皆様こんにちは。沙貴 誉(さき ほまれ)です。
早速ですが、皆様は自分と異なる意見を見聞きしただけで、自分の心が傷付いた事はありますか?。
私はしょっちゅうです(笑)。
例えば友人と会話をしてて、友人の意見が自分と異なるだけでも、かなり心が傷付きます。
何ででしょうね?。
豆腐メンタルすぎて、自分が嫌になります。
実は私、何かを分析する事が結構好きなので、自分が嫌な気持ちになった時は、徹底的に自己分析するのです。
分析とは言っても素人考えで、偏見と独断の丸出しですが。
それで、何で自分と異なる意見を見聞きしただけで傷付くのか、考えてみたのですよ。
何でこんなに心が傷付くのか。
色々と考えてみると、どうも自分と異なる意見を見聞きしただけで、まるで自分が否定されたように感じてしまっていたのです。
だから、勝手にショックを受けて傷付いていたのです。
意見の違い自体は、決して悪い事でも何でもないはずです。
違う意見は許さない、なんていう世界の方が怖いです。
難しい言葉を使うと、全体主義とか思想統一とか、言論統制、言論封殺のようなものが支配している世界は、闇が深いと思います。
異なる意見が様々にあると言う事は、その分の沢山の可能性が広がる証でもあると思うのです。
多様性があった方が、世界は発展すると思うのです。
ひとつの意見しか許されない世界は、いつか滅びにしか向かわないのではと思います。
もちろん、自分の意見・言論には、責任を持つ必要があります。
何でもありと言う訳にはいきません。
言葉は毒にも薬にもなります。
救いにも凶器にもなります。
誹謗中傷はいけませんが、意見や批判ならば、公共の福祉に反さない範囲で自己責任の下に自由に発言できる権利が、現代の日本ならば誰にでもあります。
異なる意見があるからこそ、今日も世界は動いていて、地球は回っている。
そう考えるようになってから気持ちが楽になり、以前ほどは傷付き難くなりました。
いや、でも、まだ傷付くんだけどさ(笑)。
そうなかなか、自分の欠点って直る訳ではありませんので。
それでもだいぶ楽になりました。
とは言え、異なる意見でも、許容出来ないものもあります。
①攻撃的、暴力的なもの
②排他的、選民思想的なもの
③品性下劣なもの
…等々(他にもあるかもしれませんが、今思い付くのはこんな感じ)、これらのような意見には、同意も肯定も出来ません。
関わり合いたくないので、距離を置きます。
とは言え、そういった人々を、魂のレベルで排除している訳ではありません。
我々は、誰もがこの現世で魂の修行をしている仲間ですから。
誰もが、未熟なのです。
私だってもしかしたら、過去生では、上記の①②③の状態を特に持つ酷い人格だったかもしれない。
いえ、現世でも、全く無いとは言い切れませんし。
それは断言できる。
まだまだ未熟者なので。
ま、そんな感じで、そういった①②③の状態が特に酷い人々には、心の中で、「平和でありますように。愛と幸福に包まれますように」と祈って、後は距離を置きます。
それと、私はもし異なる意見で自分の心が傷付いても、傷付いた事自体は否定せずに認めます。
私は自分の感情は否定したくないので、まずは認めます。
これは仮に、相手が私を攻撃したり人格否定してきたが故に自分の心が傷付いても、傷付いた事は認めます。
「あんな酷い事を言われたら、誰だって傷付くよ。私は傷付いたんだよ。も~、嫌っ!」
と。
その後は自分の心の中で、
「意見が違うからといって、必ずしも私への否定ではないんだよ。仮に相手が私を攻撃してきたとしてもね。攻撃して来た人は、その人の自分の心を守るためにやった事だから。究極的には私への否定ではなく、その人の心を守るための防御に過ぎない。異なる意見があるのは、今日も地球が回っている証拠。私は全体主義や思想統一よりも、責任のある自由な世界がいい」
と唱えて、自分の心を落ち着かせます。
ま、ただ、相手の私への攻撃が常軌を逸していたら、現実的な対処をすると思います。
しかるべき専門家に相談するとかね。
今のところ幸い、そのような対処をした事はありませんが。
自分と異なる意見を見聞きして自分の心が傷付いてしまった場合、その心を落ち着かせたり癒したりするには沢山の方法があると思いますし、人それぞれに合うやり方、合わないやり方はあると思いますので、自分に合うやり方を見つけるのが一番良いと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と平和と喜びが皆様と共にありますように