忘れたくないような出来事を
書き留めていくだけの
日記なのです・・・
誕生日。
母が私を産んだ日である。
私の小さい頃は正月三ヶ日だけに商店街は軒並み休みで、
誕生日ケーキなんて買ってもらえなかった。
それが当然で大きくなったのだけど、
さすがに高校生くらいになったころには
町のケーキやさんは営業しているようになった。
もう20年以上前の今日、クラブの練習から帰って自宅につき、
母に「今日の晩御飯なに?」と聞くと、
何だかわすれたがフツーの晩御飯だった。
ちらっとみても特に変わったこともなく
普段通りだった。
何だかとてもガックリして母に
「今日、何の日か覚える?」と聞いたら
母は
「へ?なんのこと?」
と言った。
とぼけてるのか!?と思ったのだが・・・違ったw
正月産まれの性で、特にそれまでも誕生日当日に
執着はなかったのだが、なぜかなんでだか
その日だけは猛烈に悲しくなった。
覚えてないが多分クラブで何か面白くないことでも
あったんだろうかと思う。
何だか誰も自分なんて必要ないんだ…と感情が暴走して、
母にあたりまくった。
滅多に親の前で泣いたことなどないのに泣きじゃくりながら、
「どうせ私の誕生日なんか!私なんかいてもいなくてもいいんや!」と
母に言い捨てて家を飛び出したのだ。
母にしてみりゃ、
毎年正月だから別に無理に3日にせんでも別の日になんかしてく
れたらいいといいつづけた私なのに、
なぜ今年に限って!?とびっくりしたに違いない。
だけど、もう暴走してしまった私の感情は自分でも
コントロールできなかったのだ。
家を飛び出して、
ま、結局田舎なんでどこもいくところなんてないので、
近くの公園に行ってぼーっとしてた。
いせいよく飛び出したものの、
真冬の寒空にコートも着ずに飛び出したのだから
めちゃめちゃ寒い。
「このまま凍死してやる!」なぞと言うヤツに限って
実際はできるわけがないので
私のぷち家出はほんの四時間ほどで不本意ながら自ら撤退を決め
スゴスゴと自宅に帰ったのである。
我が家ではまるで何事もなかったように夕食が準備されていた。
フツーの晩御飯だったけど、
数時間前とは違って
真ん中にちょこんと誕生日ケーキが置かれていた。
母が「ごめんね」と言いながら
私の名前を書いた白いポチ袋を握らせた。
中には一万円札が入ってた。
私は、それをみてまた猛烈に悲しくなって
「おこづかいが欲しかったんやない!」と言って
母に突き返したが、母はごめんねごめんねと言いながら
私のポケットにそのポチ袋をねじ込んだ。
毎年、自分が「正月に中途半端に祝わんでも別の日にして」と
母に言ってたのに・・・という申し訳なさと、そんなことで
泣きじゃくってたのが恥ずかしくて
さっさと部屋にこもってしまった。
せっかく母が寒空の下、あわてて買いに行ってくれたケーキなのに。
何度思い出しても、後悔ばかりして胸が締め付けられる。
なんであんなこと言ってしまったんだろう。
・・・・・・・・・・・
母は毎年私の誕生日前になると
「なんかほしいものこうたげるから言いなさい」
と言う。
最初の頃は嬉しかったが
私が結婚したころから
そして、母が病気になってからは
どうしても何も買ってもらう気にならなかった。
そんなお金があったら、
母自身の欲しい物に使ってほしいと
どうしても思ってしまって、
母から「なんか買ってあげるから」と
言われても「なんもいらん」と言い続けてた。
病院の帰りに梅田の百貨店なんかに行くと母は
必ず、「これなんかかわいいんちゃう?買ってあげるから」
と言うのだが、
ずっと「ここに私のほしそうなもんなんかないやろ?いらんいらん」と
かたくなに言っていた。
本当は、私の欲しい物より自分の欲しい物にお金を使ってほしいから
といえばよかったのかもしれないが、
照れくさいのでいつもぶっきらぼうに
「こんな趣味ちゃうねんからいらん」と言って断った。
母は「この子は女の子やのに愛想ないわ・・・」と
いつもちょっと残念そうだった。
「来年のあんたの誕生日は何がほしい?
3月には赤ちゃんにもプレゼントせなあかんな。
何がいいか考えておいてや・・・」
母は12月にはいってすぐにそういいました。
私は「はいはい。わかった。そんなんより、早く元気になって
みんなでカニ食べにいこうや。」
といつものように母の言葉をはぐらかしました。
12月5日に母が亡くなりました。
そばにいたのに助けれなかった自分の無力さに
後悔と、母の最期の姿が目に焼きついて
とにかく毎日毎日めそめそしてしまう。
この日が遠くないことはわかっていたのに。
そのために、心の準備もしていたつもりだったのに。
あとちょっとだったのに
孫を抱かせてやれなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1ヶ月が経とうとし、産まれてくる赤子のために
部屋を片付けようとして、
ほんとに母にもらったものが
ほとんどなーんにもないのに気付きました。
残っているのは
母が元気なときに剥いてくれたけど、勿体無くて食べれなくて
冷凍庫に入れたままの栗。
病院で、母が「これあげる」っていってくれた缶詰とか。
なんだか「・・・これどうすんの?!」ってなもんしか
のこってないや。
こんなことになるなら
こんなに早くいってしまうなら
何か一つだけでいいから
大事に残しておけるもの
母に買ってもらえばよかった・・・と思いながら
今日はしくしく泣いてしまった。
でも
この思いは、きっと新しい大事な思い
なんだとも思う
41歳の誕生日なのでした。
母さん、産んでくれてありがとう。
オイラも大事に育てるよう頑張ります。
そういえば
あの白いポチ袋は、今も手をつけれずに
貯金箱にしまってあるのだ。
宇宙にいたときは。
私の大事な友達は
もうすぐその不自由な体を脱いで
生まれ変る。
それはもう
時間単位で近づいてくるようだ。
私は昔、事故で自分の体から離れたことがある。
頭おかしーんじゃないか?って思われるだろーし
あまり人に話さなかったけど
今ならこの話、してみたいと思う。
その時私は
物凄い勢いで遠いどこかに吸い込まれていった。
黒い黒い大きな意識の塊の中に。
黒いといっても
恐ろしい黒さじゃなくて
エネルギーが集約しまくった最高レベルの
光が集まったためにむしろ「黒く」見えただけ
だと思う。
その中に私は吸い込まれていった。
どうやらそれは、陳腐な言い方をすれば
宇宙の果てのようだった。
大きな意識の塊は
実はたくさんの意識が集まっていて
でも、一つの意識ででもあった。
とてもシアワセな気持ちだった。
どれほどの時間が経ったのか
とても長い
そしてとても短い時間だったと思う。
私は眠っていた。
だけど、ある瞬間に「気がついた」のだ。
「気がついた」ということに私は慌てた。
それは「私」と言う自我が産まれた瞬間だったからだ。
みるみるうちにその意識の塊から
「私」は形になり始め
「私」はそれを必死で止めようとした。
えええ!?
私、まだ「私」をやらなくちゃいけないの?!
もう勘弁してよ~~!ここにいさせてよ~
うそうそ~マジで~?
そう思って必死にもとの意識の塊に戻ろうとしたのだけど
自分でもわかっていたのは
一度「私」であることを認識した以上
もう戻ることは出来ないのだ。
まるで後ろから押し出されるように。
丁度、昔見た
点描を押し出すオブジェのように
私は「私」の形になっていこうとしていた。
少し諦めに似た感情だった。
次に気がついたら
私は一筋の光の線になって飛び出していた。
周りを見ると、同じような魂が線になり
その意識の塊から飛び出して
地球に向かっていた。
すぐ近くからも同じように飛び出した塊が
まるで流星群のように地球に降り注いでいった。
ほんのすこしの時間差は
地球では物凄く長い時間差だったようだ。
光の筋はあるものは人間に
あるものは草木や動物に
海に吸い込まれていくものもあった。
近くから飛び出た塊たちに
「また、会おうね」と
声を掛け合った。
ああ。あの魂はあそこに向かうのか。
ああ。あの魂はあっちに行くんだ。
光の線になったそれらの魂には
なぜか、産まれるときの名前がもう書いてあった。
そこだけなんだか現実的(笑)。
また会おうね。
また会おうね。
お互い、あっちの世界にいけば
忘れてしまうだろうけど
きっと、会えば思い出すよね。
そう思って
私は産まれた。
・・・っていう夢を見たことがあるだけなんだけどね。
本当の世界は
とてもいいところだった。
修行の足りない魂は、こっちにきて
勉強して勉強して
いつかあの魂の中で過ごすことができるんだな。と思った。
そのために生きているんだなと思った。
魂はたくさんの意識であり
また唯一であった。
それは宇宙から見れば
ほんの一瞬のことなのに
でも。
人間に産まれれば
そんなことを忘れて
つまらないことで
喜んだり
はしゃいだり
恋をしたり
苦しんだり
病気になって
怖くなったり
焦ったり
恨んだり
妬んだり
するのだ。
すっかり忘れて
あの世界、いや、この世界がすべてだと思い込み
この世界が永遠だと誤解し
ただただ振り回されるのだ。
わかっているはずなのに。
なのにやっぱり。
今感じることは
寂しくて焦る
悲しくて言葉にできない
うまく伝わらない
伝えられない。
伝えたいのに。
言葉がでない。
ダメだね。
宇宙にいたときはね。
わかってたつもりなんだけどね。
まさるさん。
会いに行くからね。
私が勘いいの、知ってるでしょう?
犬みたいに鼻が利くのしってるでしょう?
離れ離れになった小さな同じ魂の欠片
見つけ出すのが得意なこと
知ってるでしょう?
まさるさんは
褒めてくれたよね。
当の私が信じてないのに
まさるさんは信じてくれてたよね。
変な人だと思ったよ。
必ず。
必ず探し出してたどり着くからさ。
大丈夫だからさ。
待っててよ。
少しだけ先に行くまさるさん。
でも安心して。
見つけ出すから。
また、
むこうで会おうぜ。
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北の旅④
私は、とにかくここに居てはいけないような気がしてきました。
自分の許容範囲を超えてしまう。
明日、ここを出よう。
そう決めました。
眠ることも出来ず、翌朝早くに宿のおじさんに
帰る道を聞いてでました。
運転しながら、私は少し思い返していました。
昨晩、あまりに驚きすぎて館長さんのおうちを出るとき
きちんと挨拶もお礼も言ったのかどうか
なんだか頭から飛んでしまっていました。
ばたばたと飛び出すように出ていってしまって・・・
明日は鮭の上る川を教えてあげるよと言われてたのも
ほったらかしにして、何も言わず帰るのは正しいのかどうか
とても悩んでいました。
悩んでいるうちに館長のおうちの近くに着いたのですが
やはりもう一度ドアを叩く勇気はありません。
私は、又帰ってからお礼の手紙を書くことにして
素通りすることにしました。
うっかり帰る道を間違ってしまい、行き止まりの原っぱに
出てしまい、そこで少しボーっと景色を眺めていました。
すると、遠くに馬が見えます。
赤と白と黒とまだらの4匹。
一匹の馬が私に気付くとこちらに走りよってきました。
びっくりしていると、4匹の馬は私を取り囲み、
鼻でそっと私の顔を触ります。
最初は、怒られる?噛まれる?と少し怖かったのですが、
馬の目は敵意を持っておらずじっと私を見ています。
恐る恐るそっと鼻の頭をなでると、
気持ちよさそうにそして、それぞれ順番を待っています。
馬をそうやってなでていると、なんというのか、
ようやく落ち着きました。
馬たちにお別れを言って再び車に乗り
帰り道を探しました。
そして、車を走らせていると
途中で、学校の看板が目に入りました。
そこは、Yちゃんの母校で
彼女も私も高校時代はブラスバンド部ででした。
彼女がここでフルートを吹いていたという話しを思い出し
ああ。そうだ。
彼女に学校の写真を撮って送ってあげよう。
そう思いました。
学校の近くの道の脇に車を停め
校門を探して学校の周りを歩きだしました。
少し離れたとこに大きな校門が見え、
私はその前で、彼女を思い出しました。
高校生の彼女はここで
毎日を楽しく過ごしてたんだろうな。
彼女の高校時代を想像して
何枚か写真を撮りました。
もし、私が一緒の学校だったら、
彼女がフルート、私がコントラバス。
きっとその時から友達になっていたんだろうな。
そんなことも想像したりしました。
さぁ、もう十分。
写真を撮り終え、車を停めたほうへ向かいました。
この先の道を左に曲がったところに車が停めてあります。
曲がり角まで来て
車の方を見あげてみると
そこに
道がありました。
まっすぐに伸びる道。
土の道。
両サイドには、大きな木が規則正しく並んでいて
その後ろには、白い少し低めのフェンスが続いています。
ただそれだけの
単なるまっすぐな道。
ありふれた光景かもしれないけれど
私は、何度も何度も見た道
間違えるはずはありません。
ここだ。
彼がくれた道だ。
私は、その場所で動けずに
その道を見つめていました。
ぼろぼろと涙が出てきて
「なんでこうなるんだろう。どうしてこんなことになっちゃうんだろう。」
そう心の中で繰り返していました。
そして、車のそばまで戻ってみると
写真には写っていなかった
三角屋根の建物が見えました。
広い原っぱの中にある三角屋根の建物。
見つけてしまったのは
私の場所なんかじゃなく、
それは彼の場所でした。
なぜ、見つけてしまったんだろう。
初めて来た、その見覚えのある景色は
心のどこかに、
何か忘れているままじゃないか、
そんな不安をかきたて、
まるでそれは
初めて彼の歌を聴いたあのときのように
私の心を締め付けました。
私は、ただぼろぼろと泣き続けました。
北の旅③
暫く固まっていたのですが、ようやく
「あの・・・私も・・このCDもってます・・。」
と搾り出すように声を出しました。
奥様も驚いて近寄ってこられ、館長さんは目を丸くしてます。
三人で、大騒ぎになってしまいました。
お二人は私が息子さんの活動を知っていたという喜びで
私は・・・あまりのことで理解が出来ないパニック状態の大騒ぎ
館長さんはもう大はしゃぎで
「そうだ。あの子に電話しよう!喜ぶに違いない。」と
電話に向かいました。
私は必死でそれを止めました。
どうしていいかわからなかったのですが
もし、私がここに居ることを彼が聞いたら、それはそれで彼も驚くでしょう。
私だって何を話せばいいのかわかりません。
遠く離れて状況も読めない状態でいきなり、自分の親と私が
一緒にいるなんて、不安に思うのじゃないか。
何より・・・私はとにかく怖かったのです。
目の前で起こった出来事が、理解できず思考がついていかない
パニック状態だったのです。
喜ぶ館長さんと奥様の「泊まっていきなさい」と言う言葉を
何とか辞退し、私は駅跡近くの宿に泊まることにし
心配する館長さんの家をお暇することにしました。
彼の育った家、彼の家族。
彼が実在する人であることはもちろんわかっていたけど
出会うこともないし、
近いようで遠い、丁度いいバランスに居たのに、
まるでポンッと放り投げられて、
突然彼のテリトリーに「侵入」してしまった自分を
どうしていいのかわからず、とても混乱していました。
このくらいの偶然は良くある、仕方ない程度のものなのか
それとも、通常じゃ考えられないレベルの出来事なのか
正確に判断する能力もありませんでした。
「異常」と言う言葉が私はとても嫌いです。
小さいときから、その言葉を聞くときは
とても悪いときでした。
「普通」から離れていることはとても悪いことなのです。
館長さんに電話してもらった宿に着いて
部屋に入って私は一人で
今起きたことを整理して考えていました。
どこがおかしかったのだろうか。
何がいけなかったのだろうか。
今頃
きっと館長さんは息子に電話しているだろう。
彼は、いったいどう思ったのだろう。
私を
怒っているだろうか。
そう考えて、不安で悲しくて頭がおかしくなりそうでした。
北の地②
私は、いつか自分の探している景色を見つけたかったのです。
だけどなんの手がかりもないもんだから
いつも行き当たりばったりの思い込みで
遠い国ばかりを旅していました。
学生時代、皆が「北海道だ 沖縄だ」
と言ってるころ、私はいつもバンドの練習しか
興味がなくて、一度も行きたいと思ったこともなかった。
北海道なんて
寒いししかも昔のドラマの面影しかなくて
やだやだ。あんな重苦しいの。
そう思っていたのに、ほんと単純。
初めての北海道から半年後、すっかり北海道に魅せられた
私はまた一人で北海道のその町をおとずれることにしたのです。
ここにあるとおもった「何か」は
実は私の心の中では
「きっとあの夢の景色に違い無い」
と思っていたのでした。
白い一面の雪が溶けたら、きっとその下にあの景色があるんじゃないか?
冷静に考えれば、空想の場所でしかないあの場所が
実在するわけ無いのですが
ともかく、昔からひらめいたことにはとにかく進むと決めていたので
自己満足のためにいくことにしました。
そして、彼女にだけは・・もとい、彼にだけは
正直に手紙を書いておきました。
「見つけたと思うんです!夢の場所を。
ごめんね。せっかく送ってくれたあなたの町ではないけれど
通りかかった初めての町で、
あの気持ちは今までになかったくらいの気持ちだったし
きっとあの町にあると思う。
北海道の東の果ての小さな町。
あなたの故郷だったほうが劇的で素敵な話だったけど。」
そして、私は
何か手がかりがあるわけでもなんでもないけど
ただ、北海道に一人で行こうと決めたとき
ネットのある北海道の旅行サイトで
景色の良いところを探していたところ
一人の男性から「僕の生まれたところには360度の地平線が見える場所があります」
と教えてもらって、その言葉にとてもひかれました。そしてそこは丁度
私が行こうとしているまさにその町だったのです。
たくさんの書き込みの中でその人の書き込みだけ、何か違いました。
具体的に何が?といわれても・・・わからないのですが。
でも。私はその人の書き込みを選んでコンタクトを取ることにしました。
その人となんどかやり取りするうちに
実は今度はその人が男の人でなく
女の子であることがわかりました。
実は当時はネットで女の子だとわかると時々めんどうなこともあったので
私も男の人のようなふりで書いていたのですが
彼女も同じくそれで男の人のふりで書いていたそうでした。
お互いにそのことがわかって、とってもおかしくて。
どんどん話し始めると
まだ顔も何もしらないのに、彼女とは
何か心が通うようで、
私は彼女のことが大好きになりました。
何度も何度もやりとりをするうちに
いよいよ北海道に行く日が近づいてきました。
彼女から
「送りたいものがあるので住所を教えて」と言われたので
伝えると、程なく手紙が届きました。
中に入っていたのは、彼女の産まれた町、私が行こうとしているその町の
景色が入ったテレホンカードでした。
秋、冬、春と
その町からみえるさまざまな景色を切り取ったような
素敵な版画のテレホンカード。
手紙には
「故郷を出るときに、持って出てきたのだけど
これ、あなたにあげる。夏だけは使っちゃたのかどうか、探したんだけど無くて。」
と書いていました。
小さな町からたった一人で都会の新しい生活に向かう彼女が、
町のことを思い出すために持って出たそのテレホンカード。
そう想像すると、なんだか切なくて申し訳なくて。
でも彼女は
「もう必要ないから大丈夫!あなたが持っているほうが
きっと良いことがおこるような気がするから」
と。
ありがたく私はそのテレホンカードを頂くことにしました。
そして、
もし。できれば、このテレホンカードの足りない「夏」の一枚を
その町で買って、そしてもう一セット買って、彼女へのお土産にしよう。
と思い、持って行く荷物の中に大事にしまいました。
いよいよ北海道に。
空港に降り、前回の出張で仲良くなった役所の人が
迎えに来てくれて一緒に食事をし、
「とりあえず、端の端まで行ってくる。そこで何日か過ごして
満足したら適当にここに又戻ってくるから、その時にまた連絡するね。」と
その人に約束し、私は一人であの町に向かいました。
「満足したら」と言ったのは心のどこかで
「何か見つける」と思ってきたものの、そんなうまく何かが見つかるわけないわな。
という、自分へのちょっとした言い訳でした。
みつかんなくて普通当然。
だから、何も見つからなくても自分さえ満足したら、帰ってきて
みんなと一緒にバカ騒ぎしよう。そのためにここへ来たのだという
言い訳を用意して。
そして私は向かったのです。
北海道の東の端っこ 牧畜の盛んなその町へ。
その町へ行って私はまず役所に行って
彼女が送ってくれた版画の原画が見れるかどうか
聞いてみようと思いました。
役所では、忙しそうな男の人が出てきてくださいました。
あのテレホンカードを見せながら、どこでかまだ販売されているかどうか聞くと
これは随分前の町何かの記念祭のときに特別に作ったもので、
もうおそらくどこにも残っていないとのことでした。
ただ、この版画の作者の作品は、この町ではないけど
隣町の教育センターにいくつか常設展示されているとのこと。
誰でも入れるというので私は見に行くことにしました。
忙しそうな中、一生懸命調べて答えてくださったその職員の方に
感激しながらお礼を言って私はとりあえず、じゃあその教育センターに
向かってみようと思いました。
どうせ何の予定も立ててないのです。
流れにのって、そのまま進むと決めていました。
町から離れ、車で30分ほど走るとようやく、北海道の地図で言えば左上の端っこの
北海道の淵の部分を通る道すぐのその教育センターに到着しました。
建物はしーんと静まり返っています。
町の人のための施設だし・・・入るのを少しためらったのですが恐る恐る中を覗き込むと
受付の女の人がでてこられました。
「あの・・・」
と話しはじめようとすると
その女性は
「ああ!大阪から来られた方ね!館長がお待ちですよ。」
とニコニコされるのです。
どうやら先ほどの役所の方が私が行くことを
先に連絡してくれたらしいのです。
びっくり。
誰かに急に会うなんて予想してなかったので
ちょっとどきどきしていました。
しかも、館長さん?なんで?いくら大阪から来たからと
行っても、そこまで?み・・・みんなそんなに暇なのぉ!?
あれよあれよと言う間に、走っていった女性の背を見ながら
ああ・・なんかとんでもないことになってしまった・・・。
別に私、なんかの取材とかでもないのに・・・普通の観光なのに・・・
どうしよう・・・めっちゃ期待されてる?
大袈裟なことになってしまって冷や汗が出てきてしまいました。
やがて小さな白髪のおじさんがひょこひょこと
やってこられました。
そして、状況を話ししようと思う間もなく
「さ。じゃあこっちにきなさい」
と、すたすたと私を連れて行きます。
どうやら館長室へ連れて行かれるようです。
ああ!どうしよう!
ほんとっただあの・・ちょっと見るだけで・・・あの・・・
そんな風に、意外に足の早い館長さんの後をあわあわと
小走りについていきながら、私はどうしようかオロオロしていました。
お部屋に通されると、ニコニコと館長さんが
お茶とお菓子を出してくれました。
「あの・・お忙しいところ、すみません・・・。
実は、私は、あの・・・ただの観光なのですが、
この作家さんの版画が見たくて・・・」と
テレホンカードをさしだしました。
すると、館長さんはそのテレホンカードを手に取り
目を細めてうれしそうに眺めながら、
「いやぁ、懐かしいなぁ・・・まだ持っていてくれた人がいたんだね。
僕がこの版画の作者ですよ」
とおしゃいました。
ええ?!
な・・・・・・・・・・・・・なんだぁああああ・・・・・・・
私はようやくホッとしました。
それからは、館長さんと、お茶を飲みながらお話をし、
このテレホンカードを手に入れたいきさつ、
そして、このテレホンカードはもう手に入れられないので
出来ればプレゼントしてくれた友人にこのカードの原画を
写真に撮って送ってあげようかなと思っていることなどを話しました。
館長さんは、そうですかそうですかとニコニコと優しそうな笑顔を浮かべながら
すたっと立ち上がり、机の中から何かを取り出して持ってこられました。
「これが、そのテレホンカードのセットなんですよ。」
と白いファイルに入ったフルセットのカードを見せてくださいました。
そして
「これはあなたに差し上げます。」
とおっしゃるのです。
突然の(すでに突然の連続でしたが)思わずプレゼントと展開に
「?!いいえ、そんな・・・それは大事なものでしょう?
頂くわけには行きませんっ」とあわてるのですが
遠慮なんてするものではないです。さ、持っていきなさい。と
おっしゃられ、私は突然訪れてご迷惑かけているのにさらに
こんな大事なもの頂くわけにはならないので、もうどうしようか
どうしていいのかわからず、必死で辞退しようとしてました。
でも、
「これは、あなたが持っているほうがきっといい。」
そんな感じの言葉を聞き、このカードをくれてここまで引き合わせてくれた
彼女の言葉と重なり、結局ありがたく頂くことにしました。
そして、館長はその版画の景色の場所を説明してくれたり、
この町の美しい四季の景色を1つ1つ説明してくれたり、
窓の外に広がる山や木の説明をしてくれたり、
優しく、わかりやすく話してくれました。
私は、初めて会うその館長さんへの緊張は解けてもうすっかりリラックスして、
まるで懐かしい先生にあうような気分で、館長の話を聞いていました。
館長と一緒に、展示してあるいくつかの作品を見せてもらいました。
そして、テレホンカードの足りない夏の絵はここにはないけど
自宅にあるので、もしよければ今日、夕方仕事が終わるころに
もう一度ここへ来なさい。僕のアトリエに案内しますよ。
と言ってくださりました。
館長のもの言いは、なんていうのでしょうか?
優しく「~そうするといい。」「~しなさい。」と言う感じで
それがなんていうのでしょう。
今回私が、こうやって何も決めずに流れに沿っていこうと決めた旅に
とてもぴったりと来て、心地よかったのです。
館長にそういわれると素直に「はい。わかりました。」と言いたくなるのです。
そしてその言葉を発するときにとてもうれしくなるのです。
(後で聞いた話によると、館長さんは昔 学校の校長先生だったそうでした。
なあるほど。)
4時ごろに戻ると
すでに館長さんは準備をしていて、待ち構えてくださってました(笑)。
そして、昼間のようにすたすたと前を歩きながら
「今日は夜は何か予定ありますか?
もし何も予定がないなら、家内に電話をして食事の用意をしているから
今日はうちでご飯を食べなさい。」
とのこと。
え・・それはいくらなんでも厚かましすぎて・・と言うと、館長さんは
ニコニコしながら
「そうしなさい。」とおっしゃるのでした。
館長の家はとても素敵なよく手入れされたお家でした。
アトリエはお家の庭側に作られ、
中に入るとぷぅんとインクと木の香りがしました。
懐かしい。
小さいときから向かいに居た兄ちゃんのお嫁さんは版画家で
私の友人でもあります。
彼女から香る匂いとそっくり。
窓にむかった大きな机の上に、彫りかけの作品と
部屋の片隅にはアップライトピアノがおいてあります。
そのピアノが一番に目にはいり
ああ。ご家族にピアノを弾く人が居るんだな。そう思ったのを覚えています。
館長はよく整理された棚から、作品を1つ1つ出しては見せてくださいました。
思ったよりも大きな作品が多く、
版画でここまで豊かな色合いや表現が出来るのに驚きました。
そして、あの四季の原画を見せていただきました。
森だらけや、白い冬の大地の北海道の景色で
使う色はそうそう無いのかと思っていましたが
いいえ違う。
グリーンのグラデーション。
白のグラデーション。
それは、驚くほど色彩豊かで、奥行が深く
丁寧に丁寧に一筆一筆、いえ一刀一刀というのでしょうか?
彫りだされ、そしてなんといえばいいのでしょう?
彫りこまずに適度に残した部分が、また想像をぐんと膨らませるのです。
小さなテレホンカードとはまったく比べものにならないほど
素晴らしい発色で、近くで見たり少しはなれてみたり。
これは写真に撮ってもどうしようも無いなぁと
思って目に焼き付けようと必死になって見てしまいました。
それはとても愛情に溢れた作品でした。
本当に好きなんだなぁ。この北海道の景色が。
そんな印象を受けるものでした。
あんまり、凝視したものだから目が乾いて(笑)きたころ
奥さまから
「さぁ、そろそろご飯にしましょう。こっちにいらっしゃい」
とお声がかかりました。
そして奥さまと館長さんと3人で食事をいただき
いろいろなお話を聞かせてもらいました。
テレホンカードをくれた彼女はYちゃんといいます。
彼女から教えてもらった話をすると
「ああ~なるほど!あの子ですか。うちの次男坊と同級生だね」
館長は以前中国の日本人学校に勤めていたことがあって、その縁かで
次男坊は、今中国の関係のお仕事をしていることや、
娘さんは、今は仕事で出かけているけど、私とそう歳が変わらないこと、
一番上の長男さんは、音楽大学に行くのに高校を出てすぐに
一人で上京して、奥さまはその話しをしながら
「あの子はとても優しくておとなしい子でね、東京でちゃんとやっていけるか
送り出すときに一番心配だったんだけどね、でも芯の強い子だから今は
何とかやっているの。」と静かにおっしゃられ、その様子から
町を出るときに見送ったお二人の気持ちや、ここに来るきっかけになった
Yちゃんをその長男さんに重ね想像し、胸がきゅっ切なくなりました。
家族そろって自転車でよくスケッチがてら遠くまで行ったんだよ。
子供達もよく遠くまで頑張ってついてきてね。
一面の原っぱがあってね、夏にはとても素敵なとこだよ。夏もまた来るといい。
近くの川には鮭が上ってくるから。もうそろそろ上ってきているかもしれない。
明日、仕事に行く前に途中まで一緒に連れて行ってあげよう。
水芭蕉の季節にはとっておきの場所があるので、その季節にもまたきなさい。
北海道の景色は、見飽きることが無いよ。特に冬の北海道、
このあたりはとても厳しいけれどもだけど、その分とても美しい。
昔は、子供達をつれてクロスカントリーっていってね。スキーを履いて
歩くんだよ。よく散歩がてら歩いたんだよ。
あなたは冬の北海道を見て、もう一度来たいと思ったのなら、
きっと
また真冬のこの町を見にきなさい。
流氷の流れつく季節にまたきなさい。
静かな北の地の知らないご家庭で
ゆっくりとお茶を飲みながら、
静かな夜でした。
窓の外は暗く、空気はひんやりとして心地よく
私は今ここに居るのがとても不思議な縁だなぁと
思いつつ、お二人の話を聞いたり、話たりしていました。
今日はもう遅いからうちに泊まっていきなさい
という館長の言葉にそれはちょっといくらなんでもご迷惑でしょうから・・・と
遠慮しているのですが、なんとなくあまりの居心地のよいお家の雰囲気に
私も、もう少しここでお二人と話しをしたいなぁと思い始めていました。
そして、館長がゆっくりとステレオの方に歩きだしました。
そして、私もその後をついていきました。
私の父はオーディオオタクでしたので、いつもレコードをかけるときは
私は父の横でその動きを見ていたため、その癖が出てしまったのです。
そして、館長がCDのプレイボタンを押しました。
そして流れてきたのは
聞き覚えのある音。
それは、あのオルガン弾きの彼のあのCDでした。
このCDは1000枚だけ創ったという自主制作のもので
そのうち1枚は私が買って家にあります。
そしてもう一枚。
彼が「CDを創ったので一枚をあなたに送ります」と
私に送ってくれたので私は2枚持っています。
だから、世の中にはあと残り998枚。
そのうちの一枚がここに・・・?
驚いて立っていると
振り返った館長さんがこうおっしゃったのです
「これね。僕の息子なんだよ。」
そうおっしゃいました。
私は、言葉を失ってしまいました。
998枚しか世に出回っていない
このCDが日本中の中で、
しかもよもやこんな日本の端っこの
普通の夫婦の家にある偶然の確率と
そして、
その人が知っている人の親である偶然の確率と
いや
ここで今、私がここにいる偶然の確率と
そのすべての偶然が一度に起こる確率がいったいどれほどの頻度で起こりえることなのか。
私のつるつるの脳みその計算能力じゃとても計算できないその出来事に
私はまさにフリーズしたパソコンのように動けなくなってしまいました。
