photo:01



月に一度の診察。
もう随分慣れて、主治医とは冗談まで言い合えるようになった。


医者はとにかく私から演劇を遠ざけようとする。


投げやりに「演劇を辞める」と言ったら、満面の笑みで「いいじゃないか」と言ったわ。


医者から言わせると、私は心も身体も健康なんだとか。


今後再発しないように、毎月毎月病院に通い毎日毎日薬を飲んでいる。


「声」の消える薬を飲んでいても、一向に「声」が消えないのは、勿論医者には内緒。



「声」が無いという前提で、再発の話をしたの。


今後再発したらどうなのか。


「憑依」と言う表現は先生は使わなかったけれど、元夫へした憑依状態について


「前のご主人にあなたは怒った。その表現が悪かったんだよ」と。


どういう意味かわからなくてキョトンとしてる私に更にこう言ったの。



「表現って何かわかるかい?」



憑依状態の時、ただただ自分の内側から聞こえる、自分でも思いもよらない現象で、いっぱいいっぱいだった事を思い出して思わず


「わかりません」


って答えたら


「それが演劇なんだよ」


って言われたわ。


あの時私は演劇するつもりは全く無かったけれど、少しずつ少しずつ先生は、私の不思議な現象に答えを出してくれる。


スピリチュアルも精神障害も紙一重。
自分の内側で起こっている事は、私の想像を遥かに越えているわ。


動きと声と自分の意識が、バラバラになって、始めて「憑依状態」になる。


あの時の感覚は忘れない。


何者かに入れ替わり立ち代わり、私に問いかけて来た人格の感覚も忘れない。


じゃあ、それが演劇というならば、いつかわたしは、自分の内側でバラバラになった「わたしたち」にチームを作り演劇をして行くのかしら。



バラバラになったわたし。


感情の器が壊れた現象。


本当の再発。


「わたし」を「私」にするには、自分が思っている以上に強く行かなくてはいけないの。


「私」の中であちこちむいている「わたし」はいつか




ひとつになって



誰か違う人になってみたい。



iPhoneからの投稿
photo:01





「人生は即興芝居」という謳い文句を言っている団体の、オーディションワークショップの発表会に行った。



まさに人生は即興芝居だと思うわ。
人生自体がドラマね。


私ってどんな人間なんだろうか。
周りの人ときちんと関わっているか。
いろんな事に対してきちんと向き合っているか。
いろいろさまよい悩みながら、生きているわね。


自分があり、相手ときちんと関わろうとすると、いつか問題が起こる。
それがパートナーであれ、娘たちであれ、友人や会社の人であれ。
ナマとナマのぶつかり合いに立ち向かって、乗り越えてその人の人生が決まると思うの。


病気になって離婚して、私にザーザー降りの雨が降っていたとき、その時に傘をさしてくれたくれた人たちの事は忘れない。




人生の空模様が雨でも晴れでも、いつも前向きに明るく立ち向かって行けば、それが誰かに伝わって、そこで誰かに認められたりするんだと思うの。





誰かに認められるために生きるのではなくて。
誰かに認められる訳じゃなく、何かをやるのではなくて。






ともガチが師匠ワタリーの「ヒトリワタリ」を見て、即興芝居はその人のドキュメンタリーだと言っていたの。



即興芝居でいいシーンや、なにかドラマを見ようと思ったら、面白く無いと思うわ。
その人全てのナマな生き様や、考え方、人柄を観に行くんだと思うの。
そこでナマなぶつかり合いのシーンを観て、感動が産まれるんだと思うの。




芝居や演劇の事はよくわからないけど、ドラマって人生の欠片を観るのだと思うの。



その時にその役が自分がどうあるべきか。
相手とどう関わっているか。
いろんな事にきちんと向き合っているか。
へたくそでもなんでも、全てを忘れて立ち向かっている姿に感動するんだと思うの。



スポーツにも言えることなのかもしれないけど。




我を忘れること。
相手のためを思う事。
そのナマなぶつかり合いに感動するのだと思うの。




インプロの発表会を観て、私の心は嵐の様な荒れ模様になったけれど。





誰かに認められる訳じゃなく。
自分がどうあるべきか。
相手ときちんと関わって。
観ている人の期待に応えるような。




写真の滴の様に不安定な所に立たされて、とても怖い事だけどでもいつかそんな事にチャレンジしたい。




どんなに歳を取ったとしても。



photo:01



画像に深い意味は無い。
ただロマンスってこういうこと。


何も考えず相手のために。
本当の優しさとも向き合うわね。


ぼちぼち自分に戻りたい。
ロマンスに浸る日々は何処かへ置いて。




iPhoneからの投稿
photo:01


穏やかな風


新しくて親しい仲間
昔とは違う自分
私とわたし
スピリチュアルと精神障害


全てをひっくるめて、いま私に吹いている風は、とても穏やか。


穏やかな風に包まれながら時に昔を思い出し、もうその頃へは戻れなく、戻りたくない自分を確かめる。



どんなに辛くても
どんなに苦しくても


はやくても
ゆっくりでも


ずいずいと勇気を持って進む。


泣かないためにも
嘘で笑わないためにも
自分をごまかさないためにも


新しく変わった私とわたしは進んでゆく。



もう悲しんだりしない


毎日泣いてばかりいた先の出来事は、もう済んだことことであり、これからは強くしなやかに逞しく優しく生きてゆきたい。


こわくない
こわくない


何があっても自分に嘘をつくことなく笑って行けること。


自分とも他人とも戦わず、ただそのままであること。



穏やかな風に包まれて行く。
わたしのままでも。


それが私の本当の幸せであり平和。


LOVE&PEACE



iPhoneからの投稿
photo:01


以前

「娘さんの為にも狂気的な方に行かない方がいい」

と解離症状になった後、即興をしたいと言った私に、言った医者の言葉。


恋愛は脳内でするもの。
解離症状の時、何度も何度も男性の人格が言った言葉。


種の仕業もあり胸が持ち上がるほど、何度も何度も私が無意識に作った人格に言われた言葉。






「愛してる」





霊なのかもしれない。
神の仕業なのかもしれない。


自分を冷静に分析すれば、私は誰かに愛されたかったのかもしれない。


だから言われたのかもしれない。



狂気と言えば、阿部定63歳の時の言葉を思い出す。


「ちょっといいなとか、浮気とかはいっぱいあるけど、芯から好きになる人は一生に一人だけ」

狂おしい程に愛した男から「殺してくれ」と何度も言われた彼女は、愛する男の望みを叶え、彼女が一番愛した部分を切り取った。

互いの体液が染み付いた男の下着を身につけて、誰からも邪魔されない事を訴えた。



狂気的な恋愛


芯から愛する事が狂気的な事だけなのか、考えさせられる出来事。



別人格に「愛してる」と何度も言われた私は、今彼から何度もその言葉を聞く。


現実に実在するオトコに。



彼に愛してると言われるたびに、耳がくすぐったくなって、そして私の体の芯から安らぎが生まれる。


私が今まで愛したオトコは、本当に芯から愛する事が出来たんだろうか。


今のオトコを私は、芯から愛してるんだろうか。


一生に一人だけのオトコは現れたんだろうか。
それともこれからなんだろうか。



彼の愛の表現は、小鳥たちが集まって緑の草原にいるような気分になる。


芯から愛する事の本当の意味はどうなんだろうか。


自分を亡くさずに、出来るだけ望みを叶えてあげること。
相手のために。


私は緑の草原の中で、小鳥たちと戯れ、愛を育みたい。


刺激ばかりの恋愛よ、さようなら。
狂気的な恋愛よ、さようなら。
脳内でする恋愛よ、さようなら。


新しい愛のカタチ
見つけた。


こんにちは
新しい愛のカタチ。




iPhoneからの投稿