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「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて健気なんでしょう。

 

うちのバラスから菫が!

 

初めて出会いました。

 

まだ、ちょっとの間、咲いていてね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHK「ブギウギ」終わりましたね。

 

もうひとつの「ブギウギ」、

 

坂東眞砂子著『ブギウギ』は角川書店 2010年刊 

 

「BOOK」データベースには

 

傑作長編ヒューマン・ミステリと紹介されている。

 

じつに骨太! 

 

じつに面白い!

 

 

終戦前後の日本を舞台に、ドイツ、アメリカ、ソ連の国家間の思惑に

 

事件に翻弄される心理学者、

 

そこに投げ込まれたかのような

 

山だしの歌好きなリツ、このふたりの主人公。

 

この生命力にあふれるリツが、生死をさまような体験を経て

 

戦後の世を<歌>で切り開いてゆく。

 

このリツをはじめ、アメリカ帰りの箱根の旅館の女将、

 

ドイツ人新聞記者オルガのなんとしたたかで、たくましいこと。

 

 

 

◆book」データベースはこちら

 

敗戦間近、箱根に疎開中のドイツ軍潜水艦長・ネッツバントが変死した。

遺体を発見したのは、旅館に住み込みで働く安西リツ。

この事件の調査をする海軍に通訳として連れ出された法城恭輔は、

他殺の可能性を色濃く感じていた。

しかし、ドイツ軍医・シュルツェは自殺であると断言する。

不審に思い調べを進めると、

事件の背後にはナチス・ドイツの陰謀が見え隠れしていた。

一方リツは、若いドイツ人潜水艦乗組員のパウルと急接近していく。

そしてリツも、否応なくその陰謀に巻き込まれていくこととなる―。

激動する時代と、そこで力強く生きる人々を緻密な描写で描いた。

傑作長編ヒューマン・ミステリ。 (「BOOK」データベースより)




◆坂東眞砂子

 

昭和33(1958)年、高知県生まれ。

奈良女子大学居住学科卒業後、イタリアに2年間留学、インテリアデザインを学ぶ。

帰国後フリーライターとして働き つつ童話を発表、

57年、第7回毎日童話新人賞優秀賞を受賞。

平成6年「蛇鏡」「桃色浄土」が連続して直木賞候補に。

8年「桜雨」で第3回島清恋愛文学賞 受賞。

9年、「山妣」で第116回直木賞受賞。

14年「曼荼羅道」で第15回柴田錬三郎賞を受賞

























 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   黒髪のしのしののびて蛇となりぬ          掌

 

(じゃ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日高玲さんが鑑賞してくださいました。

 

俳句誌「海原」2022年3月号、

 

「俳句と私 私と俳句」のページです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水仙、寒さに凛と咲く姿もゆかしい。

 

いまはこの水仙と黄水仙が競うように咲いています。

 


このスズランと見まごうような花も水仙で、


その名も鈴蘭水仙・スノーフレーク。

 


白い花びらの先端にぽつぽつとある


みどりの斑がアクセントになって。

 

とっても愛らしい。

玄関際の壁にそっと咲きはじめました♪

 



 

 

 

 






◆花図鑑より

スノーフレークはヒガンバナ科スノーフレーク属


(オオマツユキソウ属、レウコユム属)の多年草である。


原産地はオーストリア、ハンガリー及びヨーロッパ南部である。



日本へは昭和時代の初期に渡来した。


もともと水気の多い土地に自生していて湿気には強い。


和名は大待雪草(オオマツユキソウ)である。


スノードロップ(和名:待雪草)に似ていて、大きいことからつけられた名である。


また、鈴蘭水仙(スズランズイセン)という別称もある。


これは、鈴蘭(スズラン)のような花が咲かせ、


水仙(スイセン)のような姿をしていることから名づけられたものである。



草丈は40センチくらいである。


根際から生える葉は細長い線形である。


開花時期は3~5月である。



花茎の先に鈴蘭(スズラン)に似た純白の花を5~6個つける。


花は鐘形で垂れ下がり白色であるが、


花弁の先端には緑色の斑点があるのが特徴である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菜種梅雨わたくしはひとつの廃墟           掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆菜種梅雨・なたねづゆ

 

 

三月下旬から四月にかけて、

 

菜の花の盛りのころ降る長雨。

 

 

春の季語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    特別展示「長谷川潔 銅版画の世界

         自然をみつめるまなざし」

 
長谷川潔(1891-1980)の銅版画展
 
群馬県立近代美術館で観てきました。
 
 
その初期の木版画、デッサン、制作の試し刷りなど
 
いままで観たことのない長谷川潔作品が年代順に展示され、
 
この館の所蔵する作品をふくむ115点が
 
ずらりと並んでいます。
 
 
長谷川は第二次世界大戦のおりもフランスに留まり、
 
27歳で渡仏し89歳で旅立つまで
 
フランスで活動、そして活躍しています。
 
 
展示は時代をおって5章に構成。
 
 
1章 版画家としての出発
 
2章 渡仏後の研鑽
 
3章 対戦下の苦難と神秘への志向
 
4章 フランスが壇への登場
 
5章 長谷川潔芸術の到達点
      マニエール・ノワール
 
 
「花 アネモネと野花」、
 
「小鳥と胡蝶」(チラシの画像)、
 
「アカリョムの前の草花」などなど
 
漆黒(ノワール)の
 
その豊穣、
 
その静謐、
 
魅入られてしまって・・・
 
 
 
 
2024年4月7日まで
 
画像はこちらから
 
 
 
◆群馬県立近代美術館のチラシ
 

長谷川潔(1891-1980)は、

 

20世紀の版画史にその名を刻む銅版画家です。

 

青年時代を大正期に過ごし、日本の創作版画の草創を担った長谷川は、

 

1918年に銅版画技法習得のためフランスへと渡り、

 

以後帰国することなく、さまざまな銅版画の技法で制作をつづけました。

 

とりわけ、19 世紀の写真の登場以降廃れていた

 

銅版画技法マニエール・ノワール(メゾチント)を再興した功績は大きなもので、

 

その静謐で深遠な作品は国際的に高く評価されています。

 

 

このたび当館に、鉛筆デッサンや制作段階の試し刷り、渡仏前の木版画など

 

貴重な作品を含む長谷川潔の作品群が一括して寄託されました。

 

この優れた個人コレクションの全貌をご覧いただく初めての機会となる本展では、

 

当館所蔵作品を加えた115 点を5 章に分け、その画業の展開をたどります。

 

自然の神秘をみつめる精緻な観察眼と研ぎ澄まされた描写力が

 

結実した長谷川潔の銅版画世界を、どうぞお楽しみください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あッ、あざやかな<黄>!

 

目に飛び込んできました。

 

散歩の道をかえた、その時に。

 

 

レンギョウ(連翹学名Forsythia suspensa  )は、

 

モクセイ科レンギョウ属の落葉性低木落葉樹、とか。

 

 

春ですね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい歌舞伎座と歌舞伎の未来」

 

板東三津五郎さんの講演 その参

 

 

三津五郎さん、他にも実演つきで聞かせて、見せてくださいました。

 

丁重な語り口で、

 

歌舞伎への篤いおもいをお話してくださって。

 

 

・これまでも何度も「歌舞伎の危機」と言われながら乗り越えてきた。

 

今の歌舞伎にとって一番ピンチだと思うのは、

 

明治生まれの人がもういないということ。

 

明治生まれの人たちは江戸を色濃く残していた。

 

その明治の人たちと関わったのは、私たちの世代でもう最後。

 

江戸の風情や風俗について、演じる側にも

 

分からないことがこれからはどんどん出てくるだろう。


・歌舞伎は滅びはしないだろうが、

 

見方は変わるだろう。それをどう乗り切るか。



・歌舞伎は同じ演目ばかりやるというご批判もある。それは確かにそうだ。

 

その一方で、江戸時代にできた演目でいくらなんでも

 

今の時代には面白くないよというものもたくさんある。

 

復活狂言をやろうとしても

 

「やっぱり長年でてないわけだよね」と納得してしまうことが多い。

 

名作と言われるものは実はそうたくさんあるわけではない。



・江戸の風情や情感というのが、なかなか伝わりにくくなっている。

 

「なんともいえない風情だねえ」というのが、なかなか理解されない。

 

「踊りの見方がわからない」ともよく言われるが、

 

踊る人間は理解してもらおうと思っていない。

 

ただ、良い時間をすごしたねえと思っていただければそれで十分。

 

たとえば「牡丹の花のようだった」と言っていただければ充分。

 

踊りは、理屈で理解するものではない。



・たとえば勧進帳で必死になって弁慶が義経を打擲する芝居をしているとき、

 

目の前のお客さんが寝ていると「寝ないでよ!」と思うが、

 

踊りの時に目の前で寝られていてもあまり気にならない。

 

ああ、気持ちいいんだろうなと思う。それくらい違う。

 

踊りというのは、最高の音楽と踊りを同時に楽しむためのもの。

 

芝居で疲れた頭を休めるためのもの。



・自分は、芸のスタンダードとなるものをきちんとやって感動してもらいたい。

 

スタンダードのしっかりしたものと、

 

派手で話題性のあるものとが両輪でしっかり回れば、

 

歌舞伎は安泰だと思う。



・肉体の芸術なので、肉体は無尽蔵ではない。

 

この肉体が滅んだら、自分の芸は全部なくなってしまう。

 

ビデオは記録でしかない。

 

 

先代松緑は晩年、

 

「今なら完璧な弁慶(の内面)を演じる自信があるのに

 

身体が動かないんだよ」とおっしゃっていた。



 ・自分も25年ぶりに梅王丸をやったとき、昔の人は馬鹿じゃないかと思った。

 

なんでこんなに苦しい衣裳、馬鹿みたいに太い帯を何重にも巻かなきゃならないんだと。

 

体力的に本当に大変だが、25年前にやったことを身体が覚えているだけでなく、

 

その後の25年間に色々やってきたことやコツのようなものが身体に染み込んでいて、

 

25年前よりも息が切れなくなっていた。

 

今は肉体の衰えを経験が上回っている年齢だが、いつかそれが逆転する。

 

役者のいい時期は長いようで短い。

 

思うように身体が動かせるのは、あと10年か。



・自分の中には教えてくれた色々な人の知恵や思いがつまっている。

 

自分に教えてくれた人たちもそうだったのではないか。

 

ちゃんと伝えてくれよと先輩たちからバトンを預かっているのだと思うし、

 

さらに次の世代に伝えてくれそうな人に託さなくてはならない。

 

後輩を指導・注意するというのは、

 

その子を伸ばしたいからとか、先輩として威張りたいからではなく、

 

自分が先輩たちから預かったものを次に伝えたいから。



・歌舞伎の世界には不文律があり、

 

後輩が役を教わりにきたら断らないし、金品の礼は受けない。

 

ただ教えてもちゃんとできない人と、

 

ものすごくしっかりやってくれる人がいたら、

 

よりよくできる人に多くを伝える。

 

自分の子供かどうかは関係ない。

 

ちゃんと受け継いでくれる人に伝えるのでないと、労力の無駄だ。



・芸というのは苦しいばかり。

 

けれども少しでも「良くなったよ」と言ってもらえれば、続けられる。



・新しい歌舞伎座を、建物だけでなく、

 

その中の役者の芸も愛してください。
         
 

 

「歌舞伎役者のスケジュールが過酷なのではないか」という質問に、

 

「いまのスケジュールは50年前から続いているが

 

昔はもっとまとまって休みがとれた。

 

ほかの芝居は一カ月稽古する中で

 

歌舞伎が現状のままでは役者の健康維持だけでなく

 

演劇の質向上という意味でも厳しい。」

 

という認識を示していらっしゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新しい歌舞伎座と歌舞伎の未来」

 

十代目板東三津五郎丈の講演 その弐

 

その誠実なお人柄がにじみ出た語り口、

 

いまでも、なつかしく耳に残って。

 

(家元は三津五郎さん)

 

 

 

 

 成田屋(十二代 市川團十郎)さんのこと


・世の中の普通の人とちゃんと話ができる人だった。

 

役者というのは基本的にわがままで、自分が可愛い。

 

けれども成田屋さんは自分のことよりも歌舞伎のこと、

 

ひいては日本の文化を大事にしていた。



・歌舞伎のこれから、歌舞伎が世の中とどうつきあっていくか、どう発展していくか。

 

そのために大事な方を失った。



・歌舞伎の舞台には両脇に「大臣柱」という大事な柱がある。

 

これが歌舞伎の小屋のシンボルだが、ほかの形態の芝居では邪魔になる。

 

では新しい歌舞伎座では取り外し可能にしたらどうだという提案があって、

 

会議で役者たちはそれで合意しそうになったのだが、

 

成田屋さんが「この劇場は1年12カ月を通して、

 

歌舞伎をやるためのものではないのですか。

 

なぜほかのものをやるという前提で話が進むのか理由を教えてください」

 

(口調を真似てる)とビシっと言った。

 

そういうことが言えるのが成田屋だった(結果的に「大臣柱」はもとのままに)。



・成田屋はなぜか舞台で自分の役名を台詞で言ってしまう癖があった(笑)。

 

海老蔵時代に自分が桜丸なのに「桜丸」と呼んだり、

 

「上意討ち」では自分が篤之進なのに、

 

「伊三郎」と呼びかけなきゃならないところを

 

ずっと「篤之進、篤之進」と

 

呼びながら花道を引っ込んだり(笑)。



・舞台の開幕前に役者は「声だし」という発声練習をそれぞれにやるものだが、

 

なぜか成田屋はそれが「ゆう~や~け、こやけぇ~の~♪」だった。

 

(團十郎さんのものまねに場内爆笑)

 



○ 新歌舞伎座、こけら落とし公演について


・6月の「助六」で自分は通人。

 

これは閉場の時は中村屋がやった。

 

演目が発表された時も、彼がやった通人を自分が、

 

開場で初役でやるのかという思いがあった。

 

けれども、成田屋さんの股をくぐるのが楽しみだった。

 

それが成田屋までいなくなり、息子さんがやることになった。

 

通人は笑わす役だが、複雑な気持ちになるだろうと思う。



・開場記念の演目に「喜撰」が選ばれたのは私どもの家にとっては嬉しいこと。



・2月26日は菊之助くんの結婚した日で、

 

その前には歌舞伎座の後ろのタワー最上階で竣工式があった。

 

翌日が成田屋の本葬。

 

高層エレベーターで上がったり下がったりするみたいに、

 

感情の起伏が激しい日々を過ごした。



・その前には新しい歌舞伎座で音響テストがあった

   (家元は1月とおっしゃったが、実際には2月初め)。

 

あの時、役者たちは初めて新しい歌舞伎座に入った。

 

きょとんとした。

 

玄関の感じも、舞台の寸法も花道の寸法も同じ。

 

客席の鳳凰丸の布の感じも同じ。

 

花道の横の木は前のをそのまま。

 

壁の感じも天井のあかりの感じも。


 「皆さんはどうですか?」と客席に。

 

前の歌舞伎座の復元がよかったか、

 

それとも前の感じを残しつつ新しい感じがよかったか。

 

(客席はなんとなく、復元がいいというような空気に)。

 

「そうですか、それなら満足されると思います」。



・(家元は)どちらかというと、新しい歌舞伎座を守らなくてはと思っていた。

 

平成25年の新開場というよりは、昭和26年の開場に戻された感じがする。



・舞台からの眺めはほぼ同じ。



・こけら落とし公演について、

 

三部制で時間が短いのに「ちょっと高いよね」という声も聞かれる。

 

4~6月は建物人気でお客様が来るだろう。

 

スカイツリーのようなもので。そのあとはどうか。

 

我々が腰を据えてかからなくてはならない。



 歌舞伎の未来


・心配していること。世の中がイベント化しているのではないか。

 

興行も、イベント的なところはマスコミも客もついて興行としては安定するが、

 

通常公演は苦戦している。

 

これからの歌舞伎にとってこれが課題。



・今までは、派手な冒険や挑戦をしても、

 

一方で真ん中で揺るぎない柱があった。

 

しかしこのままでは冒険・挑戦の部分ばかりになって、

 

真ん中の柱がなくなるんじゃないかと心配している。



・役者の芸を観ることが、本来の歌舞伎。

 

派手な仕掛けは付録的なものだったが、

 

それが逆転してしまわないか心配している。



・歌舞伎を楽しんでいただくのも大切だが、

 

同時に厳しい目で見て叱咤していただきたい。

 

歌舞伎を育てていただきたい。

 

 

                  (続きます)