大分八幡宮へ | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

天神様、天満宮の総本宮でお札を授かろうと、

 

行きは国道へ出て豆田の天満宮、九郎丸の貴船神社、平塚の八大竜王宮を参拝して、

 

冷水峠を抜け筑紫野市から太宰府市へと入り、太宰府天満宮を参拝して、

 

帰り道は米の山峠を通り飯塚市へと戻ってきました。

 

 

 

 

 

峠を下ったところで、弟には太宰府名物の梅が枝餅を買ったのですが、

 

父の妹の叔母と母の兄の叔父夫婦に名物の心太(ところてん)を

 

お土産に買って帰ろうかと、ドライブインの駐車場に入ったところで

 

入り口の扉には、長らく…閉店しました、の張り紙がしてありました。

 

 

 

昨年何度か立ち寄りましたが、老夫婦がドライブインをされていましたので、

 

やはり跡継ぎの関係か、心太や猪肉のステーキなどのジビエ料理が

 

もう食べられないのかと、少し寂しく感じたのです。

 

 

 

注文があって突きだすのでスーパーで買う心太とは比較にならないほど

 

弾力とコシがあって歯ごたえが違ったのでした。

 

 

 

 

 

心太で思い出すのが、おそらく関西以西では、心太は酢醤油で食べる?ので

 

前菜的に扱い、名古屋にいる知人から味付けは黒蜜をかけて

 

甘味として食べると聞いたことで、地域で違い、所変われば品変わるとは

 

まさにこう云うことかと思ったことがあります。

 

 

 

 

まあ、無駄にお金を使うなということかと気を取り直し、

 

帰り道の大分(だいぶ)八幡宮へとやってきました。

 

 

 

 

日本三大八幡宮の一つの筥崎八幡宮の本宮だけあって

 

歴史も古く由緒ある神社です。

 

 

 

 

境内の駐車場に車を入れると2台の車と数台のツーリングのバイクが止めてありました。

 

 

境内でサッカーをして遊んでいる親子がいるだけで

 

1時間前の太宰府天満宮の人出の多さとは対照的でしたが、

 

その分神木や神域には精気が満ちて、空気は澄み、神が働いているのを

 

体にビリビリとした感覚を覚えていました。

 

 

 

 

二の鳥居で鳥居之祓いを奏上し、手水舎で手と口を清め、

 

楼門をくぐって拝殿前に立ちました。

 

 

 

財布から小銭を全部出して賽銭を入れ、一礼して住所、氏名、年齢、

 

お参りへのお礼を述べました。

 

 

 

 

二拝のあと、二拍手の音が、谺が返るほど辺りに響き、

 

神の働きに感謝しながら一拝しました。

 

 

 

 

天津祝詞、神社拝詞を奏上して二拝、二拍手、一拝のあと、

 

ご祭神の益々の繁栄と発展、弥栄を祈り、神恩感謝でお参りを終えました。

 

 

 

 

天津祝詞で祓い清めてもらい、拝詞で神に成り代わり

 

世のため人のためになることの御用を伺うといった意味を込めて

 

祝詞を奏上しています。

 

 

 

 

 

時にこのブログをキーボードで打っていて、

 

参拝方法で、何の祝詞を奏上したとか、どのようなマントラを唱えたとか

 

拍手の様子がどうだったとか事細かに表現するのを、

 

何のためにタイプして打っているのかと自分でも思うことがあるのですが、

 

それにも意味があるから思考に出てきていると

 

ハイヤーセルフは答えました。

 

 

 

誰かが読んだ時にそれは伝わるから必要だとも答えたのです。

 

 

 

それは書いた文章は推敲したりして整合性が取れているか、

 

感情や感覚を表現することもあるので、

 

取れない場合でもニュアンスが合っているかには気をつけていますが、

 

だらだらと一文や文節がありすぎて長すぎたり、

 

ときにはこれでええんかいなと思う文章になる時があります。

 

 

その意志が伝われば良いと高次の存在はOKを出すのです。

 

 

過去の記事を読み返すときもありますが、同じ内容の繰り返しなどが、

 

あちこちに見受けられます。

 

 

 

 

過去記事を今更校正しようと思いませんが、

 

その時の気持ち、意思や伝えたいことは

 

確かにその文字に込められているのを感じますし、

 

スピ的にもそれで良いのです。

 

 

 

 

 

楼門を出て、神木に祓詞、境内社の恵比寿神社、市来島神社に参拝し、

 

それぞれ神社拝詞を奏上して参拝しました。

 

 

 

車に戻り、法螺貝を取り出すときには、誰もいなくなっていましたが、

 

法螺の音は神に届き大宇宙の彼方まで届いたのを感じたのでした。

 

 

 

 

 

法螺作法を唱え、手に巻いた紐を解き、後ろのシートのリュックに戻すとき、

 

法螺貝に有難うと、ひやけんさんの神の水か、

 

お神酒を飲ませるからと感謝しました。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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