私に神が降りてきた。


「もうがまんしきれないの神」



これは降りて欲しくない。


もうがまんしきれないと言えば
あれだよ。あれ。あれしかない。



はーっ。



この神に答えられないわよ。
相手がいなきゃ出来ないわ。


最近思うのは、シングルってすっごく楽しい。

オトコに合わせる事がない自由な気楽さ。
今まで味わった事のない楽しさ。
この自由な感じはたまらない。


オンナの悦びよりいいかも。
なんて思ったりする事もある。


負け惜しみじゃなくてよ。


でもねぇ。
体がねー。


内側の心の襞と襞とが、くっつくような、愛の行為が出来る人いないかしら。


もう、歳取るってそういうこと。
なかなか見つからないわ、そういう人。
見つけるまでも大変だわよ。


熟女ってやーね。


ま、いいや。
この神は放っておこう。


iPhoneからの投稿
私に神が降りてきた。



「もっとじっくりの神」


なんだこれ。
ちなみにあと十数個ある。
なので、一個一個出してみようと思う。



もっとじっくり


私がいる会社は、じっくりというキーワードがウリ。

人の話を聞く仕事の私は、いつもじっくり聞いております。

上司から医者から「聞きすぎ」と言われるほど。


うーん


じっくりいろいろ深く考えてみる。


そうすると


「私って浅いな」と思ったり「深く考えすぎ」って思ったり。


まぁ四十過ぎの私は複雑なのだわよ。


声は出すだけ。
それが誰かの何かを当てたとしても、当たらなかったとしても、私は出すだけ。



仕事は聞くだけ。
たくさんの人のそれぞれの思いを聞いて、その人の悩みを解決出来たら、すっごく嬉しい。



じっくり自分を考えた、ゆっくりの神様が降りた日々は、今思えば貴重な時間だったな。

自分の気持ちに正直になれた。
今では娘たちが愛おしくてたまらん。



子供みたいにめちゃくちゃに出したい自分を、どう誤解されずに表現出来るかじっくり考えてみる。

ざっくり言えば、ばかばかしい事をどう真摯に取りくむかとか。


もっとじっくり
たくさんたくさん




iPhoneからの投稿
私に神が降りてきた。

「じっとがまんの神」


いいね。
おもしろい。




諦めないことと、執着の違いって何だろう。

あと全然関係ないけど、ネクラとネガティブの違いって何?
結構ポジティブに生きてるわよ、私。
人生ケセラセラですわよ。
ただ、時々ネクラはなぞってしまうのよね。



薬を飲んで、医者の言うことをきちんと聞いているけど、消えない「声」と「種」は一体なんなのかしら。



むしろ「霊力」は高まってるわよ。
もうここまで来たら、どう霊をコントロール出来るか必死で考えているわ。



霊を出すたびに思う
「ああ、私って器だなー」って。

でも私もきちんといるから霊には負けないわよ。


なんて


いろんな事、たくさん考えたり思ったりするけど、今はじっとがまんの神が降りているので、じっとがまんするしかないのでした。


書きたいことはおいおい。

みんなに誤解されないよう、霊と練習に励みます。
医者に怒られそう。
むむむ。


iPhoneからの投稿
人生は片道切符しかない。


「やり直しはいくらでもきくよ」と色んな人に言われるけれど、今から結婚前の25歳に戻れる訳じゃないので、四十過ぎた今からやり直すことになる。


なので、どちらかと言えば
「やり直し」じゃなくて「乗り換え」と言った方がしっくり来る。


離婚した転職した、そういう人は人生の乗り換えだと思えば、なんだか一からスタートするうんざり感は無いと思うのよね。


でもって、もう戻れないから片道切符しかない。



とうとう精神科の先生から「枠の中でやるような演劇だったらしても良いよ」と言われた。


でも


「即興しか興味無いです」と言ったら「じゃあまだまだだね」と言われた。


ただただ自分を出して遊びたいだけなのだけど、先生から言わせるとそれがダメなんだとか。


でもって、その話を即興をやっている友達に言ったら


「私なんて自分をぜんぜん出したいと思わない、ねー」と複数単位で言われた。


・・・・・・そうとう悔しい。

と言うか、見学して見てますけど、やっててあなたたちの内側のべろんべろんしたやつが、即興でちらちら見えてますけど!

なんて思ったりする。


ちっ。



仕事でも何でも、自分をきちんと出さないと良い仕事は出来なくて、即興だってもその人が見えないといいシーンが生まれないと思うの。


自分の引き出しをきちんと持っていて、それをひとつひとつきちんと出せるから、即興出来るんであって、私は去年に全部出てとっちらかっちゃってるから、医者から止められてるんじゃないかと思ってる。

引き出し壊れちゃってるから、ただいま修復中なのですよ。
でもって裸。

きちんと直して、直した引き出しの中から、キラキラした自分を「ほうら、みてごらん」といつか友達に見せつけてやろう。



見学ばかりでやってないから、いくらでも言えるわよ。



ここまでドクターストップかけられたら、これはもはや即興にのめり込んでるんじゃなくて、執着があるんじゃないかと言われたけれど。



言っておくけど、私の執着半端無いわよ。


子育ての時は娘に相当執着していて、娘自ら
「おかーさんは私が小さいとき、私にちょー執着してたよねー」
と言うくらいだし。


オトコができたら、執着は半端ないと思うわ。
と言うより、愛のある行為にのめり込みたいくらいだわよ。
私のネクラをなぞって、いつもよしよしされたいわ。
そのためには何だってするかもしれないわよ。



16年間、自分を被せて隠し続けた反動は、自分の想像を遥かに超えて大きかったわ。


「おとーさんは相当大きなものを釣り上げたね」と娘に言われるくらい、変態を隠し続けて来たのよ。


自分でも苦笑いするほど、当時の夫の理想的な妻を演じてたような気もするわ。
そうすれば安定が約束されると思ってたから。
演じきれなかったと思うけど。




即興しか興味無いと言った私に、先生は「君はどうしても危険な方に行きたがるんだね」と演劇をオトコに喩えて言われた。


だから私はこう言ったの。
「だって、刺激的なんですもの」と。



人生は片道切符。
行き先はわからない。
切符に終着駅の名は書いてないから。


でも誰と乗るか、どう乗るか
楽しんでいくか、そうでないか


着いた駅でひとつひとつ、喜びを分かち合えるような人がいる電車。
そんな電車に乗りたいわ。


だから、楽しい自分をどんどん出さないと。
実はそこに執着している自分なのでした。


夏ってどうしても暑くって眠れなかったり、疲れやすくなったりするから、脳のどこかに何か障害が起きて、幻聴を聞いたり幻覚を見たりすると思うの。


だから、それが「霊」ってやつの仕業なんだろうけれど、私は病気だから一年中それを体験する。


いや、見たことはないんだけど。
「声」はよくある。


眠る前にあるやつは「生理的幻聴」と言って、さほど心配する事ではないらしい。


あと


自分のインスピレーションに任せて、何かを書いたりすると「神」や「霊」という言葉がたくさん出て来て「私ってまだまだ病気だわ~」って書いた後思うんだけど。



この間、何となくいやーな感じだったので、ノートを広げてみたら、とたんに「5」という数字が降りて来て、ノートに「5」という数字を書いてみる。



その後、自分の意識とは違う動きがあって「5」と書いた所をぐるぐるぐるぐるなぞっている自分がいる。



ひとりこっくりさんみたいな。



その後に降りて来た言葉が「恐ろしいものの中には、ただものを言わずじっと見るのみ」と考えてもいない言葉が降りて来た。



書いてみて「ああ、そうだわ」と思うんだけど、この自分の感覚が離れた感じはなんとも言えなくて



「もうっ」



って思うの。
まだまだ病気が治っていないんだろうけど。



見えないものに振り回されるのはたくさんなのだけど、きっと魂や霊ってきっと本当にあって、それが全く無いと思う物質世界にばかりだとまた偏ってしまうし、霊や神の精神世界ばかりだとまた偏ってしまう。



感受性が強くて思い込みが激しい私は、その物質世界と精神世界の良いバランスを保たないといけないんじゃないかなと思った。


今まで薬を飲んで規則正しい生活をして、病気と言うことに戦って来た私だけど、もう少し枠を広げて魂や霊を身近に感じたら、きっと自分がどんどん広がって行くんじゃないかと思うの。



だけど広がりすぎても、現実に戻れなくなってしまうから


魂や霊をほどよく取り込んで、新しい自分を受け入れなくちゃならないと思うの。



そうか
新しい私。


両方の世界の真ん中に立って、きちんと行き来できるような。
そんな感じで行きたい。