皆様こんにちは。沙貴 誉(さき ほまれ)です。
①ドラマはサラリとしか観ておりませんので、間違いや勘違い、思い込み等がございましたら、申し訳ございません。
②主人公の助左衛門は、最初は助左と呼ばれていましたが、ここでは助左衛門で統一させて頂きます。
誉の『語りたいシリーズ』(笑)も、今まで一番長い⑥まで来ましたが、なるべく今回でまとめてみようと思います。
利休切腹と原マルチノ、そして関ヶ原へ
『黄金の日日』での千利休は、出番こそは少なかったのですが、出るたびに強いインパクトを残しました。
強いインパクトとは言っても、華やかで目立つという意味ではありません。
静かで柔らかく、厳かです。
それが何とも言えぬ威厳を醸し出しています。
千利休は助左衛門にとっては、恩人であり理解者の一人です。
“納屋”の姓を譲ってくれたのも、利休です。
利休も助左衛門も、かつては親しくしていた豊臣秀吉とは溝が出来て、次第に心の距離が開いてしまっていました。
原マルチノは、信長の時代に天正遣欧少年使節団の一人として日本を出発し、欧州を歴訪した人物です。
天正遣欧少年使節団と言えば、やはり『戦国鍋』の「GO!天正遣欧少年使節」を歌いたくなる私です(笑)。
まあそれはともかく(笑)。
少年使節団は、秀吉の時代に日本に帰って来ます。
そしてドラマでは少年使節団は聚楽第で秀吉に謁見し、原マルチノはリュートを演奏します。
原マルチノはその後、京都の利休屋敷で、利休と助左衛門の前でもリュートを演奏します。
物悲しくも美しいリュートの音色は、利休と助左衛門の心に響きました。
この頃、利休の周辺は、不穏な空気が流れていました。
秀吉から醸し出される不穏な空気でした。
利休が秀吉から堺の屋敷での蟄居を命ぜられると、助左衛門は利休に「呂宋に参りましょう」と誘います。
逃亡の手順として、決行の日には、小舟に乗って原マルチノと共に助左衛門が利休屋敷に行くので、リュートの音色を合図に、利休が密かに屋敷を出て小舟に乗り込んで脱出する、という計画でした。
そして脱出決行の日。
利休屋敷は、堺の奉行所の兵士で取り囲まれました。
堺奉行となっていた石田三成が、秀吉からの命令で利休屋敷を取り囲んだのです。
実は、利休が蟄居を命ぜられた時、利休の助命嘆願をしたのは、三成一人だけでした。
利休の弟子でさえ、巻き添えになりたくないために、誰も嘆願には来なかったのです。
三成は最終的には秀吉の命令に従う事になりますが、利休の身を案じて正面から利休屋敷に入ろうとした助左衛門を、何としても助けようと、助左衛門が屋敷に入る事を阻止します。
利休自身も、屋敷を兵士に取り囲まれた事で、覚悟しました。
脱出を諦めたのです。
覚悟を決めた利休の耳に、リュートの音色が聞こえました。
「ああ、来てくれたのか」
と、利休は微笑みます。
リュートの音色が、どこまでも響いていました。
そしてこの十数日後、利休は切腹をして、天に召されました。
利休切腹とリュート。
まさか利休の切腹にリュートを持って来るとは、私は一切想像してなかったので、驚きと新鮮さとがありました。
利休切腹という悲しい出来事に、物悲しくも美しい音色がピッタリと合っていた、というだけではありません。
利休の生き方と死の美しさが、リュートで表現されていたのではないかと思います。
そしてもちろん、助左衛門たちの悲しさも。
リュートを使うという演出に感動した私ですが、何ともう一度感動した場面がありました。
それは『黄金の日日』の最終回。
助左衛門が、リュートを奏でていたのです。
関ヶ原の戦いが終わり、石田三成や小西行長、安国寺恵瓊という親しい友人たちが処刑された事を知った助左衛門が、リュートを奏でて親友たちの死を悼んでいたのです。
これもリュートが、助左衛門の悲しみを表現しつつ、三成らの生き方と死についての、物悲しさや美しさが表現されていたのではないかと思います。
『黄金の日日』の演出は、素晴らしいとしか言いようがありません。
まとめ
『黄金の日日』について、感じた事を書いてみます。
『黄金の日日』のテーマのひとつに、「滅び」があるのではないかと思います。
『黄金の日日』は最初の頃、海辺の都市が炎上している映像が流れていました。
あれは助左衛門たちが権力者(徳川家康)に堺を渡さないという強い決意の元、住人のいなくなった堺に火を放ち、火の海になった最終回での堺の映像です。
それを最初の頃に映像として流していた、その抜群のセンスが本当に素晴らしい。
“黄金の日日”と称されていた絶頂期の堺が、「滅び」に向かってドラマの物語が進むのです。
また、助左衛門にとって親しい友人との永遠の別れも、これでもかというくらいに多いのです。
杉谷善住坊、石川五右衛門、お仙、石田三成など、涙が溢れずにはいられません。
助左衛門は最愛の女性や結婚を決めた女性とも、どちらとも結ばれませんでした。
そんなままならない人生の中でも、助左衛門は自由都市の自由な商人としての矜持を胸に、権力者に媚びず、海外と交易を行い、大海原へと漕ぎ出ます。
「滅び」には向うけれど、呂宋に新しい堺の町を作るなど、最後には希望も灯されます。
「滅び」と「再生」、「希望」。
そして「自由」を愛する心。
それらをこのドラマから、私は強く感じました。
私はあまり大河ドラマを観た事はないのですが、今まで観た大河ドラマの中でも、この『黄金の日日』は、3本指に入るくらい好きになりました。
ドラマの関係者の皆様、素晴らしいドラマを本当にありがとうございました。
『黄金の日日』について語るのは、以上にしたいと思います。
ご拝読ありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と平和と喜びが皆様と共にありますように