希望と光のブログ

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思いついたことを書いていきます。

受講生はどういう風に私をみているのか

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

とかく私に関してミステリアスなところがあるのか、

 

午前中の受講生の女性2人が私の趣味の事などしきりに聞いてくるので、

 

一昔前はアクアリウムで、持ちテナントで営業をしていた頃は

 

60数台の水槽を設置し、1000匹以上の熱帯魚、温帯魚、古代魚

 

レッドビーやブラックビーといったエビ、

 

サワガニやモクズガニ、アカテガニといった甲殻類から

 

ウーパーなどの両生類まで飼育して熱帯魚屋さんのようだったこと、

 

一方はその頃から受講されていてご存じでしたが、

 

もう一人の方はまだ新しく受講されましたので知らないとの事で、

 

今は神社仏閣巡りが趣味のようなものですと話しました。

 

 

 

 

毎日何処かの神社や仏閣に参拝していること、

 

祝詞を奏上し、時には法螺貝を吹いていることなど話しました。

 

 

なぜ祝詞や般若心経を知っていたり、法螺貝を吹けるのか、

 

法螺貝は重たいのかなど、矢継ぎ早に質問攻めに遭いました。

 

 

 

父が末期がんで医師からもう手の施しようがなく余命3カ月と宣告されたとき、

 

母の知人から凄い坊さんが居るから会ってみないかと母に勧められ、

 

それからお寺に通いだしたのがきっかけで、山の中にあるお寺だったことから

 

母一人では山道を夜は知るのは危ないからと

 

仕事を終えて夜に私が母を車に乗せて送っていて、

 

そのうちお勤めに参加するようになったこと、

 

 

 

 

それからお寺の行事などに参加するようになって

 

いろいろ教わったことがあったことから般若心経やマントラ、

 

お経、そして法具の使い方やその意味、錫杖の振り方や

 

法螺貝の吹き方などを和尚から教わって覚えたこと、

 

九重連山で峰入りの行などに参加していたことなど

 

私が30歳前のことで、それから10年くらいの期間

 

お寺に通っていたことを話しました。

 

 

 

あまりこういったことは神社の氏子や宮柱の役をしているという

 

生徒以外は、他の生徒さんには話さなかったのですが、

 

ハイヤーセルフはありのまま話してよいと答えを出しました。

 

 

 

 

 

午後からの受講も無かったので時間があって有り難く思い、

 

しばらく行っていない旧筑穂町の恵比寿神社や老松神社に行ってみようと

 

思考に思い浮かぶまま車に乗り込み出かけました。

 

 

 

 

バイパスを通った方が近いかなと走っていると

 

桂川(けいせん)町に入って豆田天満宮の跨道橋の参道が見え、

 

そのまま曲がって参道へ入っていきました。

 

 

 

天津祝詞、神社拝詞と奏上したところで、もういいかな、と思い浮かびましたが

 

大祓詞とトホカミ、そのあと警蹕まで奏上しました。

 

 

 

 

法螺貝も意識になかったのでそのまま参拝を終え、

 

九郎丸地区の貴船神社へとやってきました。

 

 

 

 

祝詞は短めに!と思い浮かび、天津祝詞、神社拝詞だけを奏上して

 

その先の平塚地区の八大竜王宮へ行きました。

 

 

 

ここでも天津祝詞、神社拝詞、龍神祝詞を奏上して神社を出ました。

 

 

 

この参拝して神社を出た時の時間の感覚は2年前、

 

神社仏閣に出来るだけ多く参る様にメッセージを受け取って

 

参拝しだした時のものでした。

 

 

 

 

午後から老松大明神やフリースクール近くの恵比寿神社への参拝が

 

思い浮かましたが、今回も旧筑穂町のしばらく行っていない神社だけではなく、

 

近くまで来た桂川(けいせん)町の豆田天満宮、九郎丸地区の貴船神社、

 

平塚地区の八大竜王宮、阿恵(あえ)地区の愛宕神社、

 

それからその近くの同じ阿恵地区の老松神社、筑穂元吉地区の老松神社と

 

参拝していきました。

 

 

 

 

 

 

前回は愛宕神社で参拝を終え、それから引き返して家に戻ったのでしたが、

 

やはり祝詞も大祓詞を奏上しない神社もあって、天津祝詞で禊ぎ祓い、

 

神社拝詞で神に伺いを立てるという意識で奏上しているのですが

 

あっという間に終わるので、凄くシンプルに感じるのです。

 

 

 

大祓詞を奏上する意味は大きいと奏上していて頭では思うのですが、

 

思考に強く浮かんだ時だけ奏上すれば良いと私の疑問に対して

 

ハイヤーセルフは答えました。

 

 

 

マントラにしてもそうですが、それをいつも同じ祝詞を唱える、

 

奏上することで形骸化しては身が入らないとも云うのです。

 

 

 

おそらく最近の神の御前での氣当たりは、それも関係しているのではないかと、

 

ふと何となく思ったのです。

 

 

 

 

老松神社を出た後、恵比寿神社へ行く前に、

 

神社近くのフリースクールによってみましたが

 

車は1台止まっているものの呼び鈴を鳴らしても誰もいないようで、

 

夕方で時間も遅かったからか、またの機会にと

 

恵比寿神社へ行って参拝を終えました。

 

 

 

この神社も口コミで話を聞いてご利益を求め

 

遠くから参拝に来られる方もおられるそうで、祝詞を奏上していると

 

神の氣が強く、氣当たりしそうになることもあって、

 

祝詞の最中にゆらゆらと体が揺れたりします。

 

 

鳥居の外から撮影は出来ますが、鳥居をくぐって神域で撮影しようとすると、

 

酷くブレたり、真っ黒になって何も写っていないことがありました。

 

 

 

 

 

何処の神社仏閣に行っても、写真を撮らせてくださいと

 

言葉に出して言ったり念じたりしてブログに載せるために撮影していますが、

 

天道地区の恵比寿神社や他の境内神社で恵比寿神に参る時と

 

同じ神の氣を感じても、やはり神の働きが強い、

 

磁場が関係している土地の利があるのでしょう、

 

それでも呼ばれた感があって参拝できて良かったと

 

お参り後に気持ちが明るくなるのです。

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

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