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Zatolog

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。

日々感じたことを、忘れずに、共有し、共感し、共生したい。

となりのトトロ@DVD


サツキとメイは、母の体調のこともあり田舎に引越しをする。

その家には、何やら黒いモノがいるような気が、、、

家の隣には、大きな樹木があり、そこにはなんだか分からない「トトロ」がいるような気がする、、、


公開時には『火垂るの墓』と同時上映だった。

プロデューサー鈴木敏夫氏の慧眼はここにある。

『火垂るの墓』の悲劇性はそれだけで成立せず、『となりのトトロ』の不可思議性もまた同様である。

これは2本セットで興行として成立し、顧客満足に繋がるのだと思う。


『となりのトトロ』を言えば、正直86分という尺を使う必要があったのか?という気持ちになった。

子供のころに見られなかった悲しさだが、ストーリーテリングとしては山がないように思う。

トトロとの出会いが空想的な経験を脱しないために、その後の触れ合いが現実感を伴わない。

もしかすると、これはサツキとメイの夢の中の話なのではないか?

観客にそう思わせる雰囲気がある。


実際には、ラストで証拠を残すことで、この冒険譚が実際に起こったことであると証明するのだか、

それまでの触れ合いが、リアルとの境界的乖離が強いのである。

トトロと出会った経路を再び辿ると、そこには行きつかず元の場所に戻ってしまう。

あれ? これは実際には起こっていない体験なんじゃないか?

その序盤の経験が、この物語の没入感を失している気がする。


さて、この作品と同時上映にされた高畑勲監督の思いやいかん。

全く毛色の違う作品を抱き合わせたことと、それを突きつけられたクリエイターの思い、観る観客の心の揺さぶりを想像できたのか否かは計り知れない。


目標まで、あと88本。

千と千尋の神隠し@Blu-ray


実は、ほぼ初見。

言わずと知れた、宮崎駿監督の代表作である。


主人公・千尋は、両親ともども不思議な世界に迷い込んでしまう。

そこにあったのは、八百万の神々が疲れを癒しにくる風呂屋である油屋であった。

両親は醜い豚になってしまったが、果たして元に戻し、元いた世界に戻ることができるのか。


内容はまさにスピリチュアル、と言わんばかりの不思議な世界観。

とにかく、観客の理解を待たずに怒涛の展開となる。

私にはこれがどうにも受け入れ難かった。


千尋たちが何故あの世界に誘われたのか?

千尋が油屋で働こうという気になったのか?

ハクはなぜ、千尋を助けたのか?

周囲の人々が、千を受け入れていくのはなぜか?

頭の中にクエスチョンマークが乱立する。


これが大ヒットした事実もまた、クエスチョンである。

世の中はこの映画の本質を、どこまで理解しているのだろうか。


目標まで、あと89本。

ウィッシュ@109シネマズ木場


ディズニー100周年記念作。

期待を大きく裏切られたと言わざるを得ない。


人々の願いを集め、その願いを叶えてもらうために集った魔法の王国、ロサスの物語。


まず、この時点でクエスチョンである。

願いを託すだけ、叶えてもらうのは国王に委ねる、という。

願いを叶えたいという、その人の願望の根源が他人に依存するという時点で、それは心からの願いではないのではないか。

そして、元々国王は、願いを叶えるために魔法を学び、努力したはずである。

その国王が悪に染まってしまうキッカケがわからない。

献身的に支えた妻である王妃が欺かれているのも理解ができない。


何より、主人公・アーシャの「願い」がなんだったのかが全く描かれていないのは、大いなる欠点である。

つまり、彼女自身がなぜ国王の悪事を阻止するのかの動機も不明瞭である。

祖父、母の願いを無碍にされたことの怒りが原動力なのかもしれないが、その願いは前述の通り、本人の是が非でも叶えたい切なる願いに思えないのである。

叶えたい願いなら、国王に任せずに自分で努力して然るべきではないか。


結局は、悪の枢軸に団結して敵対して駆逐して、その悪への救いもない。

この時代に結局この考え方なのか、と呆然とした。


ウォルト・ディズニーが100年前に思い描いたエンターテイメントはこんなものではなかったと思う。

猛省をしていただきたい。

100周年記念作としてでなければ、まだ許容のしようもあったかもしれないが。


目標まで、あと90本。