stupid girl's peaceful life -3ページ目

カムイチェプ


今日は アイヌのじいちゃんの命日だった。

あれから早くも一年が経ったのか。



日常のごたごたで6日のことを忘れていたとき

友達から「彼女の壮行会、行くでしょう?」と連絡がはいった。



そうか。もうすぐ彼女はまた自転車で世界に飛び出すんだ。




いつもの年ならGWに飲み会などは絶対無理なのだけど

今年の私はちょっと違うぜ。もちろんいくいく。

二つ返事で参加を伝えた。



スケジュール帳を開いて思い出した。


そうだ。6日はじいさんの命日だったじゃないか。




じいさんの家に手紙を書いた。

カムイになったじいさんへ。






今日 彼女は盛大なパーティで送られた。

明後日には日本を離れ、愛する夫とともに

途切れた旅の続きを始める。

5年前 生死の境をさまよって、完結できないはずだったはずの旅。

その旅を彼女はまた 自分の足で進むことが出来るのだ。





今日 彼女に会えたこと。

彼女が、今日 みんなに見送られ再び「彼女の役目」を果たすことが出来ること。


それはきっと

カムイになったじいさんの計らいなような気がした。




************************************************






去年、彼女は私を

山奥の自分の家に呼び寄せてくれた。

そのころ私は いろいろな無理がたたってか

手術やらなんやらと入退院を繰り返すような状況だった。

体のダメージよりも おそらく精神的なことが原因だった

せいなのだろうか?私の病気は手をかえ品をかえ

いろいろな形で体にでてくる。

しかも珍しい病気ばかりで治療もスムーズに行かず

私が倒れている場合じゃないのに!という焦りが

余計に心と体を痛めつけているような状況だったのだ。



そんな折だったので 正直

他人に会うのは気が進まなかった。


なぜ 急に彼女が私を呼んだのか

できればもっと元気なときにして欲しいなぁ

とか思ってたりもした。




日中 他にも訪れた仲間と彼女の畑を手伝い

夕食の支度をし 薪をわり 風呂を沸かし

夜遅くまで飲んで食べる。

そのうちしんしんと夜は更け 一人ぬけ二人抜け

みんなが寝静まったころ

囲炉裏のはたで彼女は私にいった。




「あのね 私ね 実はアイヌなの」



「いままでね あんまりいい思い出なかったし 名前も変えて

 本名も捨てちゃってしまって 誰も昔の知り合いもいなくしてたので

 誰にも言わなかったんだけど 前にね あなたがアイヌの話を

 ちらっとしてたでしょ? それでずっと気になってたの

 ね。 もっと話をきかせてくれない?」




彼女は大きな黒い目をキラキラさせながら言った。





ああ!そうだ。

この目は!

私なんで今まで気づかなかったんだろ?!

彼女の目はそうだ! この目は村のみんなと

そっくりだ!

じいさんとそっくりだ!

大きな黒い目

キラキラ光る黒い目。

どうしていままで気づかなかったんだろう?







話ながらおかしくて不思議でたまらなかった。



じいさんおもしろいね。


こんな古くからしっている友人が。

いまのいままで知らなかったよ。

じいさんと同じ民族の血が流れているんだってさ。





彼女は

自然を走るとき

炎を見るとき

魚を 木を 草を触るとき

自分の奥底でなにかがざわざわと高揚するのを

不思議に思っていたそう。


アイヌであることは小さいときに封印してすっかり忘れていたのに

この土地に来て土を触って自然と暮らしていると 

旅に出たときとまた違う 血が沸く感情に気づきだしたらしい。

その妙な高揚感が何かわからずにいたのだけど

何十年かぶりにきいた「アイヌ」という言葉に

体中の血が騒ぐのを感じたというのだ。



私たち2人は夜遅くまで話していた。



そして私は 

今まで人に話したことのない話を

彼女にしていた。


彼女は目に涙を溜めて

そしてぎゅっと私を抱きしめた


「私ね あなたとわたしとても似ていると思ってたの。

 だから今日話がしたかったの。

 お願い、あなたは私のような病気にならないで

 私は 今 生かせてもらっているの。

 たくさんの人たちに生かせてもらってるの。

 だから今度は

 病気になる前のたくさんの『私』に恩返ししたいの。

 ね。どうかあなたは病気にならないで。」



空が明るくなって

鳥の声が聞こえだしたころ

ようやく2人とも布団に入った。


私は



本当に久しぶりに 薬に頼らず眠ることができた。






**********************************************




彼女は 癌だった。



旅の途中で体の異変に気付き 異国の病院に運び込まれた

そのときの診断は 紛れもなく癌。しかも末期の子宮がん。

すでに転移もしていて余命半年の宣告をうけた。


子宮をすべて そして骨盤から大腿部の骨をほとんど

切り取ってそれが成功したとしても 5年生存率は20%もないとのことだった。





それが6年前の話。





そして今日 彼女の途切れていた旅の再々スタートを祝う宴。





明後日には彼女は この旅を

また自分の足で繋げていく。

小さな体で、地球を走りぬける。

途轍もなく大量の愛を体に詰め込んで!




きっとカムイになったじいさんが

あなたのそばにいるよ。


おめでとう。よい旅でありますように。


今日の日でありがとう。


そしてじいさんありがとう。

今日 彼女を祝ってあげてありがとう。




どうか彼女を 見守っていてください。








おっちゃんとふぐ。

この前、ミツルから

「治療がんばっとるからたまにはご褒美にふぐでも食わせたろか?」

といわれました。



毎年、鍋の季節になると、

ふぅっと思い出すことがあります。


もうあれから8年ほど経ったかな。


ある日、姉が私にそっと言いました。

実は少し前に親同士が電話で話しているのを聞いたのだけど

従兄弟のこうちゃんところのMおじさんが癌らしいと。


しかも、状態はかなり悪いようでそんなに先は長くなさそうだと。

姉が母に確認すると、

「まだおじさんは自分の病気のこと知らないから、お見舞いとかは

 お母さんたちで行くから。あんまりみんながいくと、おじさん気づいて

 しまうでしょう。」

といわれたそうです。


それからしばらく経って、やはり気になっていた

私たち二人は、親に内緒でこっそりお見舞いに行くことにしました。

おっちゃんが入院している病院の近くまでたまたま来たから

のぞいてみたよって言おうということで。


たどり着いた病院では、親に内緒で来ているので

おっちゃんがどの病棟にいるのかもわかりません。

うろうろうろうろ、探し回っているうちにようやく

大部屋のひとつにおっちゃんの名前を見つけました。


そっと病室を覗き込むと、おっちゃんが寝転がっています。

おっちゃんは、最初は寝ていましたが、気配に気づいて

起き上がり、私たち二人を見つけると、大きなギョロ目を

くりくりとさせ、驚きながら、大きな大きな声で周りの患者さんに

向かってこういいました。

「おうおう!こりゃ、うちの姪っ子やないか!

 どうや美人さんやろう!ワシにはこんな美人が見舞いに

 きてくれんねんど~~わははっは!」

と、大騒ぎです。

(もちろんわたしたち二人はとてもじゃないけど

美人ではありませんでしたけど・・・。)

周りの患者さんも大笑いで、ひとしきり騒いだ後、

屋上に3人で行き、お茶を飲みながら話をしました。


おっちゃんは昔、タオル工場を経営してたのですが

事業に失敗し、大きな家も工場も全て人手にわたってしまい、

それからはかなり苦しい生活だったと聞きます。

おっちゃんは親戚からの援助も断っており、

来ればみんなから心配されいろいろ言われるのもわかっている

からかもしれませんが、そのころからおっちゃん一家は

正月の集まりにも来なくなりました。


まだ子供だった私はあまり状況がわかっていませんでしたが

おっちゃんの人生では、それこそ沢山の裏切りにあったり

人から騙されたり、大変なことを経験したことでしょう。

そのおっちゃんが、ぐりぐりのギョロ目をしばしばさせながらね

こういったのです。


「わしなぁー、若いころはな、ほんまに人を憎んだんや。

喧嘩っ早くてなぁ、ほんまに、よう喧嘩した。みんなほんまに

殺したろうかおもたやつもいっぱいおった。

せやけどなー、最近はな、ワシな、みーんなが好きやねん。

みんなな、今まで憎んでた人も、ここで会う人も、誰もかれも、

みんなみんながな、ありがたいねん。

いまもな、あんたら二人なんかはもう、ほら、光って見えるで。

ワシも年とったんかなぁ~。あんたらもあんな小さかったのになぁ。」


そう言って、笑っていました。

私たち二人は、ドキリとしました。


そういって笑ってるおっちゃんが本当に神様のように

見えたんです。


帰り際、おっちゃんはエレベータのところまで見送りに来てくれ

「年のせいかなぁ、最近前だけやなく後ろの毛も

なくなってきたんやぁ~かっこ悪いなぁ~~~がはは。」

と頭をさすっていました。



姉と二人、帰り道すがら

「おっちゃん・・・自分の病気、わかってるよな・・。」

そう言うのが精一杯でした。

姉のカバンの中には、酒好きのおっちゃんにこっそり

差し入れしようと思ってた缶チュウハイがわたせずそのまま

入っていました。



数ヵ月後、

おっちゃんが亡くなり

いとこのこうちゃんから電話がありました。


「こんど、二人を連れておかんが河豚くいに行こうゆうとるさかい

ええか?」とのことでした。


河豚??なんでまたそんな豪勢なもんを?

とは思ったものの、翌週にこうちゃんが迎えに来てくれることになりました。


「オヤジがな、死ぬ前に、二人に河豚食わしたるゆうて

 約束しとったんやろう?

 オヤジさ、通帳の中でな、

 ひとつだけずっとベットの横の棚にしまっとてな、

 『これだけは使わんと置いといてくれ。

 あの子らに退院したらウマい河豚食わしたる約束しとったさかいにな。』

 と言ってたんや。そやから二人とも今日はたらふく食べたってくれ。」

そういって、こうちゃんは笑いました。


そうだ、

あのときの屋上で、姉と私が

「おっちゃん、退院したら何食べたい?」

って何気に聞いたとき

「河豚やな!河豚。」

「河豚かぁ~河豚ってそんなにおいしいかぁ?」

「お前ら、ウマい河豚食うたことないんか!?よっしゃ

 退院したら、おっちゃんがウマい河豚の店につれてったる。

 お前らも河豚が一番好きになるでぇ~」

と言ってました。


姉も私も、すっかり忘れていたけれど

本当に何気に、会話の合間に話したような

そんな言葉を覚えてて、

あれからずっと、そう思ってたんだ・・・。


おっちゃんの家は、工場がつぶれたときに抱えた借金やら

保証金の肩代わりやら、本当にいろいろなことでいつも

大変な状況でした。

小さいころは大きな立派な家に住んでいたのに

死ぬ直前に住んでいた家は、いまどき珍しいくらいの

小さなぼろい文化住宅。

入院費もままならないような状況だったはずです。


だけど、

おっちゃんは、その通帳だけは絶対に

手をつけなかったそうでした。

姉と私は、ぐつぐつと煮える河豚を

一生懸命食べました。

泣けてきて泣けてきて、でも人前で泣くキャラじゃないから

必死で湯気を目の中にいれてアツイアツイ~~汗がでるわ~と

バカ言いながら。

胸が一杯であの時は味がわからなったけど。





今でも、街で

河豚やさんに入る知らないおっちゃんとか見ると

「あ~このおっちゃんも河豚好きなんやなぁ~」

と目で追ってしまいます。


美味しいといいね、おっちゃん。

美味しい河豚楽しくたくさん食べてよ。

心のなかで意味もなくそう声をかけて。


そして、せっかく誘ってくれったミツルのふぐですが

ふと、そのことを思い出して

あのふぐより「美味しい」ふぐはきっとこの世にないなぁと思い。

「ふ。ありがたいけどふぐはええわ。それよりも極上のくえ鍋食わせてw」

といいましたとさ。

一年後。

今日で一年経ったのだ。


一年、一年。


たったいちねんだけど

本当にあっちゅうまの一年だった。

あっちゅうまだけど

いろいろあった。

一年とは思えないほどいろいろあった。



去年の今日、10月20日。

オカンが手術をした。



夏ごろから夏バテで食欲がない。

とオカンが言ってるとは ねえちゃんから聞いていた。

でも、ガンコな母なので医者にいけといっても絶対に行かない。

説得しても行かないならしゃあないやん、

本当にしんどくなったら行くだろうからって

心配してるねえちゃんに、私はのんきに言ってた。



9月、家族をつれて旦那が地球博に連れてってくれた。

混んでいるだろうからと人数分のお弁当をつくってきたオカン。

昼ごろになってその手のこんだお弁当を食べようと してもオカンは食べない。

「楽しみで眠れなくてそのままお弁当作ってきたから疲れて。」

そうきいて、とにかく救護室で横になるように 連れて行った。


9月末になって、ねえちゃんから

「母さんがミツルのとこへ行きたいっていってる」 と連絡があった。

オカンを心配して心配してたまらなかったねえちゃんが

必死に説得したんやろう。

やれやれ。ようやく行く気になったのか。


そして、最寄り駅で待ち合わせて

久しぶりにオカンの姿を見たとき はっとした。



こんなにやせていた・・・?



びっくりしつつ、妖怪医者ミツルのところへ連れていった。

ミツルはとても変な医者なのでオカンは苦手だったのだ。

(以前私の診察についてくるといってついてきたとき

待合室でまってるほかの患者さんのことを

「おぉい!あのオバハンもぉ帰ったかいなぁ?!」 と

大声を出すのを聞いて(笑)オカンはびっくりたまげて

しまったのだ。「ほんまにお医者さんなん!?」と)


でも、私はやっぱりちゃんと診てもらうならミツルに

診て欲しかったので無理やり連れていったのだ。




ミツルがオカンを診ていた。





其のとき、なんだか胸騒ぎがした。

オカンのお腹を触るミツルの手が

少し、 ほんの少し

いつもと違う気がしたのだ。




血液検査をして結果はまた連絡するわな~と

言われ、病院を出た。


オカンは「美々卯のうどんが食べたい」と言ったので

うどんを食い、そして、小さいころしょっちゅう

家族で来た「かん袋」という甘味処にも行くと 言い出した。

なんだ。食欲あるんじゃん・・・。

さっきの胸騒ぎは気のせいだと思い そしてオカンを送って帰った。




2,3日後、猛烈に不安感が強くなった。

何か、やっぱり何かあるような気がした。


ミツルの病院に電話をする。

会社の帰りにちょっと寄ると受付のコに 伝言し、

会社を少し早めに出た。


診察時間が終わったミツルがひょこひょこ 出てきてくれた。



「やれやれ。今日ゆうてもどうせ3連休でどないもできんからなぁ・・・

 週明けでええかおもてたんやけどなぁ・・・。  

 しゃあないオマエだけに言う。オマエなら大丈夫やと思うから

 ゆうたる。姉ちゃんにいうなよ。姉ちゃん、発狂するからな。



 オカンなぁ。癌や。それもかなり進んでると思う。  

 そらまだ血液検査の結果と診察だけやから、はっきりは 

 レントゲンとらなわからんけどな。」



やっぱりそうだったんだ・・・。



でも、オロオロするわけにはいかない。

ミツルが「オマエなら大丈夫や」と言ったように

私があわてては何にもならない。

冷静に。

冷静に。


「やっぱそうか~いや。そんな気がしてたから

なにゃそんな気してん。わかってたから大丈夫や。まぁもうええとしやしな!  

はっはっは!ほんで、これからどないしたらええ?」


そういうとミツルは、てきぱきと次の段取りを決めてくれた。

大腸カメラとレントゲンの上手な友達を紹介する。

そこで 確定したら、大きな病院へ行け。なぁに心配するな。

ワシの知ってる病院へ行けばいい。


そうか。ありがとう。 ほな、とりあえずそれまで誰にもいわんとってな。

とくに私以外の家族はみんなそんなんきいたら卒倒しよるから。

この3日間くらいは穏やかにすごさせたるわ!



そういってケラケラ笑った。

ミツルは「そうやな」と 言って笑った。

帰るとき、ミツルは私の頭をそっとなでた。








血液検査の結果、

結果の見方の資料、

病気の資料。




ミツルのところから急いで車を出して私は 途中、

川の傍に停めて それを見た。

見ながらワンワン泣いた。

たぶん、いくら車の中だといえ

外にはまるきこえだろうとおもうけど

人がいないのを何度も何度も確認して

大声で泣いた。いや叫んだ。


「おかあちゃんおかあちゃん死んだら嫌や!!」


一人で怒鳴りながら大声で叫びながら泣いた。

なんで気付かんかったんや!? 馬鹿!

なんで私は気付かんかったんや!???

萩に行きたいって言ってたのに

旦那の誕生日パーティしたいって言ってたのに

お華を私に教えたいって言ってたのに

いつも 「今、忙しいから」って 伸ばし伸ばしにしてた!

なんで!なんで!なんでそうしたらへんかったんや!

早くしてやってたら、こんな病気にならんかったかもしれんのに!

オカン、寂しいから病気になったんや!私のせいや!!

ねえちゃんがあんなに心配してたのに!!ほったらかしにした私のせいや!

そう言って声に出して怒鳴って泣いた。

自分を責めて責めて責めまくった。


一時間くらいして

頭がじんじんするほど泣いて

ようやく 叫ぶのをやめた。

其のとき見えていたのは近くの入り江にある「天女」だった。


それからは、あっというまだった。

入院先が決まり、 手術前の検査が続いた。


いろんな検査の結果、

特に転移はなさそうだということだった。


ならば、切れば治るの?


たとえ、転移していても、切れるところなら

なんとかなる。 あっという間に手術の日が決まり、

その日が来た。



去年の今日の朝、

病院に向かう道すがら

信じていた。成功するの。




予定時間は長くて約5時間半。

もう一人の若いイケメンな担当医者は

「たぶんもっと早く終わりますよ!大丈夫」と

励ましてくれた。



4時間を少し超えたところ 呼び出しが来た。

呼び出しの声を聞いた瞬間

胸騒ぎがした。 嫌な予感。

早く終わるのはおかしくないのだが

時間的にもそこそこの時間だったのだが  

とにかく何か嫌な予感がした。


エレベーターを待つ間、不安でたまらなかった。





暗い廊下をとおって、

小さな小部屋に入った。





反対側のドアの向こう側から

外科部長とイケメン医師が 小さなトレイをもって入ってきた。



外科部長はひとこと




「腹膜に転移してました。」





と言った。








腹膜に転移。


それは、オカンの病気のことを調べているたびに

出てくる最悪の言葉だった。

それでなければ私はなんとしても 治してやる。やれる。

そう思っていた 一番聞きたくない状態だった。



聞き違い?


そんなわけはない。

もう一度先生に聞く。

「腹膜にですか?それはどのくらいの大きさに

 なっていましたか?」






「取れるだけはとりましたが大きなものが3つ。

そして  腹水の洗浄検査でも、残念ながら細胞が見つかりました。

残念ながら末期です。」






その言葉を聞いた瞬間


私は、トレイに乗っかったオカンの腸を抱いて

声を出して泣いてしまった。



何人もの人前で声を出して泣いたのは

大人になって初めてだったのじゃないか?

父さんの前で泣いたのも30年ぶりくらいだったような気がする。




オカンの腸は爪楊枝も

通らないほどに詰まっていた。


ここまで、こんなになるまで頑張ってたのか。

声を出して オカンの腸を抱きしめて わんわん泣いた。

気の弱いオトンまでがオカンの腸を一緒に握って泣いた。

なんでもっと早く気付かなかったんやろう?

なんでねえちゃんがおかしいって言ってたとき

一緒になってもっと真剣に説得しなかったんやろう?

心配しすぎや。 あんなにねえちゃんが心配してたのに。

私がそう言ってしまったから。












オカンの腸はまだ温かかった。










**************************




あれから、今日で一年。

この一年、苦しかった。

一年の間 いろんなことが連続してしまった。

次から次へと悪いことは重なって

やっぱりかなり参った。


だけど、

悪いことが起こればその一方でどこか

「こんな悪いことがおきたんだから  

次はいいことがあるよね。」

と頭のどこかでは思っていた。



そして、同じ病気の家族を支える人たちのことばを 読んでは、

「うちらこれくらいで凹んでる場合やないな」 と奮い立たせてた。








一昨日。 術後1年目のPETとCTの検査結果の発表。




主治医はとても怖い。


退院後、はっきりと

「治る可能性のない患者より、治る可能性のある  

 患者を相手にしたいからあんたら家族は診たくない。」 と診察を断られたりした。

辛かったが、でももっともだとおもった。


その分の時間、他の人を診ることができるんだもの。

そう考えると悲しくて悲しくて卑屈になってしまった。


でも先生のいうことは正しい。


しかも、あるとき「タガメットという薬はどうでしょう?」と聞いたとたん

プチっときれた先生は「アンタ!まだ治る気なんか?お母さんは酷い

状態 だったんやよ!半年もったらええほうや!一年後にはもういないよ!」と

オカンに黙っていた余命をオカンの前で言ってしまったのだ。


帰りの道、「私、ほんまにあと半年もないんか?」というオカンに

「ちゃうちゃう。それは薬がまったくきかんかったらっちゅうことや。  

先生機嫌悪かったから意地悪ゆうただけや。よう入院中も患者さんいじめてたやろ?」

そうちょけながらオカンの顔をすぐには見ることができなかった。


必死で目玉を見開いて乾かしてから、ようやく振り返った。

オカンはどこか遠くを見ていた。




先生の言っていることはすべて正しい。

頭でわかっていても怖かった。



それ以来、診察があっても何も聞けなくなった。

もし何か聞いて悪いことを言われたらオカンが気にする。

しかも私もどんどん弱気になっている。

今度あんなことがあったら もうどうごまかしていいのかわからないかもしれない。


先生がオカンを診てる間に必死にノートに

血液検査の結果を盗みみて書きとめた。

そんな診察が何度か続いているうちに あるとき、先生が

「ほら。」 と血液検査の結果をプリントアウトしてくれた。

びっくりしてると 「書き写さんでもええ。これもって帰れ」 と言って渡してくれた。









そんな主治医が一年目の この日の診察で





「・・・・・問題なし!  





    よう頑張ったな。 奇跡みたいなもんや。・・・これからも頑張れよ!」



と初めて笑ってくれた。



いつもは後でCTを借りて一人で必死になって

どこかおかしいところがないか診ていたのだけど

ようやく先生が一緒になって順にひとつひとつ みせてくれた。



「ワシも頑張って取ったもんなぁ~・・・!そやろ?」

と笑ってる先生を見て


ああ、きっと 先生も、辛かったんだろうな。


きっと本当は人一倍優しい人だから、

だから、きっと 治らない人の家族を見るのが 辛かったんだろうなぁ・・・。

と思った。

先生、憎たらしいけど 本当はとても優しい人なのわかってる。


人に言えば「訴えたれ!」といわれることもあるけど

「医者変えたほうがいいで!」とか言われ続けたけど


でも、それでも変えようかと本気で思わなかったのは



毎日毎日、

朝早くから夜仕事が終わってから ずっと

入院患者さんの部屋を回って憎まれ口を聞いてる。

患者にとってそれはたかが数週間の話だけど、

先生にとっては365日毎日毎日休みなく続く。

私だったら「仕事終わったしかえろう~」と 思うだろう。

とてもじゃないけど出来ない。

オカンの入院中、先生のそんな姿を見ていたからだと思う。


正直言えばまだ怖いけど

でも、やっぱり 先生は悪い人ではない。

ミツルみたいに軽口たたけないけど

でも、まだまだ一緒にやっていけそうな気がする(笑) 。





とにかく、



神様、

じいちゃんばあちゃんず

ご先祖さま

次男さん

次三郎さん

ウメさん

ありがとう。



そして 沢山のみなさんありがとう。

みんなみんなありがとう。

ここまでくるのに一人ひとり書けないけど

書ききれないくらいみんなに助けてもらったんだけど

本当にみなさんありがとう。

ここを見てくれてる人、ありがとう。

まだまだ頑張らないとダメなんだけど、

一年経って自分も大分変わった気がします。



今までは自分だけが幸せならいいやって

思ってたけれど。

今は どうかみんなが 幸せでありますように。

そう心から思えるようになってきました。


嗚呼、 もう少し気付くのが早ければ

もっと私が頭がよければ 医者になって

沢山の家族を救いたい!

そう思うけどさすがにもう無理なので

たいした力もない私には

みんなが幸せであるように祈ることしか出来ないけど(笑)。







******************************



いろんな人が見ているので 日記に書くのはどうかと思いましたが

それに、治ってもいないのに

こんなこと書いて 書いたとたんに悪くなるんじゃないか・・・

という 不安がありました。


でも、一年経った今日

思い切ってこの話を残しておこうと思いました。


それは、この先どんなことがあっても

今日感じた沢山の人たちへの感謝の気持ちを

忘れないようにするために。


家族を大事にする気持ちを自分が忘れないように




そして何より 病気を治すのは

お医者さんだけではないと


沢山の同じ病気の人を見てその家族を見て

そう思うようになりました。


お医者さんが癌が治せないように

治る理由もわからないだけ。

だから「治らない」なんて

言わないでください。


治療法がないんじゃないんです。

わかってないだけなんです。




本人が辛いのは当然です。

我慢しないでください。

だから、家族が支えます。

本人は頑張らなくていいです。

ただ、あきらめないでください。




明日からまた次ぎの半年、

頑張ります。



でもやっぱりとてもヘタレなのですぐに忘れてしまいます。

あきらめない。

口で簡単に言っても実際何か状態が 変われば

確実に凹みます。

おそらく気が狂いそうになりながら。


でも、忘れないでおきたい。凹んでも思い出したい。


もし、私がくじけそうになったら、

思い出せるように。

小淵沢・フィリア美術館。

一年ぶりで八ヶ岳の知人宅への訪問が決まった。

八ヶ岳に住んでいるバックパッカー作家の某氏の

お家で、毎年開かれる恒例のパーティへの参加のためだ。



そんなおり、

東京の某レコード会社のOさん(普段はおとっつあんと呼んでいる。) から
6月に予定されている朗読詩の最新作の話で連絡が入った。

「来週は八ヶ岳に行く。」と言ったとたんに
「何!?ホント?八ヶ岳に行くの?!何時につくの?どこで泊まるの?
 予定はどうなの?東京にはよらないの?」と矢継ぎ早の質問攻め。

あれよあれよと言っている間に、
「6月の講演会のね、打ち合わせもあるし、小淵沢には
 前に言ったでしょ?連れて行きたいところが、あわせたい人が居るんだよ。
 僕も足を確保していくから!いい?昼の12時に小淵沢の道の駅の
 足湯で待ってるから!」
そう言うだけ言っておとっつあんはガチャリと電話を切った。

この人はいつもこうなのだ(笑)。


そしてその日、待ち合わせの道の駅に到着すると
ちょこんとおとっつあんが足湯につかっていた(笑) 。

「腹減ってない?先に飯、飯!」
と有無を言わさず、連れて行かれる。
着いた先は「うどん」と手書きの看板があるだけの
廃墟だった。
こんなこじゃれた町にこのシブさ。
と、毎回ここへくるあまりに小奇麗な町並みに
ちょいと辟易してた私は嬉々と喜んだが
なんのことはなく、ほんまに廃墟になってたのだ。

というわけでまた道の駅にもどり、
そばをくう。
そばだーいすき。わーい。
ということでそば食って、まずはここで講演会のスケジュール確認など
しながらまろんでみるのかと思うと
「はいっ食べた!?じゃ次!いくよ!」
っとおとっつあんはさっさと行ってしまった。
後ろを、かばんをひっつかんでひっくりかえりそうになりながら
着いていく。もぉおお!!

そして、車で5分ほど走り、到着したのは小さな美術館。
「フィリア美術館」だった。


走りやすい道の途中なので、気にしていないと
見落としてしまいそうな小さな建物だった。
というか、今まで何度か小淵沢に来たものの、
毎回見落としていたようだ。

とりあえず、まずは奥へ奥へ奥へとおとっつぁん。
「あんまり奥へ行くとまた庭にでちゃうからね。」と
お決まりのオヤジギャグも忘れない。
大きな木のドアを開け入ると、
しーんとした館内からニコニコと笑ったきれいなおばさんと
ベレー帽をちょこんとかぶった女の子が迎えてくれた。

「お待ちしてましたよ。どうぞ、ゆっくりご覧になってください。」
と案内されて展示室に入ると

目に飛び込んできたのは
どーんと展示室のおくに鎮座する大きなパイプオルガンだ。

うぉおおお!
私はオルガンが大好きなんだよ。アンタっ!

無条件に大コーフン。

近づきたいけどいきなり作品をすっとばして
一番奥のオルガンに近づくのは反則っぽくて我慢した(笑)
ゆっくり、一枚目の絵を見ながら、一歩一歩じりじりと
オルガンに近寄っていく。

そしてようやく目の前にきた。
申し訳ないが、この次点では間にある、企画展の絵は
見てるようで見てなかった(苦笑) スマン。

オルガンにはKUSAKARIと書いてある。
たぶん作ったメーカーなりの名前だな。

大きな沢山のパイプ。
裏に回ると、鞴に空気を送るモーターがある。
電源が入っていないため何も音はしない。
至近距離からもうじっくり嘗め回すように(笑) みまくる。
でかい体に比べ、でかいボディとは対照的な小さな鍵盤が2段になっている。
鍵盤の横には木製のフィーダーのようなものが沢山ついている。
パイプは触ると音が変わると小さいときにオトンから聞いていたので
息を止めてめいっぱい近づいて見る。

学芸員の娘さんに聞くと
このオルガンは八ヶ岳に住んでいる草刈さんという人が
製作したものということらしい。
ふはっ。
地元産ですか(笑)。

「音、出してみますか?」

えええ!触っていいのぉ~~!????
産まれて初めて触れるパイプオルガン。

小さいときにオトンから
「ピアノやオルガンは楽器の王様やねんで。」
と聞かされていたせいか、私は夢の中でよくオルガンの音を聞いた。
それは決まって、ひろーい草しか生えてない、場所に赤い屋根の
納屋のような場所があり、そこにヘタクソなオルガンが聞こえてくるという夢だ。
オルガンについては妙に思い入れがある。
(なのに私はベースなんだけど(笑))
昔、映画館を担当してたときもサイレントムービーの上映に
あわせて、B-3とレスリーをどうしても使いたくて、
オルガンのスケジュールにあわしてでもフィルムを変えたほど執着しているのだ。


小さいころから憧れのパイプオルガンが目の前にあるのだ。
しかも触っていいと!

そらもうあんた。
大コーフンですよ。

コーフンしすぎて、弾けないですよ。
つか、もともとほとんど弾けないんですけど。
ねこふんじゃったも弾けないくらい興奮で頭真っ白ですよ。

娘さんが、電源を入れる。
大きな音がして、後部のモーターが回り、
空気を送り始める。
その音でさえ、初めて聞く音だ。

それでも恐る恐る、鍵盤を触らせていただいた。
指が、震える。

ぼわーーーーーーーーーーーーーっっ


嗚呼。
嗚呼・・・・・。
なんて音なんでしょう。
小さいころからの夢の楽器が目の前にある。
しかも弾いていい。
人生でこんな日がくるときを思い、憧れ、
オルガン用に練習していた曲もあったんだよ。
でも、頭にまったく浮かばない(笑) 。


フィリアの館内はスペースの割りに音の鳴りがとてもよく
おそらく離れて聞くともっといい音なのかもしれない。


モーターの回転音
ふいごに空気の入る音
それらの音までがしびれるほどなのだ。

残念なことに。
このオルガンは普段あまり弾かれてないらしいのだ。

足踏みのリードオルガンなんかもそっと展示されてて
少し触らせていただいたが、なんとも味のあるかわいい音が
でるのだ。
(しかし、皮製のペダルを踏むのが相当大変!)


窓の外には八ヶ岳の美しい景色。
オルガンは、世界一の指の人に弾かれるのを待っている。
って言ってるような気がした。
ごめんよ、私が触っちゃって(笑) 。


私は、ふと想像してみた。

ここで、あの音が聴けたなら。




とにもかくにも目に入ったパイプオルガンを見てようやく私は
作品を見る余裕ができた。




さて、本当は私がここで一番みたかったもの。
それはケーテ・コルヴィッツの作品。
初めて生でみるケーテの作品。
ケーテの作品については私にはとやかくいわないというかいえないです。
というわけで、私が今までケーテのことを知ってから
地味に調べつづけて、その中で一番好きな文章をリンクさせて
もらうことにします。

http://d.hatena.ne.jp/koikeakira/20050812

(この日記を書かれてる彼女とは直接知り合いでは

ありませんが、書かれている文字からあふれる「愛情」が

感じられるのです。ケーテに対してだけという意味ではないです。もっと

大きな範囲が特定できないほどの「愛情」。)






亡くなった息子を抱くケーテの姿。
それはちょうどそのときの私の姿。


嗚呼。
おとっつぁん。
アンタがなんで私をここに連れてきたかったのか
もっと考えてみるよ。

ありがとう。


フィリア美術館は、小さな小さな美術館です。
そうそう、年末の日記に書いていた、ある女優さんが
朗読をしていた場所。
そこがこのフィリアです。

山梨に、小淵沢に行ったなら
是非、訪れて欲しい場所です。
とにかく、もし少しでも気になると思った人で、偶然
近くまで行って、時間もちょこっとあるぞって方は
フィリアを是非訪れて欲しいと思います。
というか、
私の愛する人は是非みんな見ろ。見てくれ。見て頂戴。お願いします。頼むから。(笑)
ケーテ

お爺、神の国へ帰る。

6日の昼過ぎだった。


お爺、カムイノミ・・・今年はないのかよ・・・。

お爺、わたしゃお爺に

「飯を食うだけで働かない、子供かと思ったら意外と年とった娘。」

という印象しか残してないままじゃん・・・。


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爺さんのCDを作ったメンバーや

村の人たちから続々と

続報を聞く。



爺さんは1日まではわりと元気だったようで

いつも夏のチプサンケで一緒になる某レコード会社の熊さんと

次の仕事のことで話をしていたそう。


容態が急変したのは3日ごろだったようだ。

そうか、ぎりぎりまで村にいれたんだね。良かった。


しかし遠く離れた私にまできちんと連絡をくださる人が

何人もいるというのはそれだけ、周りの人たちが 爺様のことを大切に大切に

思っているんだなぁとつくづく感じる。

電話の向こうで、爺さんの話をしながら声を詰まらせる村人。

話をしていると、 私は爺さんがいなくなったという気がしない。


それほど、みんなの心にがっしりと存在を残している人

だからかも知れないけど、まだまだ爺さんの存在が、

いや、肉体がなくなったけれども、みんなの中では 爺さんの存在が

どんどん大きくなっていくのではないか? とさえ思う。


爺さんはきっと神様になったのだ。

神の国に帰って 立派なニシパだったからきっと何かの神様に

なったりするんじゃないのかなぁ・・・?と勝手にだけど思っちゃったり。


アイヌの神様は神様だけどちょっとお茶目な神様が多い。

なんだか爺さんと重なるのだ。



爺さんは不思議なことをよく言った。

初めてあったときに言われた言葉は

とても私を驚かせた。


「なんでわかるの?!」 って聞いたら

「○○の神様がそう言った。」 という。

「んな、アホなぁ~」と思った私は、

何度も爺さんとの会話の中で私が答えにつながるような

ヒントを言ったのかどうか考え、注意しながら(笑)話を 続けた。

だけど、爺さんは不思議なほどよく当てた。

それが本当に恐ろしいほどで(笑)、私は目をくるくるさせ

横では爺さんの奥さん、れい子さんがニコニコニコニコ笑っていた。

そして、爺さんもニコニコ笑っていた。


先の日記に出ている道の写真。

あれは北海道のある場所の写真。


あの写真は、10年ほど前に、世界一のオルガン弾きの人から

「これは僕のうまれた町です。あなたの夢に出てきた場所に

 似ているかもしれないとおもって送ります。」

と頂いたものだった。


残念ながらそれは私の夢に何度も出てきた場所とは

違うと思った。

だけど、とても素敵な場所だと思った。

でも、私は彼がどこの人なのか、いや、どんな人か

本名もなにもまったく知らなかった。

私は彼の音が好きだったので

それ以外のことは聞くほどのことでもなかったし

たとえその場所がどこかと聞いてもわざわざ行けるわけがない。

でも、見せてやろうと思ってくれたその気持ちがうれしかった。


しかし、それから数ヵ月後、

私は仕事で産まれて初めて訪れた北海道に引き寄せられ

仕事が終わってすぐに一人でもう一度北海道を旅した。


そして、仕事のときに偶然通りかかった町、

車で通っただけの町だけど、

私はその町を見たとき

「ここに私の夢に見た場所があるかもしれない!」

そう思った。

そして、一人旅の目的地のひとつとしてその町をたずねたのだ。


町は何もない、人よりたぶん牛のほうがたくさんいるような

小さな町だった。

そしてそこで私はあるおじさんに拾ってもらった。

その後に起こった出来事は、とにかく

信じられないような出来事だった。


あまりにも信じられない話だったので、その時は

脳みそがついていけずに私はその町を

とにかく離れようとおもった。頭を整理しなくちゃ。

そう思いながら車を走らせている途中、

町の高校のそばを通りかかった。

その高校はネットで知りあった友達の母校だった。


「ああ。そうだ彼女に学校の今の写真を送ってあげよう」

そう思って車を止め、校門の写真を撮った。


そして車に戻ろうと振り返ると、



そこにあのオルガン弾きの人が

くれた写真の道があったのだ。





私はしばらく呆然とした。

かなり長い間、その道を見ながら呆然とした。

そして北海道の地には何かわからない大きな力が

あるのかもしれないと思い始めた。


私が北海道に興味を持ったのはこのときからなのだ。

このときを境に、私の縁はどんどん

広がり始めていった。

それは恐ろしいほどのピンポイントで。


魂が共鳴してであった人は必ず

誰かに何かにつながっていった。



爺さんに、会ってしばらく話をしているとき

この話になった。

もちろん詳しく話すほどのものではないが

爺さんはニコニコ話を聞きながら

「それは当然だ。」といった。

「なんで?私ものすごいびっくりしたけどそんなの珍しくないの?」

と聞いた。

すると爺さんは急にしっかりと真面目な顔になって、

しーっと静かにまるで内緒話のように

「それがなぜかはお前が一番わかっている。」と付け加えた。




私の思い出なんてほんのちょこっと耳くそみたいに

ちょこっとだけど、


会いに行こうと決めた時、それはものすごい偶然の嵐だった。

普通考えるには相当、どあつかましい話だし、

いくら関西人の私でもさすがに勇気がいった。


後押ししたのが何かわからないが、

何もわからずに飛び込むちょっとしたタイミングだった。


おかげで私はまたたくさんの縁をもらった。


短い間だったけど、私も爺さんの人生ちょこっと

のぞかせてもらって本当にありがたかった。

間に合って本当に良かった。

大切な時間を少しだけ分けてもらって本当に

ありがとうございました。


私は、北海道(いや、おそらく日本や世界のどこでも)には

まだまだ神様がたくさんいると思う。

とても弱くなっているかもしれないけど

まだ存在しているんじゃないかなぁと思うことがある。


まだニシパの魂はニシパの家で、

「あらまぁ。みんなたくさん来よったなぁ。あの端の人にも

 お茶を出さねばならんけどなぁ。」とか思いながら

見ているような気がする。


アイヌが亡くなると神の世界に行くとか聞いたけど、

やっぱり、

たぶん、

今度はニシパは何かの神様になるんじゃないかなぁ・・・。


もしそうだとしたら、 ニシパがどんな神様になったのか、

きっと今度、 二風谷に行けばわかるような気がする。






さて、ニシパは「狩猟民族は足元が明るいうちに村へ帰る」 と、

国会議員を辞めるときに言ったそうだ。


きっと、今度もそうだったんだろうね。


inau




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さて、もうひとつ。

ニシパのやりかけてた仕事があるというのは

聞いたのだが詳しく聞いたことは まだ無かった。

さっき、知人から教えてもらったのだけど

その仕事は「イオル構想」というものらしい。


三文字で最後が「ル」という言葉は

私にとってとても力がある言葉、名前なのです。


ニシパも「シゲル」だったし(笑)。


これから気にしておこうと強く思い

さぁ、さっき調べてみたの。



そうしたら、あら不思議。

実行委員会の一番最初に書いている名前を見て

思いっきり笑ってしまった。


それは、しょっちゅう連絡を取り合う

民俗学の先生の名前だった。


ははは。水臭いなぁ~

教えてくれてもいいじゃん!こんな大事な話(笑)。