祓詞と大幣
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
大幣、大幣(おおぬさ)とは神職が紙垂をたくさんつけた棒の事で、
罪、穢れ、災い、祟りなどを祓う神具として使いますが、大幣を作り始めたのが
3年前くらいになるでしょうか、神床の右側に一対の御幣を立て、
祓戸として置いています。
大幣を作るときは、神職と違って外に持っていくことはほとんどありませんので
書道紙を使って作っていましたが、やはり作って振り払うと千切れる回数が多く、
ゴミが出るので破れてちぎれにくい障子紙で作るようになりました。
一昨年、昨年と村社の現総代から村社の伐採の作業をするので、無事安全の
お祓いを頼まれたことがあり、外に持って出たのはその2回だけです。
祓うのはそうは難しくなく、神前で二拝の後、
「かけまくも畏き伊弉諾の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊祓へ給ひし時に
なり坐せる祓戸の大神等、諸々の禍事・罪・穢れ有らむをば、祓へ給ひ、清め給へと
白す事を聴食せと、恐み恐みも白す」の祓詞を奏上し、大幣を持って
祓う対象を意識し、左、右、左と振り払います。
大幣を静かに置いて二拍手、一拝をして終わりです。
禍事・罪・穢れを祓うのは神職でもやっている人でもなく、神です。
その意味からも「神恩感謝」と付け加えるとベストです。
祓詞だと「諸々の禍事・罪・穢れ有らむをば(あるならば)」なのですが、
時に天津祝詞の「罪・穢れを~」と、有るものとしてという意味になり、
意識せずに間違えて奏上してしまう時もありますが、祓詞も天津祝詞、
いずれも大祓詞の省略形で、それはそれで成り立っているので良いと感じるのです。
祓詞の祝詞もお祓いや神事の時の神職のように抑揚をつけたり、
独特の言い回しをしなくても、丁寧に間違えないように奏上することが
大切に感じます。
朝起きて顔を洗って歯磨きをするか、口を漱いで清めてから水玉の水と榊の水を替えて
ロウソクに火を灯し、正直、あまり時間を取りたくないとか面倒くさいなとか
思う時もありますが、大きく3回深呼吸をしてから氣を静めるようにします。
ネガティブな感情や邪気を吐き出し愛と光を取り込むように意識すると
直感が冴えわたり、お参りを始めた時に、思い浮かんだ作法でするようにしています。
こうしたら良いとかを実際にやってみると違和感を覚えず、ハイヤーセルフや
神や宇宙が下した自分では思いつかないことだろうと
感じられることが多々あります。
時に太鼓を打ち鳴らして、天津祝詞、大祓詞、十言の神咒、産土神祓、神棚拝詞、
造化三神報恩祝詞、龍神祝詞、トホカミ、ひふみ祝詞、アカハナマ、カタカムナ、
天地真理観、タカマパル…、と次々と1時間くらい奏上するときもありますが、
こうだからそうしなければならないという思い込みを、基本は外しませんが
時や場に応じて手放すことも大切に感じるのです。
やりたいからやる、それも楽しいからやる、これが基本で、
最近は祓詞、大幣で自分を祓って5分もかからずに終わることが多くなりました。
そぎ落として凄くシンプルです。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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