皆川博子アクリルスタンド!?
小説の女王といわれる皆川博子さん、
なんとアクリルスタンドが
文学フリマ東京40に登場。
「アクリルスタンド 皆川博子」、
<机に置いておくと創作が捗る>とか。
ほ、ほ、ほしい・・・笑
「ロマンチックな飛翔 酒と詩人と人生と」
前橋文学館収蔵資料展 @前橋文学館
<平常素面(しらふ)の意識ではできないことが、
所詮酒の力を借りて出来るところに、
飲んだくれ共のロマンチックな飛翔がある。>
朔太郎、ずいぶん飲んだひとで、
「宿酔(ふつかよい)」詩があるほど。
決して酒の賛美でも、耽美的でもない朔太郎の詩篇。
真新しい結城や紬の着物をどろどろにしてしまう朔太郎。
酒は、
現実には生きにくい朔太郎のよりどころ、だったのかも。
文学館のなかはまるで酒場!
カウンターにはグラス、
漆黒の壁には酒がずらりとならぶ。
酒樽が積み上げられて。
群馬の地酒、酒蔵がなんてたくさんあるのでしょう。
「伝統的酒造り」のコーナーも。
朔太郎の再婚相手・大谷美津子(ふたりの笑顔で歩く写真)、
その兄、杜氏で詩人忠一郎と
弟・正雄との交友など、
初めて知ることも。
明日、最終日!
「春だ! 地酒だ! 朗読だ!」
特別館長・萩原朔美さんたちによる
酒にまつわる作品の朗読が、あります♪
髙村薫『墳墓記』新潮社 2025年刊
装画:高屋永遠「水面の春」
このうす紅の諧調に黄・青・灰色がひそみ、
そこに銀の箔押しの表題。
ひかりを反射するのか、角度によっても金色に見えて。
(カバーの紙があまり使用されない不思議なき
書籍として、とてもうつくしい。
装幀は新潮社装幀室。
男、70歳を迎え自死できず、
いま現在、管につながれ、
意識だけが、在る。
その意識の塊が、時間・空間を自在に飛び交い、
自身のことから、ふっと、老いた定家へ、
万葉へ、源氏物語へ、平家物語へ、と。
そこは古文となり、
現代文と溶けあって行き来する。
さらにすごいのは数多くひかれる和歌も、
地の文に融合する。
散文の中に韻文が何の違和感もなく、在る。
そして<意識>、そのものだけで成り立った小説、
孤絶の美。
鮮烈な初めての読書体験です!
◆帯
時空を超え、鮮烈に蘇る古の声、声、声。
髙村文学の極限と愉楽がここに。
老いて死に瀕した一人の男が、意識の塊と化して長い仮死の夢を見る。
そこに沸き立つのは高らかな万葉びとの声、
野辺送りの声、笑い転げる兎や蛙の声、
源氏の男君女君の声、都を駆けるつわものたちの声、
定家ら歌詠みたちの声、そして名もなき女たちの声――。
古文と現代文の自在な往還を試みた独創的文体、渾身の長篇小説。
朔太郎の離れ座敷で、
朔太郎の詩を朗読する。
参加いたしました。
朗読は6人、
観客2名に主催者。
8畳に床の間のある座敷はいっぱい。
それぞれ「朔太郎への想い」のこもった朗読。
私は「蛙の死」「鏡」「風船乗りの夢」。
貴重な体験をいたしました。
この萩原朔太郎記念館は
移築されて、
前橋文学館から広瀬川をはさみ現在地に。
画像左から書斎、離れ座敷、土蔵です。
離れ座敷の前には「月に吠える」犬、
朔太郎の「竹」ののれんがかりって。
この細かな模様の窓ガラスはいまでは製造されていない、とか。
北原白秋、室生犀星がここに滞在した、
感慨深いこと。
土蔵ではポエトリーフェスティバルの
絵画作品、巨大な『月に吠える』本を展示。
前橋ポエトリーフェスティバル2025
まだまだ続いています♪
2017年5月、他界される9か月前の高崎兜太句会。
◆今日から13:30始まり。
3ヵ月ぶりに兜太先生との句会。
メンバー全員、いきいきと座が弾む。
兼題は<耳>。
高得点6で、句はこれ。
白木蓮の真中や耳を寂びしめり
評:白木蓮の花の咲きほこるなかで、
その「孤」として、存在の寂しさまで感じられる。
「耳」がうまい。
兜太:句全体がマンネリ。
白い花のなか、情感・感情をおくのは常とう。
とあまり評価はよくなかったのが、
全句講評で読み返して、好評へかわる。
感覚が鋭い。白木蓮の静かな咲き方がいい。
すきとおるウサギの耳は春匂う
評:ウサギの耳はまさにすきとおる。
春の息吹がさわやか。
兜太:あまい。「は」だと断定になる。
「よ」でやわらかく書く。詠嘆になる。
樹下春光内耳たどれば地中海
この句、「耳」が「身」となって誤植であったにもかかわらず、
とった人がふたり。と問題句。
評:きらきらした世界。物理的なものから観念へ。
身体を、内側をたどってゆくと海。
兜太:耳の内にいる雰囲気、感覚。
「樹下春光」に内耳感。
そういう内耳をたどると地中海。
大人びた句。
じらじらと桜月夜に耳が生え
これは問題句が多く、ひとりがとる。
評:「じらじらと」が適当かどうか。
「桜月夜」のおぼろなような「月」、「耳が生える」がわかる。
「じらじらと」に感心したが、いっそ「じらじらじら」ではどうか。
兜太:面白い。
「じらじらじら」と独立したフレーズにしたほうがいい。
じらじらじら桜月夜に耳が生え
花冷えや寺の隣に寺があり
兜太:なにげないが、「寺の隣に寺があり」面白い。
花冷えやをかえる。カタカナで「ブランコや」、
無季でよければ「発狂す」もあるぞ。
「立小便」はどうだ、と兜太先生。
これはメンバーが却下(笑)。
ブランコや寺の隣に寺があり
兜太先生による全句講評で、
バッサバッサと切られ、終了。
(樹下春光、じらじらは私の句)