして、明日の活力に!していければいいのだろう。

[ 読了した日 ]
2007年4月21日