本当は観る予定には無く他の作品を見る予定でした。

その作品の上映時間を間違えてしまい都合の良い時間に上映していた今作を観た次第です。

 

giftとは贈り物という意味ですね。

では、誰から贈り物を貰ったのでしょうか?

 

それは神様です。

 

giftedとは神様から天才的な才能を貰った子供のことを指します。

アメリカにはギフテッド教育といって数学、音楽などに秀でた能力のある子には特別な教育環境を与えます。

ギフテッド教育専門の学校もあるのです。

 

この辺りの日本の教育環境との違いを認識しているとこの作品の背景がわかりやすいですね。

 

今作のメアリーちゃんという7歳の女の子が天才的な数学の才能の持ち主なのです。

そのメアリーちゃんと自殺した母親(天才数学者)の二人の天才の幸福とはなんであるかを巡る作品でした。

 

私は発達障害で、発達障害の方にもギフテッドの方がおられるので今作の前情報を見たときに発達障害の女の子の話なのかな?

当事者の苦悩や家族の苦悩が描かれてるんだろうな。と勘違いしてまして、

冒頭にてメアリーちゃんが障害はない子供であることがわかり勘違いから面喰いました。

 

あらすじは、天才数学者家系のクレーマークレーマーです。

 

天才児メアリーちゃんの養育環境を巡り、彼女を赤ん坊のころから育てているフランク(メアリーの叔父、メアリーの母ダイアンの弟)とイブリン(フランク、ダイアンの母。メアリーの祖母)が裁判で争います。

 

フランクは健康保険にも加入できてない低所得者。家も狭く、勉強の環境を十分に整えられるとはいえません。ですが、メアリーちゃんを心から愛してます。近所に住むロバータという中年女性が育児に協力してくれています。

 

ロバータ役のオクタヴィア・スペンサーさんの演技が素晴らしかったです。

映画の始めに天才児のメアリーちゃんが学校に行くこに反対して彼女のことを思い目に涙を浮かべるのですがその演技に心つかまれました。

 

この方「ドリーム」にも主演の3人のお一人ですね。今作の予告で「ドリーム」流れて予告で泣きそうになりました。必ず観に行こうと決めました。

 

脱線はここまで。

 

イブリンは夫の死後(ダイアンとフランクの父)に実業家と再婚して富裕層です。

イブリン自身も元数学者であり名だたる大学や数学者と交流があります。これ以上ない英才教育の環境を支援できるのです。

 

物語は終始大人のの視点で進みます。

この話の核は天才児メアリーちゃんにとって何が幸福なのか?ですが、メアリーちゃん単独の視点は1箇所(通学バスでトラブルを起こす場面)しかなく、私はメアリーちゃんになかなか感情移入ができませんでした。その1箇所はメアリーちゃんにとても感情移入できました。

 

フランクといるときはフランクの視点でメアリーちゃんが描かれ、イブリンの家に短期ステイしてる時はイブリン。

学校では教師のボニーの視点で描かれてます。

 

なので、メアリーちゃんが今何を思っているのか、何を感じているのかが大人の視点を経由して観客に伝えられています。

 

私はもっとメアリーちゃんの単独の視点が欲しかったです。メアリーちゃん単独の視点は自動的に幼少期のダイアンの視点へと思いを巡らすことが容易になります。

ダイアンはとても重要なキャラクターなのですが死んでいるため幾枚の写真と裁判の証言でしか彼女の足取りはわかりません。

 

今作はメアリーちゃんとダイアンの二人の天才において幸福とはなんであるかを巡る作品と書きましたがメアリーちゃんとダイアンが何を思い感じているかがよくわからないなと強く感じました。

 

それはメアリーちゃんの単独の視点の無さに私は思います。メアリーちゃん単独の視点はダイアンの幼少の視点と想像して観れるからです。

 

映画を見た後に物語を振り返ると観客の心の中を重たく大きく占めていないといけないのは写真やセリフ、証言で言及されるダイアンです。

劇中に出てくる量は少ないですが、その量に反比例するように彼女は観たものの心の中に存在すべきです。

 

ですが、残念ながら今作は比例した分のみの存在感でした。

ダイアンの存在が希薄なのです。

 

メアリーちゃんとダイアンはコインの裏と表です。

 

裁判ではダイアンの養育環境が出てきます。

イブリンは支配的な英才教育をダイアンに致します。

それは異常な環境でした。

 

イブリンの主張はこうです。

 

特別な才能をもち天才が一生かけても解けないであろう問題を解くには犠牲は必要だ。

 

ダイアンは平凡な子供時代を犠牲にします。

イブリンに全てを捧げるのです。

 

ここに複雑な母子の関係があります。

 

ダイアンは17歳の時に初恋をします。相手は平凡な同い年男の子。

イブリンは平凡な男の子との恋愛が許せずダイアンと男の子を非道なまでに引き裂くのです。

 

イブリンは言います。

「ダイアンの相手は庭の芝刈りをする男の子ではない」

 

ダイアンはこの出来事のあと鬱になりますが1年近く経った後イブリンに言うのです。

「ありがとう」と。

 

この母子は残酷な愛情関係です。

 

ダイアンの人生はイブリンの野望の中にしかなかったのです。

 

この関係が理解できると最後の「yes」がとてつもなく残酷であることに気づきます。

「yes」を見て喜んでいるイブリンに複雑な感情しか抱けなくなります。そしてダイアンのことを思い心引き裂かれるのです。

 

この全てを見ているフランクはダイアンの死後、遺言によりメアリーちゃんを託されます。

そしてイブリンとは決別してました。

 

メアリーちゃんが難解な数学を解きたがっても無理やり外に遊びに連れていきます。

 

フランクの言葉を借りるとそれはダイアンの意思なのです。

 

劇中にメアリーちゃんと同級生の男の子が良い友情関係を結びそうになります。

欲を言うとここはもっと描いてほしかった。

 

同級生の男の子とメアリーちゃんを友人になったら、同い年の男の子との初恋をイブリンに引き裂かれたダイアンの心の痛みがダイアンの複雑な心がもっと心にダイレクトに届いたのではないかと思うからです。

 

非凡も凡人も関係なく友情や愛情関係を結べること、結ぶべきだということがダイアンの願いであり今作のメッセージのように思います。