岡崎和郎《位相的手袋》1965年 個人蔵
撮影:木奥恵三
「てぶくろ ろくぶて展」を東京近代美術館で観た。
「モノ」と「私」とはどのように出会うか。
フランスの哲学者・メルロ ポンティの言葉を案内人として、
オブジェ、写真、映像、絵画など約30作品展示の小企画。
展示構成は、
Ⅰリヴァーシブルについて考える
Ⅱ私が私にさわる
Ⅲ一点透視法を疑う
このような視点での展示、
とても興味深い。
12月13日(日)まで。
◆近代美術館 ホームページ
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/glove/
フランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティ(1908‐1961)は、
「私」だけがあるのでも「モノ」だけがあるのでもない、
「私」と「モノ」が出会う、その接触面にだけ、
世界は成立するのだと考えました。ちょうど、
手袋の布一枚をはさんで内側の「私」と
向こう側の「世界」が触れ合うように。
私たちは、どのようにして
私たちを取り巻く世界と出会うのでしょうか。
たとえば、今そこにあるモノは、
私が見ていない時にもちゃんとそこに存在するのでしょうか。
それとも、私が見ているからこそモノはそこにあり、
私抜きではモノは存在しない、
つまり私が知覚していなければ
私を取り巻く世界も消えてしまうのでしょうか。
反対に、私はそんなに大した存在ではなく、
私もまた世界に無数にあるモノの一つに過ぎないのでしょうか。
しかしそのとき、他のモノとはちょっと違うはずの
「モノを知覚している私」という存在を
一体どう考えればいいのでしょうか。