川中島古戦場 | ルアーマンのブログ

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2月22日、長野駅へ降り立つ。

 

大昔は日本で長野駅と奈良駅の2つだけが寺社風に造られていることで有名だったが、

長野駅は長野オリンピックを機に改築したのだったかな。

今はこんなビルになっています。

 

駅の善光寺口、目の前のバス停から出発

川中島古戦場を経由して、松代駅まで行く路線

 

川中島古戦場の有名な像が描かれている。

 

20分少々で川中島古戦場へ

バス代は20分でも500円以上。高い。しかも現金のみ。

 

武田信玄 vs 上杉謙信による 川中島の戦い

1553年~1564年に5度に渡って繰り広げられた。

睨み合い、小競り合いで終わったものが大半だが、第4次合戦だけは大規模で、

この地を中心に戦いが行われた。

武田信玄のナンバー2であり実弟であった武田信繁や、軍師の山本勘助(軍師としての勘助は架空の人物との説が有力)が討死し、武田信玄にとって大打撃でした。

 

なお、真田信繁(通称、真田幸村)の名は、武田信繁から取ったもの。

 

八幡社の鳥居

 

鳥居をくぐった右側、土塁があります。

 

左側にも土塁

第4次合戦(八幡原の戦い)で武田信玄の陣営が陣地を囲むように築いたもの。

 

正面に小さな社は旧八幡社

応神天皇の時代に造られたというから、5世紀前半のもの。

 

その背後にある建物は現在の八幡社

平安時代中期、1090年前後の建立

八幡大神を崇拝する武田信玄は本陣である松代城(海津城)を出て、この地に前線を構えました。

 

八幡社の左には、

武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像

台座の上には武田信玄の「風林火山」の旗

台座から離れた左右には上杉謙信の「毘、龍」の旗

 

武田信玄

 

 

上杉謙信

 

 

謙信が襲い掛かった所を、信玄が軍配でかわすシーン

 

武田信玄

 

上杉謙信

 

八幡社のすぐ左には、執念の石

 

謙信を倒そうと 信玄の家臣・原大隅が槍で応戦したが失敗。

その悔しさの余り、石を槍で突いた時の穴だそうで。

小学生の時に初めてこの石を見た時は「すげぇ~」と思ったが、

今では「ホントかなぁ 笑」って感じだけど。

 

首塚

両軍合わせて6000人以上と言われる戦死者を弔ったもの。

かつては多くの首塚があったらしいが、現在古戦場内には2つの首塚がある。

 

弔ってくれたこのに感激した上杉謙信は、当時、北条・今川の包囲網によって 塩が採れる海へのルートを絶たれて困っていた武田信玄に塩を送った。これが「敵に塩を送る」の元となったと言われているが、怪しい説とも言われている。

 

見学所要時間25分ほど。バスで次の場所へ。

バス停の一番下に、武田信繁の墓と書かれています。

 

手が冷てぇ~