喰違見附 | ルアーマンのブログ

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赤坂見附から弁慶堀沿いを歩いて来ると、左側に赤坂離宮の塀。塀と言うより土塁ですな。

 

赤坂離宮内にある迎賓館の東門

元は武家屋敷だった証

 

弁慶堀の向こうにはガーデンタワーホテルニューオータニ東京

 

こちらはザ・メインホテルニューオータニ東京

昔からあるこっちの方が有名ですね。

 

そんな場所にあるT字路の紀之国坂交差点

 

ニューオータニ方向へ続く道は 喰違見附(くいちがいみつけ)

右側は弁慶堀

左側は真田堀

2つの堀は繋がっておらず、この道で隔てられています。

 

「江戸城三十六見附」の中でも珍しく、土塁で構成された見附で石垣は無い。

道をくねらせた枡形虎口で、門は築かれなかったらしい。

 

1612年に小幡景憲が築城。

この小幡景憲という人、父は武田氏の家臣。

武田氏滅亡の後は小幡景憲は徳川秀忠に仕えたが、途中で出奔し放浪の身に。

しかし1600年関ヶ原の戦いでは徳川四天王の井伊直政に従軍。

1614年大坂冬の陣では豊臣側に入り、スパイのような活動をしていたらしい。

大坂の陣終了後はもちろん徳川氏に仕えた。

 

1612年に土塁や喰違見附が築かれ、その後に徳川家光の命で弁慶堀や真田堀が造られました。

 

右側(弁慶堀側)の土塁

 

右側の土塁は登れません

 

土塁の裏へ回り込むと、

 

ホテルニューオータニの敷地

 

ここには彦根藩井伊家の屋敷がありました

 

喰違見附を内側から

 

真田堀側の土塁へは登れます。

 

土塁の上には四ツ谷駅まで続く道があります。

 

真田堀

現在は埋め立てられて、上智大学のグランドになっている。

 

グランドの反対側には尾張徳川家の屋敷がありました。

 

土塁と上智大学の間の道を四ツ谷駅方向へむかいます。