ロッシーニ 『タンクレディ』の
タイトル・ロールに扮した
ジュディッタ・パスタ
バロックオペラの男性高音・カウンターテナーの
「オルフェオ」を聴きいて、タイムリーなことに
ちょっと面白い論文をみつけた。
題して「声とジェンダー」小林緑氏。
男性を男声がうたい、
女声が女声であることが自明のとなっている。
が、
バロックの時代、
舞台の女性を排除というカソリック教会の厳しいことがあって、
「主役スター歌手は、男性が男性を演じることもあれば
女性を演じることもあり、
(ローマ以外では)女性が男性を演じることもあれば、
女性を演じることもあった…」
「オペラで性とジェンダーが容易に入れ替わったのは、
<高い声>が 地位の高さや精神的・肉体的強さ、
さらに若さと性的魅力を表すコードだったために、
主役の英雄には女性と同じ、それより高い声が要求されたため」という。
ケルビーノ (モーツァルト 『フィガロの結婚』 の小姓役) や
オクタヴィアン (シュトラウス 『バラの騎士』 主役の青年貴族) など、
若い男性役を女性歌手・メゾソプラノが演じる 「ズボン役」。
yamanvaも「ケルビーノ」」、「ロミオ」、
「真夏の夜の夢」のオベロンなどを歌ったことがある、
「ズボン役」については
、
「イギリス王政復古期、本来男性のために書かれた男役を、
目の楽しみのために女性に演じさせた。
この、『目の楽しみ』 ゆえに敢えて女性に男性役を担わせ、
『綺麗で高い』 女の声のみか、
その舞台姿を介して女性の身体をも垣間見たい、という屈折した欲望は、
イタリア・バロック期の英雄役から
ロマン派のロメオのような恋人役にいたるまで、
様々に様態を変えてオペラ舞台を牽引することになったという」。
「カストラート消滅以降はとりわけ、
女性役は女性が担うことが当たり前になったため、
舞台上の主役カップルの声はともに女性の声ということになる。
オペラではクライマクスに主役二人の二重唱を置くのが定石だから、
そこでの声はともにまさしく 『高くて綺麗』な女の声、
等質の柔らかいその声が二重に溶け合って、
えもいわれぬ官能的な響きを醸し出す」
「若い女性二人の身体が艶かしく絡み合い、
かつそこで歌い上げられる陶酔の二重唱」
「歌手の性と役の性と声の性がかくまで食い違い、
不一致であるばかりでない。
劇中劇としての変装、異装が入り込むのだから、
オペラとは意想外の目くるめきや驚異に満ちた異界だった」
「舞台からの女性排除に伴って喪われる高い声、
女性に特有とされる高く綺麗な声をいかに確保するか、
あるいはその代替物を作り出すか(カストラート)
「 19世紀前半にとりわけもてはやされた
男装した女性歌手 (ジュディッタ・パスタ) にしても、
それが消滅途上のカストラートの補充という意味合いと、
女性身体に男性のジェンダーを纏わせ
倒錯したエロティシズムを視覚的にも満たす」
◆小林 緑 (こばやし・みどり)
1942年生まれ。東京藝術大学および同大学院にて主にモーツァルト研究。
フランス給費留学生としてパリ大学付属音楽学研究所にて
16世紀フランス音楽史専攻。
1975年度より2007年度まで国立音楽大学音楽学教員。現在、同名誉教授。
1993年に立ち上げた 「女性と音楽研究フォーラム」、ジェンダー史学会、
イメージとジェンダー研究会、女性学会、日仏女性学会等の会員。
2003年パリ日本文化会館、2007年杉並公会堂などで女性作曲家のコンサート企画・監修を継続的に実施、音楽の世界から男女平等の実現を目指している。
論文の全文はこちら
http://www.news-pj.net/npj/kobayashi-midori/20090628.html