5月31日の 見附4ヶ所巡り。
2ヵ所目は 赤坂見附
見附の意味を知らない人でも、この地名は聞いたことあるでしょう
「江戸城三十六見附」の中で最も有名な見附です。
1639年、筑前国福岡藩の黒田忠之により築城。
大山道を警備していたそうだが、あれ、虎ノ門見附も大山道の警備だ。
江戸城から大山道方面へ続く道がいくつもあったのかな。
地下鉄の赤坂見附駅や永田町駅を降りて、首都高のこの表示があるあたり。
草に紛れて石垣があります。
すぐ横にある歩道橋の上から見ると見え方も変わってくる。
切込み接ぎ(きりこみはぎ)
石をきっちり削って隙間なく積んでいる。
この出っ張った部分と街道を挟んだ反対側にも同じような石垣があり、間に門(赤坂御門)を設けていました。今は反対側の石垣は撤去されています。
現地の解説パネルに昔の写真が。
石垣の裏側
ここは紀州藩徳川家麹町邸の跡地。
道路や歩道橋とは反対側から
この下は堀(弁慶堀、弁慶濠)です。
石垣には刻印がいくつか
ここは打込み接ぎ(うちこみはぎ)
先ほどの門があった場所は切込み接ぎなので、最初に赤坂見附が造られた1639年よりも後年に付け加えられたものでしょう。
弁慶堀にかかる弁慶橋
弁慶橋を渡ると紀尾井タワー
紀尾井タワ
紀尾井の地名って、このあたりに紀州徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家の屋敷があったから。
弁慶堀にあるレンタルボート屋。手漕ぎボートのみですが。
今でもブラックバス釣りファンがいました。
この日は浅場で産卵行動するコイがいっぱい。(水上に出た尾びれが写っている)
コイが産卵する日って、ブラックバスが釣れないんですよね。
赤坂見附から市ヶ谷方向に続く外堀。(弁慶堀)
この外堀は三代将軍の徳川家光が造らせたもの。
現在でも一部は水堀として残っています。
さて、次の見附まで歩くのであります。