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「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

秀山祭九月大歌舞伎 夜の部は

 

玉三郎の「幽玄」、

 

吉右衛門「俊寛」、幸四郎「松寿操り三番叟」。

 

 

吉右衛門「俊寛」

 

絶海の孤島で起きる悲劇。

 

吉右衛門、さすがの名優、

 

くっきりとひとりの<男>の覚悟、

 

千鳥の乗船を拒む上使の瀬尾を殺してまで、

 

成経とともに赦免船に乗せようとする、

 

そのドラマが迫ってきます。

 

ただこの演目「俊寛」は

 

どうしても十八代勘三郎のそれがあって、

 

「未来で」を聞くのが辛い。

 


葵太夫と寿治郎の竹本が素晴らしい。

 

「そもそもこの島は」の第一声、

 

鍛え上げられたその太く、

 

深々とした声に打ち震えて、

 

この<声>に聞き惚れていました。

 

近松がいかに名文であることか。

 


幸四郎「操り三番叟」

 

人間が糸操りの人形を演じる、その人形ぶりの面白さ。

 

後見との息の合わせ、それが見もの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ」展を

東京オペラシティ アートギャラリーで観てきました。

 

 

イサム・ノグチ (1904~1988)は

日本人の詩人の父親(野口米次郎)と

アメリカ人の母親のもと、アメリカに生まれる。

彫刻、舞台美術、家具、照明器具などのデザイン、

陶芸、庭、ランドスケープ・デザインを手がけています。

 

 

 

 

 

横たわる男


会場にはいるとドーンと巨大な水墨のドローイング。

北京に滞在中に水墨を学び、その折の作品が8点。

その墨の線が自在に走り、のびやかなこと。

モダンダンスのマーサ・グラハムの舞台装置、

衣装もデザインしています。

そのマーサ・グラハムのモダンダンスの映像が流れていて、

装置の大きさやどのような作品であったか、

 

見ることができました。

 

 

 

 

 

 

あかり




照明の「あかり」の部屋。

この提灯、光の彫刻といわれています。

半径2メートルもある巨大なものも展示されて。

うちではもう数十年この「あかり」を使っています。


子供のための遊具デザインや、庭、ランドスケープは

デザイン画、模型、映像で。

「チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園」など

静寂をたたえ、ゆるぎない。

 

 

 

 

 

 

アーケイック

 



圧巻なのが、石の彫刻。

自然から見出した<石>や<岩>、

その嶮しい肌合い、厳粛なたたずまい、

すざまじい存在感。

「アーケイック」「無題」など惹きこまれて・・・

イサム・ノグチのじつに多様な活動、

圧倒的な作品。

見ごたえがありました。


チラシにはこう紹介されています。

<若き日に北京で書いた毛筆による身体ドローイング、

モダンダンスの開拓者、マーサ・グラハムのための舞台装置、

日本で製作された陶芸品や光の彫刻「あかり」のデザイン、

さらには、ランドスケープに関わる模型・資料・動画、

そして晩年のなまで、多様な作品を通して、

「異文化の融合」や「生活と環境の一体化」>


9月24日(月)まで。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

二期会オペラ劇場

「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」、

プッチーニ三部作を初日9月6日(木)に

新国立劇場オペラパレスで観ました。

デンマーク王立劇場とアン・デア・ウィーンとの提携公演。

 

 

ダミアーノ・ミキエレット演出が傑出していました。

3つ異なったオペラを一晩で上演するのでなく、

ひとつの芯をもったドラマとして打ち出していること。



「外套」、このプッチーニのヴェリズモ(現実主義)、

パリの労働者たちの不穏な空気のなか

不倫の相手ルイージ・樋口達哉を殺すミケーレ・上江隼人。

妻・ジョルジェッタ・北原留美の絶叫から、

「修道女アンジェリカ」へ。

囚人のように扱われる修道女たち、

冷酷な公爵夫人・中嶋郁子は

未婚で生んだ「息子が死んだ」と知らせるが、

この演出では息子の死に生きるよすがを

失い自死した直後、息子があらわれて・・・


美術・照明も素晴らしい。

「外套」の錆のついたコンテナを積上げ、

そこに浮かび上がる<影>が人物たちの

心理のゆらぎのよう。

「ジャンニ・スキッキ」の豪華な居間。

遺産モンダイのドタバタのあと、

装置を展開させると、

コンテナに替わるのには「アッ」と驚愕。


歌手たちも大健闘、歌、演技ともに緊密な舞台に。

ベルトラン・ド・ビリーの指揮、

東京フィルハーモニーに拍手。

熱っぽい終演が続いたオペラ・パレス。

人間のもつ一面の陽、そのうらにある影、

そんな人間像をくっきりと打ち出したオペラ。

プッチーニの「三部作」を

こんなに面白く観たのは初めて。


明日、9日日曜が最終回。

お時間があうようでしたら、どうぞ。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金子兜太(「ブログ金子兜太」よりお借りしました)

 

 

 

 

 <忌日まで草の結界泳ぎゆく>           

この句、

金子兜太先生が鑑賞し、

「海程」に掲載されました。




  忌日まで草の結界泳ぎゆく        掌 
         

この句は<草の結界>がポイント。

<結界>とはふつうは寺の庭、境内をいう。

そこにいて、ある法悦を味わうというか、得度を体験する場だ。

山本掌は寺ではなくて、

草ぼうぼうたる世界を自分の得度の世界と

考えているんじゃないか。

<草の>が<忌日>との関連で哀しみを誘うということになる。

普通の寺の庭だとこのような激情を

感じさせるような結界感はないが、

<草>ということだと哀しみがでる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忌日まで草の結界泳ぎゆく               掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草迷宮おそらく玻璃窓開けしまま                掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ 「草迷宮」、泉鏡花の作品にあります。


かつて浅丘ルリ子主演、


日生劇場での公演が懐かしく。

 

句は無季です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなどんよりした日、

ハイビスカスは<夏>。

散歩のおりに目を留めるのここのお宅。

ハンギングがパンジーだったり、ペチュニアだったり、

季節ごとに替えています。

見事なのがハイビスカス。

 

 

 

 

 

 

 



赤、そして黄の鉢植え。

まだまだ蕾もたくさん。

アオイ科のフヨウ属のハイビスカス、

もうしばらく愉しめそう♪

 

 

(フリー画像より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俳句誌「俳壇」本阿弥書店、

 

2018年8月号の

<ウルトラアイ ●句集俳書展望>に

句集『月球儀』、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この書影が付いて、

 

句集から句を3句ひき、

紹介されています。

 

 

 

 

 

 

 




なお、「俳壇」9月号には

新作の「火蛇が」6句、掲載されています。

本屋さん、図書館でご覧いただけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀本 吟さんによる

山本掌句集『月球儀』の評、

「海原」創刊号に掲載されました!

堀本吟さんは俳人、「豈」同人、現代俳句協会会員で、

俳句はもとより短詩型の評論されています。

たいそう細密でなんと明晰な鑑賞か。

力の籠もった稿を書いていただきました。

堀本吟さん、「海原」編集長からのご承諾を得てここに。

 

 

 

 

 

 





    山本 掌句集『月球儀』

 《月面の<存在(ザイン)>ー地上の「虚無」》
                             堀本 吟


 たいへん興味深い句集である。

いまだにきらきらと印象が拡散している。
 先ず書物として、意匠がただならず美しい。

伊豫田晃一の装画と題字、
司修の銅版画、萩原朔太郎撮影の写真。
表紙とその頁々に、一幅のタブローとしての存在感がある。

 皆川博子と金子兜太の帯文がまたいい。
 「好きです。選び抜かれた表現も、その身にあるものも」(帯文・皆川博子)
 と、扉を開ける前から、胸がときめく。

 「非常に奇妙な現実執着者(しゅうじゃくしゃ)、
/奇妙に意地悪い洞察者というか、
/どこかひねくれたと思えるほどにその美意識が常識とは違っている。
/ 混沌(カオス)をみとどけていこうとする作者である。」(帯文・金子兜太)

 兜太のこれは、第二句集『朱夏の柩』の序文にある

別の句の鑑賞文の中から抄出されている。

山本掌にとっては、それは、
刊行を待たずに帰天した先師から贈られたもの。
彼女の文学的本質をこよなく突いたもの。
省略された文中、「現象の奥の現実に関心のある場合、
とかくシュールレアリスム、超現実の傾向をもちがちであるが、
山本はあくまでも現実に執している」とも書く。
(同句集、金子兜太の序。

現代俳句協会青年部フリーダム句集9。邑書林1995)。
今度の句集にあっても、この言葉は羅針盤である。

 そこで、私は、本句集中の彼女の華麗な句群から
何を取り出すのか、ということとなる。
 ともあれ、連作風の章立てや配列の関係をよそに、
私がメモした本文のための印象句を掲げよう。

 ①残る花ふっと臓器がゆらぐかな 
 
 ②右手(めて)に虚無左手(ゆんで)に傷痕花ミモザ 
 
 ③月球儀おそらく分母は蝶である 
 
 ④〈存在(ザイン)〉とやなべて魂魄華やぎぬ 

 日常物に満ちているにもかかわらず、
ここは「地球儀」ではなく『月球儀』の上なのである。
数句十数句集めて月面の立体図を作る時の、
山本の構成は大胆かつ巧みである。

 掲句③の系列と思える句。

  若鮎の骨美しき宇宙塵
 
  月球儀鮎の動悸のおくれけり

  胎ゆらぎ黄蝶白蝶モルフォ蝶


 など、五七五の定型感が心地よい。
だが、内容はすこし異様で、地球上のありふれた生命体が
同時に別の天体で生きているようだ。
人体も蝶がいっぱい詰まった妖しい宇宙である。
掲句③ではその蝶を「分母」にして月世界の細部まで、
蝶の分子が分布しているのだ。原点は地上にあるが、
同時存在する別世界があるのだ、と考えればいいのである。

 では、このことを、掲句④「〈存在(ザイン)〉とやなべて魂魄華やぎぬ」の
「〈存在(ザイン)〉」の次元に重ねてみる。
この句は、母親を哀悼した《寒牡丹 ふたたび》の章にある。
しかし魂魄は母のみにではなく、すべてに備わっていて
「なべて華やぎぬ」である。
それが彼女の言う「〈存在(ザイン)〉」ということだ。
しかし、彼女のこの句のような共生感覚を、
地上的なアニミズムかと考えてみるとそれは少し違う。
兜太が喝破した山本掌の意識下の超現実とも違う。

 私の観点を述べてみる。
それは、「〈存在(ザイン)〉」と表裏の関係にある「虚無」が
今回の精神的なそして表現のテーマであることだ。
むしろ現実離脱、死へ向かう心性の遍在を彼女は探っている。 

 例えば、掲句②では、

結句の真黄色の粒粒した花の添え方が絶妙であるが、
主となるものは季語の「花ミモザ」ではない。
「右手(めて)に虚無」にまつわるとらえがたいほどの広い思索の場、
もう一つの存在界の発見である。
そして「左手(ゆんで)の傷痕」の生の痛みの感覚。

  ぼうぼうと虚無を喰みます麦の秋 

  大花野遠流のごとく虚無に棲む 


  青水無月あおき空洞(うろ)ですわたくしは
  
 などなど。「麦秋」「花野」「青水無月」、

季語の語感と美しさを愛し、
けれどそこに込められている空虚さだけを摂り、
季節や生活の実感から抜け出している。
何もないゆえに華やぐ世界、

現実の奥にある虚無界の妙な手触りに執着している。


季語の本意を換骨奪胎するワザの巧みさ、
又この生死の世界のアンビバレントな措き方など、実在を、
言葉に転じてゆく試み、が私にはたいへん興味深い。
それは直接彼女の「〈存在(ザイン)〉」のスケールに重なる。

 またその世界観から、掲句①のような「残る花」に感じて
「臓器がゆらぐ」(「こころ」がではなく)ような

特異な身体感覚も表現される。

  冬の虹脳石灰化ぞうぞうと  《海馬より》

 右の句は彼女の父親の看取りの章におかれている。
もう傷の痛みさえ実感できぬ老いの切なさ、

そのことも、きちんと、寒い「冬の虹」という

比喩のもとで見抜かれる。
実存と実体に及んでくる容赦ない死の掟。
しかも脳の死と入れかわり、倒錯のように、
あらたに魂魄が立ちあがる気配もある。

 さて、ジャンルオーバーの発想と実践は、
地上に生きる山本掌のスタイルだ。
この句集の大きな読みどころでもある

句集巻頭の《朔太郎・ノスタルヂア》六句は、
詩人が撮影した写真に俳句を添えたもの。

  翼たためる馬かいまみし葡萄の木    掌 
(写真 朔太郎撮影「馬のいる林ー前橋郊外)

 など、泰西神話を思わせる句によって、
モダニズムの時代をくぐった詩と俳の、

映像と言葉の交響である。

 また、最後の章《俳句から詩へ》には、
     
  三月の火喰獣(サラマンドル)を腑分けせよ  山本 掌

  井を晒すくちびる死より青かりき       加藤かけい

 人間に火をあたえた罪でプロメテウスが神から承けた罰を、
火の精霊火喰獣(サラマンドル)に返して「腑分けせよ」と。
詩の方では火喰獣(サラマンドル)からの反撃という構想。
加藤かけいの俳句からは、水の精オンディーヌ=オフィーリアの
死と恋の物語が再生する。
そこにも「虚無」と「傷痕」が措かれてある。 

 かように、生が抱え込む虚無界の(あるいは死が活きる)所在をみとめ、
その俳句的絵解きをしているのが、
山本掌句集『月球儀』なのである、と私は読む。(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海原」創刊号、

俳人の大井恒行さんのブログ「日日彼是」に

取り上げられています。こちら。

  http://ooikomon.blogspot.com/2018/08/blog-post_29.html


「海原」は同人誌となり、

代表・安西篤「海原」創刊の辞

 <俳句形式への愛を基本とし、

俳諧自由の精神に立つ>から始る。

  代表:安西 篤
  
  発行人:武田伸一

  編集長:堀之内長一



同人の投句は3句から5句へ。

「同人作品五句の迫力。

 

三句のときとは違う存在感に

思わずも目を見張ってしまったのである」と

 

堀之内編集長が編集後記に記したように、

たった2句の違いが、とても大きい。


「海原」、読んでみようと思われた方、

お問い合わせはこちら。

 発行所: 〒272-0024
       市川市稲荷木2-14-9
       tel 047-377-7510 武田伸一方