物事には『枠』というものが存在する。


枠があるから、その制限の中で自由が活きる。枠内で初めて表現に幅が生まれる。枠を壊そう、打ち破ろうとする過程で、新しい価値観が創造される。

枠が在るということは、そこに枠組みがあるということでもある。その枠組みをルールと呼んだり、規律と形容することもできるだろう。呼び方や仕方はそれぞれであるが、ただしその枠組みは絶対に守らなければいけない。

枠からはみ出して、意外性を伴って突き抜けようと思ってはいないか。それは甘い考えになる。まずは、その枠組みがどうなっているかを知ることが先決だ。この枠というのは、「常識」に置き換えることもできる。常識を知らずして、非常識に向かって吹っ切ることはできない。

そもそも、枠というのは悪いものではない。

サッカーで言えば、手を使ってはいけない。オフサイドラインがある。これは枠だ。
しかし、その枠内でシステムがある。攻撃的、守備的。戦術がある。これが枠組みになる。

その中から、ゾーンプレスもゼロトップも生まれてきた。
そういうことだ。
充実感は、どんな時に出てくるだろう?


これは、本当に人それぞれだろうと思う。

試合(ゲーム)に勝利した時、目標を達成した時、テストに受かった時、気の置けない友達と話をしている時...

ほとんどの場合、その充実感を感じた時、それと同時に満足感や喜びを得ているんじゃないか。

僕のケースでは、何かを突破した時に、充実感を得ることができる。
その『何か』とは、結局のところ自分自身だったりすることもある。
何かを突破することは、うれしい。
それが誰かと協力してであれば、喜びは倍増する。
そんな部分に、貢献の鍵が潜んでいるのかもしれない。


物事に対して、行動(アクション)を起こす前に。
「面白い」と感じられるかどうか。ワクワクしてくるか、どうか。
それが目標達成後に充実感を得られるかどうかの尺度になるんだろうな。


充実感は、高い意識の産物である。
そう信じている。

ある現象が起きたとき。

それが自分のコントロールの及ばないことであったとしても、そのことは自分の心の状態に作用する。
電車や飛行機などの交通機関が遅れ、仕事に間に合わなければ、おそらく嫌な気分で仕事を始めることになるだろう。

そこで大事なのは、受け入れること。

その現象でさえ、どう捉えるかは自分次第であるという責任を認識し、次なる行動に出る。
その次にすべきは、ネガティブな要素に意識を向けず、ポジティブな側面を抽出することだ。
「交通機関が遅れたからこんな目に遭う」と考えるのではなく、遅れたことによって仕事を速く進めるチャンスが生まれた、あるいは時間がないので必要なことから優先順位をつけて取り組めるよう意識チェンジすることが肝要になる。

そこで意識をチェンジして、集中できるかどうか。
そのポイントで物事の成否が分かれる。