天神様に呼ばれた | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

月曜日の休みの日、朝7時ごろ目が覚めて神棚に拝詞を奏上して

 

お参りしていた時、天神様、菅原道真公を祀った太宰府天満宮の

 

お札の事が思考に出てきました。

 

 

 

 

お札を授かったのも、氏子でもある村社を始め、英彦山神宮、天狗の神の高住神社、

 

八幡宮の総本宮の宇佐大神宮、水天宮の総本宮、海神の総本社の志賀海神社、

 

宮地嶽神社総本社、天野御中主を祀った北斗宮、瀬織津姫を祀った和布刈神社、

 

宗像三女神の宗像神社と昨年末、お礼参りと今年のお札を授かりに

 

参拝していたのでした。

 

 

 

天満宮のお札は、村社にも境内社があり、近場にも天満宮や天満社はたくさんあり、

 

参っているので、授からなくても良いかなと思っていたのです。

 

 

 

 

お札はさておき、天神様に呼ばれたのかなと思い、お昼前になったので

 

出かけることにしました。

 

 

 

 

 

猫たちにたっぷりとエサを上げて、いつでも食べられるように

 

お皿に顆粒状のエサを入れ、裏の勝手口を空けて、お留守番頼むねと

 

言おうかと思った矢先、食べ終えた猫たちは勝手口から一目散に出ていき

 

代わりに、玄関の金魚に、留守番頼むと出かけました。

 

 

 

 

 

いつもは米の山峠を抜けて太宰府方面に行くのですが、国道から

 

筑紫野方面へと行ってみることにしました。

 

 

 

 

それから、跨道橋が参道になっている

 

桂川町の豆田の天満宮近くまで来ると、

 

左、左と思考に出て、時間もたっぷりあるので、

 

まあいいかと、そこから入る狭い道へ導かれるように

 

境内まで上がってきました。

 

 

 

この神社も天満宮、天神様の神社で祭神は菅原公です。

 

祭神が同じならば、神の働きも同じだと参拝していて感じるのですが、

 

分霊されたりして、其処に祀られている意味と

 

その土地の利が違うのは感じていました。

 

 

 

 

参拝して天津祝詞で祓い、神社拝詞を奏上し、

 

太宰府天満宮へこれより参りますと述べて、参拝を終え、

 

感謝の気持ちで法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

 

 

豆田の天満宮を出て国道をそのまま行くつもりが、やはり導かれるように

 

その先の九郎丸の貴船神社へやってきました。

 

 

 

 

 

集落の農道のような道に入ると、鳥居の手前で高校生のカップルが歩いていて、

 

微笑ましく感じられ、いつもは一の鳥居の前にバックして止めていたのでしたが、

 

そのまま入るように思考に出て、車のまま鳥居をくぐり、

 

二の鳥居の手前の空き地に車を止めました。

 

 

 

 

 

この神社も昨年行きたいと感じ、また、呼ばれたと感じて何回訪れたでしょうか、

 

私にとって水の神は縁があると感じるのです。

 

 

 

 

お参りを終え、時間もあるので

 

その先にある平塚の八大竜王宮へ行って参拝することにしました。

 

 

 

 

初めて一昨年訪れた時から既視感のある神社で懐かしい感じがする神社で

 

鳥居前は道が狭く止められないので、先の方から境内へ車を止めるのも

 

慣れたものになっています。

 

 

 

 

 

それでも鳥居の脇から出て、一度道の手前まで来て、

 

鳥居をくぐってから参拝するのです。

 

 

 

それに何か意味があるのかと云うと、普通の行動では意味がないとも言えますが、

 

鳥居の先は神域を感じる、神の働きを感じるのでそうしているのです。

 

 

 

 

一礼して賽銭を取り出して静かに入れてから、一礼し、

 

住所、氏名、年齢、お参りさせていただくことへのお礼を述べ、

 

二拝、二拍手、一拝、そして時間がない時や参拝者が多い時は

 

祭神の弥栄を念じるだけ、または略拝詞を奏上し、

 

人がいないときや少ない時には祓詞、または天津祝詞、それから略拝詞、

 

神社拝詞、龍神祝詞、とほかみ神言、ひふみ祝詞を、思考に浮かぶまま

 

奏上するときもあります。

 

 

 

 

祝詞を奏上するというのは、私にとって祝詞やマントラを唱えることにより

 

神の働きを感じるからなのですが、30数年前にお寺と縁があったことで、

 

祝詞でもマントラでも違和感なく奏上出来て、天津祝詞はその頃、

 

般若心経やその他の偈、諸尊のマントラと一緒に覚えていたので、

 

寺社仏閣に和尚たちと一緒に回っていたことが大きいと感じています。

 

 

 

一昨年、宇宙からのメッセージで、できるだけ多くの神社仏閣を巡るように

 

と受け取ってから、日々神社仏閣に参拝するようになり、

 

気がつけば昨年は一年間で1300柱ほど参拝していました。

 

 

 

 

それが生活の一部にもなりワクワクして楽しいと思えたのです。

 

 

 

 

最初は近くの池でフナを釣っていたのが波止釣りになり、それが磯釣りになって

 

宗像沖ノ島へ渡船で釣りに行くようになり、暇さえあれば

 

せっせと海へ出かけていた時期がありました。

 

 

 

 

パソコンについては独学で、アプリの使い方はもちろん、

 

最近はやらなくなりましたが、かつてはパーツを買いあさり

 

自作パソコンを組み立てるまで、夢中でのめり込んでいました。

 

 

 

 

 

 

それがパソコン教室に勤め、インストラクターから

 

教室長を任され、その後独立して

 

開業に至った経緯がありました。

 

 

 

 

 

最近だとアクアリウムで60数台の水槽を設置し、

 

最盛期には1000匹以上飼育していたでしょうか、

 

各水槽から抜き取った排水を、バクテリアを増やすために

 

リサイクルして飼育水を作り、繁殖させるという

 

行き過ぎたところまでやっていました。

 

 

 

やっていくうちに、上り詰めた、極めたという感覚はなく

 

興味が湧いたものが面白いと思えたら、自分なりに

 

とことん納得するまでやらないと気が済まないという、

 

変な性質?があり、良くも悪くも、

 

それが今の私を形成していると思うのです。

 

 

 

 

神社拝詞に続けて龍神祝詞を奏上し、境内で猿田彦大神に祝詞とマントラを唱え、

 

感謝を込めて八大龍王神と天空に向けて法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

 

 

 

神が働いたかどうかは吹き終えて

 

清々しいかどうかですぐにわかるのです。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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