色んなことが私の周りで
私のところであちこちで起こっています。




でも
一番大事なことは何なのか。




それさえ押さえていれば、もう動くだけだと思うの。




思い出せば、自分の事がわかって無かった頃は(今は自分の正体がわからないわ)何が一番大事かがわかってなくて、いろいろさまよっていたような気がするわ。



相手を知ること
わかり合うこと


これをやらずして、何かをやろうとしても、結局は何も出来なくなってしまうと思うの。


この意味わかるかしら。


私はこれが出来なかったから、彼と離婚したんだと思うわ。




嘘や裏切りや欺瞞やそのほか、悪いこといろいろは、やったらその人はいつか制裁されると思うの。



もし、わたしに裏切った人がいたとしたら、その人はいつか誰かに裏切られる。


もし、わたしに嘘をついた人がいたら、その人は誰かに嘘をつかれる。



その逆もあるわね。
私も嘘をついたり、裏切ったりしたらいつかやられてしまう。



相手のことを思っての優しい嘘は別として、自分を誇示するためにつく嘘、人をだますためにつく嘘、裏切りを隠すためにつく嘘は、いつかわかってしまうと思うの。





だまっていると言うことと、嘘をつくと言うことは違う。




私が子どもに嘘をつくなとよく言ったのは

「ひとつ嘘をついたら、その嘘を隠すためにまた嘘をつかなきゃならなくなり、嘘を塗り重ねていってしまうから」


「嘘つき」とはそういうこと。


嘘をつけば辻褄が合わなくなっていく。
でも嘘は突き通さなくてはいけないわね。
自分をしっかり持たないと、本当の嘘はつけないわ。




いま


よくよく、考えて見ればわたしの周りでは

「嘘」

がテーマね。


あちこちで。


一番思うのは
私は自分に嘘はつきたくない。



それと言いたいのは
「嘘」を追求するのではなくて、嘘をつかれて、散々な今の状況をどういい方向に持って行くか。





自分にとって、誰を一番幸せにしなくちゃならないか。
自分なのか、目の前にいる誰かなのか。




一番大事なものは何なのか。
そのためにはどう動くか。




これから考えて行くところは、私の目の前にあるどの道もそこだと思うのよね。
私のまわりにたくさんの事が起こっていて


「それぞれいろいろあるんだなぁ」


と思うのだけど



一番思うのは
みんな結構言っていることと、やっていることが違う人が多いと言うこと。



いろんなブログやツイッターやフェイスブックで


「いろいろ学びがありました」


と良く書いてあるのを見かけるけれど


どんな風に学んだのか、何で学んだのか、学んだ先でどういう風に生かして行きたいのかが書いてない。




どちらかというと、私はそれが知りたいわ。




「感謝の気持ちで行きます」
とかも良く聞くけど、じゃあどういう風に進んで行くのか、そう言った人をよく見ていると、言っているだけにしか見えない人が多いと感じることが多いの。



私も母に

「謙虚な気持ちを忘れてはいけないよ、謙虚よ謙虚」

とこの歳になっても、口を酸っぱくして何度も何度も言われます。



私も学んだ先でどうしたいのかをじっくり考え、目の前にいる人に感謝の気持ちを忘れずに。


でも自分を殺さずありのままでいたいと思うのよね。


学びと感謝とありのままの自分とのバランス。


目の前の人が勝手な行動や言葉を言ったら、どう言うかどう行動するか。
ただのいい人じゃなく、その先で何を伝えようかいつも考える。


そうなると、きっと私は「謙虚な気持ちの無い人間」だったりする。



相手の事を思う。
周りの事を思う。
ありのままの自分のままで。


仕事や生活の場ではいつもいつも、心の中で手を合わせます。

だってみんな、ちゃあんと周りを考えてくれるから。


そうで無い人と会ったとき
さて、どうするか。


ありのままの自分でいるしかないのよね。


おかあさん
ごめんなさい


娘は場所によって、お母さんの言葉を忘れてしまうことがあるわ。



たくさんの場所で学ぶ。



ありのままの自分でいることで、正解不正解関係なく学ぶ。
自分がどうしたいか、どうありたいか。



関係ないけど
これを書いていて、この記事のオチが見つからない自分もいるわ。



私もあちこちで、いろいろたくさん学んでいるわ。
仕事で、生活で、娘の事で、友達とのことで。
たくさんの人の、思いもよらない意見で意外な自分や周りを知る。
そこから学び、学んだ事をバネにして、学んだ先でもやっぱり、ありのままの自分でいたいのよね。

学んだ事を生かすには、感謝の気持ちを忘れず謙虚に生きると言うことなのね。



実行できるかしら?
でもとりあえず、やってみよう。
自分を殺さず、ありのままで。



そう思うわ。
これは思いつきだけど


いま


「こっちこっちの神」が降りてきているわ。



私はたくさんの人に支えられて生きているなぁ。
そう思うことが、今週たくさんあったわ。




こっちこっちの神さまが連れてきた人々は
パワフルでポジティブ




私は風の向きを読んで
風のむくままに行こうと思うの。




私の内なる神々は口々に言うの。
「ゆっくりゆっくり」と。



ゆっくり柔らかく優しい風に身を任せて
自分や周りを柔らかくしていきたいわ。



強くて柔らかい人たちは、悩み事のたくさんのアドバイスをくれるの。



そんな仲間に出会えたことに感謝して、私は先に進まねば。
前を向いて、進むわよ。



人と出会うこと
人と関わること
人を思うこと


たくさんの人に会って、いろんなことを感じ
強く逞しく、優しく柔らかくしなやかに行きたいなぁ。


と思うのよね。



なんだか今日もまとまりがないけど。
おもいのままに書くわ。




こっちこっちの神さま
ありがとう。
photo:01



「ダプネ」
ギリシャ神話ね。


アポロンとダプネの話


 アポロンはギリシア理想の青年像といわれているだけあって、芸術、医術、狩猟の神として、また太陽神としても 知られていた。一方で残酷な面があり、敵にまわすと恐ろしい報復が待ち受けている。 有名な「王様の耳はロバの耳」の話は、ミダス王がアポロンよりも牧神パンのほうが笛がうまい、 といったことに憤慨して、ミダス王の耳をロバの耳にした。
 そんな美男子アポロンにはたくさんの恋愛の物語があったが、中でも川の神の娘、 ダプネとの恋愛は悲しいものであった。ある日アポロンにからかわれた愛の神エロスは、怒って アポロンに“恋する黄金の矢”を、ダプネに“嫌いになる鉛の矢”を放った。 すると、悲しいことにアポロンがダプネを好きになればなるほど、ダプネは嫌がって逃げる。 そんなダプネも体力が限界になり、ついにアポロンにつかまってしまった。 そのとき彼女は父親に助けを求め、父は娘を月桂樹にしてしまった。 瞬く間に彼女の髪の毛は葉っぱに、両腕は枝に、体は樹皮に覆われていった。 アポロンは悲しみに明け暮れた。彼はダプネのことを忘れられず、月桂樹で冠を作ってずっと身につけた。



と、言うお話なの。

ギリシアの理想の青年像とあれば、相当モテただろうに。

どんなにモテたって、好きな人に好かれなきゃ、全く意味がない訳よ。


好きになった人とちゃあんと付き合う。


好きになった人とうまく行かなかったら、アポロンがつけた冠の月桂樹の代わりに、私は心の強さを持とうじゃないか。



そうすればきっといつか、愛の神エロスが互いに黄金の矢を撃ってくれるわ。



そう思ってこれから、ちゃあんと人を好きにならなきゃだわ。
photo:01



「マグダラのマリア」
これはエクスタシーの絵

過去の罪を懺悔し、神を感じてる。


マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。


彼女のことはいろいろ、いろいろ説があって、そんなに詳しくない私がいろいろ書くのは良くないと思うんだけど。



私が思うに、彼女はイエスの事が好きだったと思うのよね。


彼の言うとおりに神を信じ、神を崇めれば、彼の特別になれると信じて必死だったのかもしれない。


エクスタシーも感じたから、もうイエスの言うとおりになってしまった。


イエスとマグダラのマリアはよくキスをしていたと、どこかに書いてあったわ。


こっそりキスなんかするな。
みんなに見えてるぞ。


彼女は神を信じ、それ以上にイエスを愛した。


でも思うのだけど、それ純粋に神やイエスを信じていない。


彼女にはイエスしか見えていないように見える。

イエスを男性として憧れているようにも見える。


それってまっすぐに神のことに、真摯に取り組んでいるのかしら。


イエスを男として好きになっただけだと思うの。



マグダラのマリアに関しては、いろいろいろいろ諸説あるので、これはあくまで、私が個人的にちょっと調べて感じたこと。


まず


私が言いたいのは、これに似た現象が身近であると、マグダラのマリアみたいな人はどうしたいのか。



と思うのよね。



神をまっすぐに崇めるのか
イエスを男として愛するのか
ただイエスの特別になりたいだけなのか



個人的な感情で、ごちゃ混ぜになってくると、周りが澱んでくる。


イエスは昇天し、マグダラのマリアは洞窟で隠士生活を送り


澱みが早くなくなって、いつか早く澄み切った川になりますよう。




こんなこと書いたら、「違うぞ!」と専門家には怒られそうだけど




これはたとえ話ですわよ。




マグダラのマリアは、改悛した娼婦の守護聖人


だから娼婦としての罪を懺悔し、イエスの弟子になり、一所懸命に神の道を伝えるために方々を旅した。



いろいろ調べれば、まっすぐで女性らしくて


私は個人的には大好き


本当のマグダラのマリアは。



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