芭蕉さんのお顔? | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

松尾芭蕉のお顔、お姿、

どんなイメージでしょうか?



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許六画。

おくのほそ道に出立するところ。

「ああ、そういえば」と思われるかも。



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英一蝶の芭蕉さん。





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あの北斎の「芭蕉」

「北斎漫画」のなかの「芭蕉」。







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◆ 許六
本名森川百仲。別号五老井・菊阿佛など。

「許六」は芭蕉が命名。

一説には、許六は槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の

六芸に通じていたとして、芭蕉は「六」の字を与えたのだという。

彦根藩重臣。桃隣の紹介で元禄5年8月9日に芭蕉の門を叩いて入門。

画事に通じ、『柴門の辞』にあるとおり、

絵画に関しては芭蕉も許六を師と仰いだ。

芭蕉最晩年の弟子でありながら、

その持てる才能によって後世「蕉門十哲」の筆頭に

数えられるほど芭蕉の文学を理解していた。

師弟関係というよりよき芸術的理解者として

相互に尊敬し合っていたのである。
 

『韻塞<いんふさぎ>』・『篇突<へんつき>』・『風俗文選』、

『俳諧問答』などの編著がある。



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◆英 一蝶

名は信香。字は駿。俳号は暁雲。

別号は朝湖・牛麿・狩林散人・旧草堂・隣樵堂・一峰閑人など。


承応元年(1652年)~享保9年(1724年)。

大坂(大阪)生まれ。

多賀伯庵の子。江戸前・中期の画人。

15歳で父に従って江戸に出て、

狩野安信に入門するが、のち破門。

元禄11年(1698年)幕府の忌諱にふれ、

三宅島に流刑。

宝永6年(1709年)許されて江戸に戻り、

英一蝶を名乗る。