大分八幡宮初詣 | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

 

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

元日は夜明け前に村社に初詣し、母方の実家、父の亡くなった妹の叔父の家、

 

納骨堂、父の妹の叔母、父の実家、弟の家と初詣をしました。

 

 

 

 

何れも近くにあるので歩いて回ったのですが、

 

母方の実家には弟夫婦、その息子2人の家族が子供を連れて来ていて、

 

普段叔父と叔母の2人暮らしの静かな生活とは違い、

 

ワイワイと賑やかに騒いで、叔父も嬉しそうにその様子を見ていました。

 

 

 

弟の孫3人にその場でお年玉を渡し、ここで会ったから

 

もう家には寄らなくても良いかと云うと、

 

甥が「後で寄ってよ」と言うので、分かったと叔父の家を出ました。

 

 

 

 

それから従弟に家に行き、亡くなった父のすぐ下の長女の叔母の遺影に、

 

叔母ちゃん久しぶりに来たよと手を合わせ、次、参りに行くから、

 

と出ようとすると従弟がお茶を淹れて出し、話したがっているのが

 

分かりました。

 

 

 

 

座ってすぐ近くにいる叔母の事や、耳が遠くなり、

 

認知が出始めた叔父の事など話し始めたのです。

 

 

 

 

叔父も叔母も福岡の出なのですが、大阪で生活していた時期の方が長く、

 

話す言葉は関西弁で、羽曳野で生まれ育った従弟は

 

当然関西弁で話すのです。

 

 

 

 

父もがんで亡くなりましたが、叔母も末期がん治療を受け、

 

医者も手を尽くし手の施しようがないとわかった時に、

 

最後は生まれたところに帰りたいと親子3人で引っ越してきて、

 

この地で最期を迎えたのでした。

 

 

 

 

叔父の事だけでなく、近くにいる一人暮らしの叔母の事や

 

父方の実家にいる従弟の事など気にかけてあげてと家を出ました。

 

 

 

それから納骨堂へ行き、お堂の裏にある母方の実家の

 

叔父から5代前の墓石に手を合わせ般若心経を唱えました。

 

 

 

 

ここは墓石があるだけで、お骨はお堂に納めてあるのですが、

 

お盆や正月など開扉したときにしか入れないお堂とは違って、

 

何時でも来ることができます。

 

 

 

 

ウォーキングでもこちら方面に来た時は立ち寄っていて、

 

月に2~3度は訪れて手を合わせているのです。

 

 

 

 

家のお堂でも先祖供養の際にはそのイメージがすぐにできるのです。

 

 

 

 

ここにくると、時折、野良なのかどうかはわかりませんが

 

首輪をしていない猫、黒猫だったり、茶ネコだったりしますので、

 

同じ猫ではないですが、お墓群の隅の方にいて、

 

じっと私を見ていて目が合うことがありますが、野良猫でも

 

神の使いだとすぐにわかります。

 

 

 

 

おいで!と声をかけると、お墓のすぐそばにちょこんと座って

 

般若心経を聞いていることもあります。

 

 

 

ここで、先祖に自分が此処で生きていることに対する感謝の対象は、

 

私の祖だけではなく、あらゆるすべての根本までの

 

先祖を意識するということです。

 

 

 

冥福を祈り、この世に残されたものを見守り、お助けください、

 

という言い方は、現世を離れた御霊、魂を意識したものです。

 

 

 

この意識は平和そのもので、供養することは愛と光にかかわった魂、

 

引いては自分の魂に向けることでもあります。

 

 

 

Light Workerを自覚して、その誇りとして波動を高く保つということで

 

回りを幸せにしている意味がそこにあるように思うのです。

 

 

 

そしてそれは生きていく上で最も難しいこと、

 

許す、赦すこと、他人も自分も赦すことができないと、

 

魂は真に喜ばないのです。

 

 

 

 

自分のこだわりや普段の行動などの軽いものは

 

学びとしていくらでも許すことができますが、

 

カルマと思える簡単には解決しそうもない出来事とぶつかったとき、

 

簡単に許すことはできないのです。

 

 

 

 

そのプロセスを分析し問題点を見出し説明することはできますが、

 

それが分かったとしても、そのカルマと向き合わずしては

 

決して赦すことはできないと感じているのです。

 

 

 

赦すことができるのは、気付かなかった、自分がもらった、受けてきた

 

愛に気づいた時、それに感謝できた時だと感じるのです。

 

 

 

 

次に一人暮らしの叔母の家、そして今は父の末妹の長男の従弟が住んでいる

 

父の実家、そして弟の家へ行き、弟の孫娘と一緒に並んで

 

仏壇に手を合わせました。

 

 

 

明けて2日、母の施設に、面会の申し込みをしていた時間に出かけ、

 

タブレットで面会をさせてもらいました。

 

 

 

母は眠たそうな様子で傍に着いている介護担当者が母に呼びかけ

 

起こそうとしましたが、そのまま寝させてあげてくださいと

 

顔を見ることができたので、安心しましたと施設を出ました。

 

 

 

 

それから前の年に授かった大分八幡宮のお札を返しに、初詣に向かいました。

 

 

 

大分(だいぶ)八幡宮は日本三大八幡の一つの筥崎宮の本宮で、

 

福岡市や遠くからの参拝者も多く、正月2日目はまだ人出もあって

 

駐車場に車を止められるかなと思いながら大分八幡宮へとやってきました。

 

 

 

満車状態でも1~2分待つと参拝を終えた車が出ていかれ、

 

すんなりと止めることができました。

 

 

 

お札(ふだ)を持って参道から楼門をくぐったところで

 

古札入れにお札を納めました。

 

 

 

家で祀るお札は宇佐八幡大神宮本宮で授かり、神棚に入りきれないので

 

授かりませんでした。

 

 

 

楼門まで続く長い参拝の列に並び、少しずつ進む参列の並びに

 

後ろを見渡すと続々と並んでいるのが分かりました。

 

 

 

久しぶりに長い行列に並び、心静かに落ち着いて

 

参拝している人たちを見ながらの待ち時間となりました。

 

 

自分の番になり、祝詞はどうしようかと思ったのですが、

 

略拝詞を奏上し、私の打つ柏手の響きが

 

周りの喧騒の中で強調されて聞こえ、

 

神に届いたのを感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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