開幕戦の感想
仕事しながらネットで開幕戦を”ながら見”してたのであんまり偉そうなことは言えませんが、打ち勝つ野球がしたいのか守り勝つ野球がしたいのか僕には良く分からなかった。今シーズンの落合野球のメッセージが何も伝わってこなかった。
守り勝つ野球を放棄して3失策で負けたのなら、それは負けるべくして負けたということだろう。だけど、打ち勝つ野球を目指すにしてもオープン戦から全く結果が出ていないセサルを起用ってどうなんだろう?まさか福嗣くんの助言ですか?
もの凄くネガティブに考えれば、セサルのセカンド起用は落合政権の弊害ではなかろうか?
レギュラーが怪我したときにそれにとって代わる若手が育っていない。いや、育てていない。去年、優勝が厳しくなった時点で谷、W岩崎に「投資」として出場の機会をもっと与えていたら、開幕戦のスタメンには違った名前があったかもしれない。
若手、ベテラン問わず実力がある選手を起用するというやり方は単純明快だが、中日のレギュラー陣は今や総じてベテランばかり。想定外の怪我というリスクもマネジメントしていかなければならないはず。いつまでも若手軽視でいいのだろうか?荒木離脱のオプションが「オープン戦で結果の出ていない33歳の格安助っ人を起用」という選選択肢だけじゃ、あまりにも寂しすぎないか?
勿論セサルにも頑張って欲しい!(と今更フォローをしておく)

守り勝つ野球を放棄して3失策で負けたのなら、それは負けるべくして負けたということだろう。だけど、打ち勝つ野球を目指すにしてもオープン戦から全く結果が出ていないセサルを起用ってどうなんだろう?まさか福嗣くんの助言ですか?
もの凄くネガティブに考えれば、セサルのセカンド起用は落合政権の弊害ではなかろうか?
レギュラーが怪我したときにそれにとって代わる若手が育っていない。いや、育てていない。去年、優勝が厳しくなった時点で谷、W岩崎に「投資」として出場の機会をもっと与えていたら、開幕戦のスタメンには違った名前があったかもしれない。
若手、ベテラン問わず実力がある選手を起用するというやり方は単純明快だが、中日のレギュラー陣は今や総じてベテランばかり。想定外の怪我というリスクもマネジメントしていかなければならないはず。いつまでも若手軽視でいいのだろうか?荒木離脱のオプションが「オープン戦で結果の出ていない33歳の格安助っ人を起用」という選選択肢だけじゃ、あまりにも寂しすぎないか?
勿論セサルにも頑張って欲しい!(と今更フォローをしておく)
『反骨心』 清原和博著
清原の存在を初めて知ったのは自分が7歳の夏。清原がPL学園の1年生として甲子園に出場していた頃ということになる。
当時の自分はまだプロ野球という世界の存在も認識できていなかったのだが、なぜかPL学園の清原と桑田は生年月日まで覚えてしまうほど、「凄い1年生コンビ」としてはっきりと認識できていた。
そんな清原がドラフトにかかる頃には、自分もすっかりプロ野球ファン(アンチ巨人)になっていたのだが、PL学園の二人を巡る一連のドラマはよく理解できていなかった。清原の心境など察することもなく、アンチ巨人として「『巨人の清原誕生』を阻止できた!」と無邪気に喜んでいたものだった。
自分が無邪気に喜んでいた頃、清原は巨人に裏切られた悔しさから記者会見で涙を流していた。
そのときの心境を清原は以下のように吐露している。
「もちろん、ぼくも桑田の意思を信じていた一人だった。それだけに「裏切られた」という思いが拭いきれなかった。桑田がジャイアンツから1位指名を受けたと聞いたとき、僕には桑田が一瞬笑ったように見えた。ジャイアンツが指名してくれなかったことよりも、そのこと方が僕を傷つけ、苦しめた。」
恐らく、このときから清原と桑田の間には亀裂が生じ、清原の心には桑田と巨人に対する憎しみが芽生えたのだろう。
巨人への憎しみは1996年オフに自らがFA権を行使して入団したことにより一旦は消し去られたのだが、では桑田への憎しみはいつ消えたのだろうか?
1997年4月6日、桑田が右ひじの手術から661日ぶりの復帰登板を果たした日、清原も巨人に移籍しての第1号ホームランを放ち、桑田の復帰戦に花を添えた。
試合後、二人は揃ってお立ち台に立つことなった。
清原が「桑田が2年ぶりに復活するというなかで、1本目のホームランを打てた。忘れられない1日になりました。」と言えば、桑田は「清原はやるときはやる男。僕も忘れれない一日になりました。」と応じた。
当時、この時点で二人のわだかまりは既に消えていたと思っていた。清原が桑田のいる巨人に移籍してくるという事は、過去は全て水に流すということだと思ってもいた。
しかし、清原はこのときの心境をこう述懐している。
「僕の胸のなかにずっとあった、桑田に対するわだかまりがようやく解けていくような気がした。」
つまり、巨人に移籍=桑田との和解ではなかったのだ。
さらに、オリックスに移籍後の自身のモチベーションについて、ドラフトで自分を裏切った巨人への復讐、罵声を浴びせたファン、オーナーを見返すため、解雇通告を受けたことへの恨み、そして桑田への怒りと述べている。
一旦は消えた巨人への怒りはぶり返し、桑田への怒りはあのドラフトの時からずっと燻ったままだったのだ。
清原現役最後のシーズン、清原が1軍に昇格する直前のグリーンスタジアム。清原より先に現役を引退した桑田は清原の打撃投手を務めるためだけに球場に足を運んだ。二人だけのスタジアムで桑田は渾身のストレートを投げ込み、清原は思いっきりバットを振って応えた。
桑田の清原に対する餞ともいえる投球が終わったとき、二人は握手を交わした。
このとき、清原は桑田に対する怒り、わだかまりを全て消し去ることができたのだろうか?
許すことができたからこそ、過去のこととして桑田への怒り、わだかまりをこうして赤裸々に綴ることができたのだと思いたい。
余談だが、僕は清原が西武に入団した1年目、高卒新人ながら31HRというとてつもない記録をマークしたとき、
「絶対に将来、王貞治のホームラン記録を抜くに違いない。僕は歴史の目撃者になれるんだ!」
と心を躍らせたものだった。
しかし、その後の清原は新人時代に残したインパクトを超える活躍を見せることはなかった。
田舎の小学生だった僕の耳にも聞きたくもないスキャンダルが何度も伝わってきた。
その頃のことを本書では率直に
「いちばん練習に打ち込んで、たたき上げなければいけない20代の時期に浮かれて遊びすぎてしまった」
「節制していれば700本はホームランを打てたのではないかと思う。」
と述懐している。
清原がもし巨人にドラフト指名され、入団していたらどうだっただろうか?
マスコミの目が厳しく、遊ぶことができず野球に打ち込み王貞治の記録に迫っただろうか?
巨人の選手であることに満足し、反骨心を失い並の選手で終わっていただろうか?
いずれにしてもすんなり巨人に入団できていれば、その後の数多くのドラマは生まれなかったことになる。そう考えると、清原には申し訳ないが一人のプロ野球ファンとして巨人が桑田を指名したことも、清原が巨人に指名されなかったことも必然だったと思える。
PL学園を卒業し仲良く巨人のユニフォームに袖を通した二人には魅力を感じることができない。
憎まれ役を演じる桑田、反骨心という鎧をまとった清原にプロ野球ファンはドラマを見出し、惹きつけられてきたのだから。
《お勧め度》
★★★★☆
