高崎兜太句会 2007年7月
顔面麻痺、回復中で言葉もくっきりはっきり♪
顔面の麻痺はとても良くなってきて、
口まわりはほぼもとの状態に。
眼はまだという。
「人体は不思議というかよくできているというか、
眼球は目蓋、睫毛それと涙で守られており、
この麻痺でドライアイになり、
頻繁に薬をささなければならない」とのこと。
それとひとつ不自由ことがおこると、
他の器官が働き始める、とのこと。
兜太師の場合は言語が活発に動き出した(!?)、と。
口調はなめらかを通り越し、過激に。
この句が俎上に。2ヶ月前に提出しているので季節はずれている。
葉桜や茫漠という黄泉の犬
選んだひとは1人、問題句が3人。
兜太評:「葉桜」という季語はどうしても生死感が付きまとう。
どこかくらさがある語である。
「葉桜や」この「や」の切れ字でしっかり切る。
それと「茫漠という黄泉の犬」との二物配合。
「黄泉の犬」死んだ犬なのか、
黄泉にいる犬なのかがまずわからない。
まあ、「茫漠」というのは黄泉であればそう言えないこともない、言える。
が、
この「という」がまったくだめだ。
これでなにを言おうとしているかわからない、わからなくなる。
責任感のない言い方である。
酷評は続く。
これから二物配合のときの「切れ」をはっきり切って読む、
ということから俳句の読み方へ話しはすすむ。
まずは「感覚で受け取る
書かれている事柄から読む。
自分の知識や観念で読んでしまわない。
その句のいちばんいい読みをする。」
(自分にひきつけて読むのは最後)
などなど、どんどんヒートアップ。
すべての句への講評をして終了。
「しっかり酷評ができて気持ちがよかった」by兜太
はい、ボコボコになったこの句はわたしのです(笑)
