節分祭の太宰府天満宮参拝 | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

休日の月曜日、しかも建国記念日の振替祝日で、

 

空に雲はあるものの

 

時折、太陽が差してきて絶好の参拝日和です。

 

 

 

 

平塚の八大龍王神社を参拝して国道から冷や水トンネル抜けて

 

筑紫野市から太宰府市へとやってきました。

 

 

 

節分祭が行われていて車も多く、参道駅前のパーキングは空いているかなと

 

思いましたが、信号待ちで並んだパーキングから精算をして

 

出ようとする車が目に留まり、車をその先に入れて待っていました。

 

 

 

出ようとする車の前から、私の止めている車の後ろに1台割り込んできて、

 

私が待っていた空きスペースに、後ろに付けた車がバックして入って

 

止めてしまいました。

 

 

 

 

仕方がないなと次のパーキングを探そうと出ようとしたところ、

 

前から歩いて来た年配の男性の方がフロントガラス越しに

 

すぐ後ろの車で出るからと合図してくれたのです。

 

 

 

少し車を前に動かして待っていると家族連れの方たちが先に車に乗り込み、

 

先ほどの男性が精算機でお金を支払われていました。

 

 

 

ドアガラスを開け、大きな声で「有難うございますーっ」と云うと、

 

笑顔で手を振り、イヤイヤという仕草に頭を下げました。

 

 

 

白いワゴン車が出て行ったあとそのスペースに車を止めドアロックをしたところで、

 

ベビーカーを押した若い夫婦が、その様子を見ていたようで、

 

「すみません、待っておられたんですね、気がつかなかったもので」

 

と声をかけて来られました。

 

 

 

 

「いやいや、ここを出られた方に声をかけてもらって、

 

私もここに止められたので、気にせずに!」と云うと

 

お互いに笑顔になれたので、これで良いと感じたのです。

 

 

 

神や宇宙のすることは、どう思い、どのような行動をするかで、

 

どんな気づきがあり、神が働いているのかを感じていました。

 

 

 

駅前の交差点から凄い人だかりで、参道に入ってからも

 

少しずつしか進まない人込みに、スマホで撮影しながら

 

どのお店も人が並んでいて、空に鳥が飛び交うのを見て、

 

小声で天狗のマントラをぼそぼそと小声で唱え、

 

節分祭で天神様も喜んでいるのかなと歩いていきました。

 

 

 

これだけの多くの人たちは皆、幸せになりたいから来て、

 

その中にいる私がいるんだなと思うと、

 

拝詞の「世のため、人のために尽くさしめ給え」の意味があるのだろうと

 

気持ちも高揚しているのを感じていました。

 

 

過去・現在・未来の三つの赤い橋を渡り、人に押されるように

 

神門をくぐると、その手前にあった手水舎で清めてないや

 

と気づきましたが、このような時は仕方がないので、そのままで良いのです。

 

 

 

 

祝詞は無理だろうなと思っていると、4列の賽銭場の左端が少ない人数で

 

その後ろに参拝者は並ぼうとしていないのが目に留まりました。

 

 

 

 

 

 

正面の拝殿からずれているからか、後ろを見るとまばらに人がいて

 

写真を撮ったり、お札授与所でお守りを買おうとか話されているのが

 

聞こえてきて、参拝のために待っている人たちではないと感じたので、

 

2組ほど待ってお参りをすることができました。

 

 

 

それでも後ろに何組かおられたので略拝詞と天神様への繁栄と弥栄を述べ

 

参拝を終えました。

 

 

 

ここ太宰府天満宮は菅原道真公のお墓でもありますが、拝殿屋根に生えた

 

草木や飛梅が咲いていて、今の季節に参拝できたことに感謝を覚えたのです。

 

 

 

それからお札授与所へ行ってお札を授かりました。

 

 

神職の方に「こちらのお札を」と声をかけたのですが、隣の巫女さんが

 

代わりに授けてくださいました。

 

 

 

人込みを避けながら神門をくぐって一礼し、遅まきながら手水舎で

 

失礼を念じながら、手と口を清めました。

 

 

 

梅の庭園や国立博物館の入り口辺りを散策して、菖蒲池まで来ると

 

法螺貝のことが思考に出てきました。

 

 

 

 

 

背負ったリュックから法螺貝を取り出すと、晴れ着を着た親娘の方が

 

じっと私を見ていました。

 

 

 

 

目が合い、笑顔で会釈して気を取り直して法螺貝を持つと

 

過去、現在、未来を意識し、法螺作法を唱え、法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

 

少し離れたところで数人が見ているのが目に入りましたが、

 

それ以外の人たちは何事もなかったかのようでした。

 

 

 

 

短めでしたがゆっくりと法螺の音は響きわたり、天空へと消えていきました。

 

 

 

法螺貝をリュックに戻し、庭園から少し出たところで、

 

年配のご夫婦がスマホで写真を撮られていて、目が合ったので

 

「撮りましょうか?」と伺ったところ、奥様は、イヤイヤと断られましたが、

 

ご主人は、お願いしますと言われたので、スマホを預かり、

 

並んでもらって数枚写し、撮れているかどうか確かめてくださいと

 

スマホを返しました。

 

 

会釈をしてその場から離れ、曲がったところの参道で

 

名物の梅が枝餅を買おうと、客が並んでいないことを確認して

 

窓口に行こうとすると、若い男性が急に横に割り込んで来ました。

 

 

 

どうぞ、どうぞ!と譲ると、数人のグループだったらしく、

 

みんなの分を買うだろうからと話していたところ、その男性の分1つだけしか買わなくて、

 

「奢れよ」と楽しんでいるのが分かりました。

 

 

 

 

私の番になり、お土産にと5個入りと、自分の食べる分を注文すると、

 

後ろに行列ができ、その若い男性が並んだから行列ができたと話しているのが

 

聞こえました。

 

 

 

 

私もそれはいつもLight Workerとして意識し感じているのですが、

 

割り込んだその若い男性の波動は…と思ったのですが、

 

そんなことに気を取られるのも波動が高いと言えないなと思ったのです。

 

 

 

何れにしても波動が高いと行列ができ、人が引き寄せられるのを

 

そんな時に感じるのです。

 

 

 

良い悪いは別にして、気分が高揚していると波動は高くなるのです。

 

 

 

 

参道を歩いていると、すぐ後ろで3人組の若い女性が悪口、愚痴を言いながら

 

歩いているのが耳と意識に入ってきました。

 

 

 

 

神社という場所は、文字通り、神が住む社(やしろ)です。

 

 

 

神はどんな人でもどんなものでも受け入れます。

 

 

 

 

しかし、人をあざけり笑い、不平、不満、愚痴を言いながら

 

参道を歩くという行為は、どういうことを意味しているのか、

 

意識の高さということを知らない、分からないという人は、

 

大勢いるのです。

 

 

 

おそらく普段の生活でも、そうだろうと推察されます。

 

 

 

何時かは神や宇宙が働き、次元が低いということに向き合うことになると

 

ハイヤーセルフは答えました。

 

 

 

 

そういう負のエネルギーは受け取らず、気づきがあるために、

 

そういった人に出会う意味があると思えばよいので、ガン無視です。

 

 

 

決しては受け取ってはいけないのです。

 

 

 

 

そしてより次元が高くなった時、そういった人たちとは

 

波動が全然合わないので引き付けず離れていくとも言ったのです。

 

 

 

 

よく感じるのが、赤ちゃんや子供と目が合ったときや犬、猫といった

 

動物と触れるとき、または鳥や虫、または植物、木々といった自然に触れるとき、

 

喜びの感情や意識がストレートに伝わってきます。

 

 

 

 

同じ波動を引き寄せあうという神や宇宙の法則です。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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