酔っ払ってお風呂からあがった自分の姿を見ました。


ビールと炭水化物のおかげですくすく育ってます。


なにかの妖精図鑑に載りそうです。



こんなに太っているのは、ひさしぶり。
いや、これがスタンダードなのかもしれません。


だれか私にパーソナルコーチがついて


「のぶ!その調子だ!あと100グラム痩せたら、今日は俺がのぶに3回チャレンジする!」


と空想のパーソナルコーチとねんごろになる妄想をして、寝るとします。


数日前のセカンダリーバージニティとか、プラトニックとか、くそくらえです。

酔っ払いました。


妖精図鑑のおばさんは寝るとします。


神さま
私にあなたのイデアを
今日は岩手の中学2年生が自殺したニュースを見て、胸が痛みました。
親御さんや周りの方たちが、彼がどんな大人になるか楽しみだったに違いありません。


原因はいじめだったようです。
とても残念なニュースでした。
心からお悔やみ申し上げます。


私は中学校3年間、男子全員からいじめられていました。その時に幼くて若い私は、当時強く思ったのが「私は負けないよ!!!」って思いました。だから学校は絶対休みませんでした。

事態がひどくなって先生が見かねて、いじめの主犯格と私と先生とで3人で話しました。事態は更に最悪になりました。先生は私を責め始めました。当時私はやんちゃ娘でしたから、先生への印象はかなり悪かったのです。ただ、いま何故先生に責められたか、常に都合のいいように解釈する私は全くわかりません。だって悪口言われたり、無視されたり、机の中の物が全部荒らされたりしたのは私でしたから。だから私は当時の先生が大嫌いになりました。卒業して偶然会って声かけられても「無視」しました。当然の報いです。


高校に入ってからまた事態が変わりました。あれは高校2年生のころでしたでしょうか。私は当時いろいろな劇団のお手伝いにまわっていました。その話を聞きつけたのか、いじめの主犯格から連絡がありました。


「一緒に劇団作らないか」と。


彼にかなり恨み辛みがあったので、きっぱりと断りましたし、彼がどんな芝居をしたかったのかも知っていたので、迷いはありませんでした。後で知ったことですが、いじめる側はいじめたことなど忘れてしまうのです。


でもこの歳になって、こんな勘違いもします。



彼はきっと私の事が好きで、私と男子が話しているところを見たくないがゆえに、男子全員に「あいつと話すな」と言ったのかもしれません。


そう思うと不器用でアホな彼が哀れに感じました。


ちなみに彼と私は家が目の前でした。
中学3年間、学校でも家から帰っても意識せざるおえない環境でした。



だからいじめられて悩んでいる人に言いたい。
大人になっていくに連れて、立場が変わることもあるからぜったい生きるのだけはあきらめちゃいけないんだと。
男性へ異常なほど、負けず嫌いを発揮する私はこの中学時代がベースだったりするわけです。




さて前置きがながーくなりましたが



もうすぐアラフィフ。
準備に入ります。


40歳では演劇を始めました。
当時の元旦に「インプロ」を発見した覚えがあります。


いままでいろいろありましたが、これからますますがんばって行きたいと思っています。


でも大人なのでゆるりと行きます。


私の材料は今まで散々書いたので、ここではあえて書きませんが



まず人格を統一させるには、いっこいっこを認めなければなりません。


仕事をしていると「解離」していることを忘れます。
いい状態です。

ただそれは、自分に蓋をしているだけであって、私の内側なる者をちゃんと認めなければなりません。


二つの「声」の男性と女性の人格は二つに見えて一つです。
この「声」はとにかく私が前向きに生きるよう、人々が前向きに生きるようアドバイスしてくれます。長年の付き合いなので放っておくとします。


ひとつの「声のない人格」についてはいまどうするか、準備段階です。
私はこの「声のない人格」とちゃんと向き合わなければなりません。


もうひとつは「私の世界観」をどう表現するか、思案中でございます。
これもわたしひとりではどうにもならないので、準備段階です。


あともうひとつ「書くこと」について、いろいろ考えています。
無意識に任せ、書くのは嫌いです。
ただ意識と無意識と併せてどこまで書けるのか、いま猛烈に考えています。


この「書くこと」について、このブログを読んでいる方にお願いです。


この一個前に書いたブログを読んで下さった方はわかるかと思いますが、私は今まで自分を『主人公』に見立てて書いて来ました。


今度は誰か今までのことや今のこと、なんでもいいのでここで書いてもいいよ。と仰るかたはいませんか。


語弊があるかもしれませんが、私は一応『人と濃厚に接する仕事』をしています。
私の観点からあなたの人生をドラマ化したいのです。


だれかいたら、遠慮無く言って下さい。
ただ手を挙げて下さった方の人生なので、大事に大事に取り扱いたいと思っています。
でも嘘などはいいませんし、皮肉もかきません。等身大です。



ゆるりとやっていきますので、一番最後の将来の夢に「死ぬまで叶えばいい」と思っています。


ただそこのベースは「自分を使って楽しむ」がベースになってくるのです。


だからこその『挑戦』なのです。




だれか取材に応じてくれるかたー!
よろしくお願いします。



神さま
あなたの前にあなたのわたしを



今年はよく雨が降ります。
私は雨は好きなので、大歓迎ですが。


昨日の記事はバカがばれましたね。なんせ思いたってから書き終わるまで、他の事をしながら2時間で書いた訳ですから、そうとうあっさいあっさい記事に仕上がっています。どうかご勘弁を。


この歳になるといろいろ問題がディープになってきます。私も両親の事でいまかなりまいっています。何のことかは書きませんが、とてもショックです。私たちは親を見て自分の将来を感じるのだと強く思いました。歳をとればとるほど。たぶん娘もそうでしょう。だから明るく元気な変態ばあさんを目指します。

この間、改札を出るときに多少のズレがあって、となりのおじさんより先に私が改札を出たとき、私はおじさんに『舌打ち』をされました。私はぞくぞくして、心の中で腕まくりをし身を乗り出しましたが、私の中の「理性」が「いやいや、やまなはれ」と背中を引っ張ったので、おじさんとケンカすることはありませんでした。ありがとう「理性」。父の血がしっかり流れている事を実感した瞬間でした。



私は次のページを書くための準備で今を書いています。


以前にも書きましたが、禅の世界では自分の事を『主人公』と言うようです。あと私が高校生の頃に影響を受けた映画『ホテルニューハンプシャー』では4人目の兄姉、妹のリリーがこう言っています。(かなりうるおぼえですが)


「人生ではみんな主人公なのよ」と。


私はなぜあの映画に影響を受けたかというと、あの映画は言葉の宝箱のような映画でした。
当時私はレイプにあったその後で、姉フラニーがレイプをされ、レイプの主犯格が「いつかわたしのところに来てくれる」と淡い心を抱く事に、当時の私は共感しました。

彼女は集団レイプでしたが、私はそうではなかったので、初めて肌を重ねた相手に若かった私は「淡い期待」をしていた、愚かなフラニーと私を重ねました。今でも彼女のセリフを聞いて震えた自分を思い出します。


私はある人に言われました。


「のぶはドラマティックな人生だからね」と。


でも私は日常を無理なく過ごしています。
たとえショックな事があっても、そこから抜け出せば、みんなは日常な訳ですから私はそこへ合わせなければなりません。


悲しいことのドラマに浸るよりも、日常で「わはは」と笑える力を作る自分が一番いいと昔から思っています。


ただそこまで行くまでに、かなりの時間を要しましたし、蓋を閉めてぎゅうぎゅうな自分もいました。


この歳だからこそ、過去の全てをしっかり受け入れ先に進むことが出来るのです。



私はここで自分にある、自分に起こったこと全てを、等身大で書きました。



私に「ドラマティックな人生」といった方は、私の話やブログを見て言ってくれているのだと思っています。



人生と言う時の中で、私たちはいつも「サラリ」と過ごしてしまいます。
過去を振り返り「ああ、私ってこうだったんだ。こう思っていたんだ」と思う方はいるかと思います。



私は『主人公』です。
でも読んでいるあなたも『主人公』なのですよ。


今一度、自分の人生を振り返り、少しドラマティックな自分に雨の音を聴きながら、浸ってみて下さい。


これからの自分への、なにかヒントになるはずです。



幸せはやって来ません。
幸せはそこら中に溢れています。

ただそこを感じ取れるかどうかなのです。


リリーは言いました。

「みんな主人公なのよ」とね。



神さま
明るい未来に私へのご加護を




セカンダリーバージニティは『第二の純潔』です。

女優のルネロッソのように、過去に純潔を失っていても(結婚し子どもを産んだ)ある時点から、この道を選ぶ人がいるようです。


私もはっきり『純潔宣言』したいところですが、私の中のエロが「やめとけ~やめとけ~」って言ってます。

だから宣言はしません。



今日はある人とランチをしました。
その人は私よりだいぶお姉さんで、剣道が趣味で(趣味を超えています)日々剣道に励んでいます。


武道を熱く語る方はたくさんいますが、私の人生の中で猛烈に剣道を愛している方は他にいません。
(合気道ならいるんですがね)


やはり真剣にやっていると、師匠やその仲間とある一定の連帯感が生まれその剣道をする姿がかっこよくて、年齢的なこともあり「不倫」する方がいらっしゃるようです。

趣味の世界で「恋愛」に発展することはよくあると思います。

剣道の世界も演劇の世界も「連帯感」などが産まれるので勘違いするようです。
わたしの趣味、演劇の世界の中では、指導者と関係を持ちたがる方もいらっしゃいます。

でも今日の方はこう言いました。


「関係がプラトニックな方が、夢中になっていることを長続きさせることも出来るし、より心の繋がりが深いのよ」と。


本当にそうだと思います。



この年齢になると『心の繋がり』を互いに求めます。
関係を持ってしまうことによって、心の繋がりが不安定になりあやふやなものになってしまうと私は思っています。



プラトニックの語源、プラトンは『饗宴』でもっとも美しいものは、永遠なる美のイデアにあり、美のイデアを求めることが最も優れている(略)。と書かれています。

イデアについてこう書かれています。

『我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だがこの世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアを思い出す、このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとを原型に即して、真に認識することになる」


プラトンを調べるとなんだかちんぷんかんぷんですが、なぜか結構お腹にずしりとくるものがあります。


プラトンの哲学は「真の美」について語っています。
そしてプラトンは男性(少年)を精神的な観点から愛しています。


私たちは外見を見て、フィーリングに任せ相手を選んでいますが、でも人を「魂」から見ないといけないのかな。と勝手に解釈しています。間違っているかもしれませんが。


わたしは相手の話を興味深く聞きそして話を聞いてもらい、時には抱きしめてもらい私も抱きしめ、心の底から交じわえる相手がいつかいればと思っています。



欲を言えば、心の底から契れる人ね。ウフフ
相性もありますが、愛のある交わいはなんともいえませんもの。



心から愛し合える相手はまず、プラトニックからなのかなと思った一日なのでした。



神さま
私からエロスを
ウィキペディアに感謝します。
もうすぐでアラフィフです。

枠におさまろうとしたアラサー時代
枠からおさまり切れなくて、感情の器が壊れてしまったアラフォー時代

それぞれの時代に思いがあります。


私は過去の経験をもとに、たくさん考えました。


アラサー世代は結婚し、子どもを育て家庭を守ると言うことが課題でした。

がんばりました。

全く帰ってこない元夫を横目に、必死で『核家族』という環境の中、娘たちを育てました。
深夜に帰ってくる元夫のサポートもまた必死で考えました。


アラフォー世代はまず元夫を説得し、社会に出ることにしました。
社会に出て私がどこまで通用するか考えました。
正社員にならないかと話はありましたが、枠にはまりたくなかったので断りました。
(事情はいろいろありますが)
家庭の枠からはまりきれず、病気になり離婚しました。
元夫は官僚だったので『官僚の奥さま』の枠にははまりきれなかったようです。


私は病気になったのは「感情の器が壊れた状態」でした。
鬱でもなく躁でもなく、パニック障害でもなく。
「解離」というものでした。
これは小さな頃からもともとあったものですが、40歳で始めた演劇が原因だと言われています。


「解離」は未だにあります。
男性の人格と女性の人格、あと動きと感情だけの声の無い人格。


この様々な事を思いだして、私はこれからを進むわけです。
(昔から読んで下さっている方は、何度も同じ事を言って申し訳ないです)


ちなみに男性の人格は名前を名乗りました。
ブログの名前ですが「ゆきおちゃん」です。
本人は『霊』と言っています。
私とあわせてよろしくお願いします。


さて


材料は揃いました。


私はこれから更なる枠を広げ、またその枠からはみ出るための挑戦をします。



でも大人なので、ゆるりと行きます。


私の狙いはいくつかあります。


まず私のこれからの人生をより良く生きるために、自分らしくいきます。
仕事で頑張ることも、時々仕事へのモチベーションが落ちることも全て私なのです。

あと私は将来の夢があります。
その夢に向かって、着実に行きたいと思っています。

あとやはり

私は娘たちを愛しています。
私は私を通じて「子育て」をしなければなりません。
娘たちは親の背中を見て育ちます。

私が枠からはみ出るほど、自由に生きる姿を見てどう思うか。
反面教師でもいいのです。
ただ私と父親は全く正反対の考え方をしています。
どちらをとってもいいのです。




ただ



自由に生きるには『責任』が伴って来ることを教えたいのです。私が自由にやって、いま「お母さんが自由にやっているから、私も自由にするわよ」と思ったら。。。。


してやったりです。


何か問題が起こっても助けません。


「あなた好きにしたでしょ。自分で何とかしなさい」


と必ず言おうと思っています。


ただ娘たちの良き理解者のひとりでありたいと思っています。


アラフィフはアラフィフの子育てがあるのです。




まだまだ課題や難題やとにかくいろいろあるけれど、力を入れずにやってゆこうとカウントダウンしながら思っています。


今を好きに生きます。


神さま
あらゆる神にお伝え下さい。
私はあなたを愛しています。
あなたは私を愛していますか。
とめどなく溢れる思いにあなたの力を。