火の神を奉る | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

日頃の生活において居間に神棚、キッチンに三宝荒神の神棚と

 

庭のお堂では先祖代々の神体の石や諸尊を祀っているのですが、

 

父が建てた家は大型台風で破損してしまい、家を建て替えようとしたとき

 

私はまだ若く独身ではありましたが28歳の年でした。

 

 

 

 

我が家のトイレは裏鬼門の位置にあり、同級生の工務店に相談した当時は、

 

運相、家相や風水地理の事などはまったく気にしていなくて、

 

玄関は北西、トイレは裏鬼門となってしまいました。

 

 

 

それも気にせず、良いと思えばそれでも良く、30数年そのままにして

 

住み続けてきました。

 

 

 

 

生きていて運気を上げるとはどういうことか、実際にどうした良いのかを

 

心の在りようを自分に問うた時、掃除して祓い清めることが

 

運気を上げることになると導かれたような気がするのです。

 

 

 

 

 

また過去にはあちこちの学校に行って、直に便器を手で磨き、

 

トイレをピカピカにするという掃除の会に参加させてもらった経験もあり、

 

古い校舎のトイレは磨いても磨いてもなかなか長年の汚れは取れませんでした。

 

 

 

 

 

それでも掃除し終えた時の透明感の気を感じた時

 

不浄を浄化するとはということ意識しだしてからは

 

鬼門にトイレがあることもラッキーなことだと思え、

 

玄関やトイレを、掃除、片付けして浄化し、念入りに掃除をするから

 

運気も上がり波動も上がって良いと感じるのです。

 

 

 

 

トイレには烏枢沙摩大明王のお札を貼り、トイレ掃除をしながらマントラを唱え、

 

掃除をしないときでもトイレを使えばマントラを唱えています。

 

 

 

時に3遍、通常は7の倍数をマントラは唱えると良いと、

 

かつてお寺に通っていた和尚から聞いたこともあって、

 

当時から根拠も何も疑わず、和尚が言うから何か意味があるのだろうと

 

今でも思い込んでいます。

 

 

 

 

これも数秘の一つですが、マントラは意味を知らなくても、

 

その言霊として働くもので、言霊を発する念や氣は、その言葉を借りれば、

 

ぶわーーと伝わる電波のようなエネルギーだと当時、和尚は語っていました。

 

 

 

 

烏枢沙摩明王のマントラも21遍唱えることに意味があると教わったのですが、

 

トイレのたびに21遍唱えるのも、気持ちが乗らないときなどは

 

「オン・クロダノウ・ウンジャク」3遍で済ますこともあります。

 

 

 

今を生きる、中今ということを意識してからは、感謝の気持ちが湧いて、

 

より長く唱えることが多くなりました。

 

 

 

 

烏枢沙摩明王は密教における明王の一尊で火の神、厠の神、不浄浄化の神として

 

信仰されていますが、元々は古代インド神話の火神アグニが

 

仏教に取り入れられたとされています。

 

 

 

アグニの妻であるスヴァーハーはマントラ唱えるときの末尾に着く、

 

薩婆訶(ソワカ)の語源で「成就あれ」「畏み申しあげる」等の意味があります。

 

 

 

 

神話ではアグニの愛した7人の妻がいて、その愛ゆえに他の女性に化け

 

アグニを誘惑していったが、貞操であったアルンダティーには化けることができずに、

 

6人に化けて手に入れた6回の精子から軍神スカンダを生み出し、

 

悪魔の大軍をも撃退するといった活躍をする息子に、

 

「アグニの傍で永遠に住みたい」と願うと、スカンダは

 

「人々が神々や祖先の霊へ捧げる供物を火にくべる時、

 

聖句と共に”スヴァ―ハー”と高らかに唱えるであろう」と宣言したとあります。

 

 

 

 

弁財天だと「オーム・スラスバティ・スヴァーハー」、

 

漢語訳だと「おん・そらそばていえい・そわか」といったように

 

末尾につける場合が多いのです。

 

 

 

この宣言でスヴァーハーの願いは叶い、アグニと結ばれたという

 

恋の物語があるようです。

 

 

 

 

アグニは天上にあっては太陽、中空にあっては稲妻(雷)、

 

地にあっては祭火など、世界に遍在し、家の火、森の火、

 

また心中の怒りの炎、思想の火、霊感の火としても存在すると考えられ、

 

また人間や動物の体内にあっては食物の消化作用として存在し、

 

栄養を全身に行き渡らせて健康をもたらし、

 

ひいては子孫繁栄や財産(家畜)の増大などももたらすとして

 

信仰されている神でもあります。

 

 

 

 

そして我が家には30数年前、お寺の和尚から勧められた三宝荒神の

 

母が祀っていた神棚がありました。

 

 

 

母が介護を要するようになってから私が朝晩、祀ることになったのですが、

 

不浄や災難を除去する神、火と竈の神、かまど神として祀っています。

 

 

 

 

三宝荒神の三宝は仏、法、僧を守護し不浄を厭離(おんり)する佛神とされ、

 

日本仏教独特の神で、日本古来の荒魂(あらみたま)に、

 

古代インドに源泉をもつ夜叉神の形態が取り入れられ、

 

神道、密教、山岳信仰などのさまざまな要素が混交された神でもあります。

 

 

 

 

マントラの「オン・ケンバヤケンバヤ・ソワカ」の「ケンバヤ」は、

 

日天の眷属である地震を司る神である「剣婆」(けんばや)で、

 

「剣婆」はサンスクリット語のKampa(地震波)と

 

同一視されたことからのようです。

 

 

 

 

 

 

または天女の姿をし、文殊菩薩、不動明王、ビナーヤキャ(歓喜天)と

 

同体とされたとある説もあるそうですが、やはり私が祀っていて感じるのは

 

火の神の要素が強いように感じるのです。

 

 

 

 

 

 

社には小さな煤けた像が安置してありますが、幻想なのかどうかはわかりませんが、

 

気分が落ち込んでいた時のこと、参っている最中に社の扉が開いて、

 

小さいオッサンのように顔を見せたと思ったら、パタンと扉が閉まって

 

笑いが止まらなくなったことがありました。

 

 

 

 

 

 

神仏は畏れ多く敬うものといった、いつも重々しい気持ちで

 

堅苦しく拝むものでもないということを教えてくれたお茶目な神様で、

 

より身近に感じた神様です。

 

 

 

 

神棚では三拍、般若心経、マントラと唱えていますので、神仏習合での祀り方です。

 

 

 

時に供えたコップの水が炭酸水のように泡立つのも目にしますが、

 

神が働いているのをよく感じるのです。

 

 

 

 

そしてお寺でよく和尚から言われていた、私には不動明王がよく似合う

 

という言葉からも縁が深いと感じていて、母の実家から祖母が祀っていた

 

神体の石や聖観音の石像などを引き取って、お堂を立て供養を始めた時に、

 

不動明王の像をお迎えしたのでした。

 

 

 

 

 

 

マントラも中咒、ときには大咒の火界咒を唱える時もあり、

 

それは法螺作法のため

 

でもあると感じているのです。

 

 

 

 

 

 

中咒は慈救の咒で誰かや何かを助けるため、火界呪は何の物事にも屈しない

 

不動心でその加護を得るためだと認識していて、迦楼羅炎を背負った憤怒の姿は

 

大日如来の化身であり、その本質は万物の創造主の慈愛と慈悲の心、

 

源の愛と一つでもあると感じているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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