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いつか、再び小笠原へ

1月7日から約1カ月。いい空、いい海、いい人たちに出会い、

いろいろなことを教えてもらいました。

空港がなくても、世界遺産になろうとなるまいと、、

人も自然もあったかいところでした。

良さん、チカさん、万ちゃん、海美ちゃん、なみちゃん、

ハル君、そして市さん、よーさん、

ありがとうございました。

レベルアップしてまた来ます!

http://www.pelan.jp/village/index.htm


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プーランビレッジからみた青空
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南島にて
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2月3日ちびっこくらぶ節分
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ウェザーステーションでみんなで昼食
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見送り風景
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海上自衛隊の消防車が見送り放水!


再び父島に

26日に父島に戻り、シーカヤッカー養成キャンプも29日で終了。

後は一人で漕いであちこち行ってみようと思い、とりあえず買い物と

昼食を食べに扇浦から大村海岸へ直線漕ぎ!


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↑アウトリガーカヌーの漁船使用。おじいさんがレゲエを

かけながら、のんびり出て行きました。



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ウェザーステーションの展望台で昼食。



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烏帽子岩



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人丸島




ラム酒

母島に来たのは、どうしても見てみたいところがあったからです。

小笠原ラム・リキュール㈱・・・ラム酒の製造工場です。

http://www.oga-rum.com/


かつて、小笠原ではさとうきびから「糖酎」というお酒をつくっていました。

各家庭で桶にモロミを仕込み、昔ながらの蒸留方法で

味わいも家ごとに違っていたそうです。

戦争中、強制疎開させられた人々は、そのお酒が入った甕を

畑などの土中に埋めて、帰ったら飲もうと思っていたようですが、

戦後戻れなかった人々もおり、近年でも、宅地造成や道路工事の際に

土中に埋もれていた甕が出てきたとか、割れてしまって、その辺りが、

かぐわしい香りに包まれることが度々あったそうです。


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↑は製造スタート時の原酒(18年モノ)が入ったボトル。

当初このラベルで発売しようと試みたそうですが、

酒税法の関係から「酎」は「焼酎」にしか使えないこと、

また、あきらかにラム酒だということで、お上の許しは

出なかったとのこと。しかし、18年熟成の「糖酎」は

本当に美味しかった!

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今回案内して頂いた小高さん。

お土産としてだけでなく”島の方に愛飲される酒”を

目指して試行錯誤されていました。