ワタシ、二日間で一日

20000歩歩いたよ!

合わせて40000歩だよ!

わたし足し算できるよ!

このクソ暑い中がんばったよ!
ブログなんて書いてる暇なかったよ。

ちょっぴり真面目に仕事して


「ああ、いい加減仕事真面目にせなあかんな」


と思うのでした。



おつかれちゃーん!
夏ですね。

夏は雲がはっきりしているので好きです。

ぼんやり見える雲も好きですが、くっきりした雲がゆるやかになだらかにゆっくりと動く様を眺めるのが大好きです。


私は4年前の夏に離婚をしました。
当時苦しかった私は、当時のマンションの広いバルコニーに置いてある木製のベンチに腰掛け、一日中雲を眺めていた記憶があります。

雲を空を眺めていると、なんだか懐かしい気持ちになって来ます。


私は前世の記憶を持って産まれて来たのですから、今では忘れてしまった記憶を空を見ることでなにか当時の感情だけを思い出すような気がします。


母や当時一緒に住んでいた叔母の話によると、物心つく前、2歳か3歳くらいでしょうか。
その頃から、空を眺めては「ため息」をついていたようです。


これから先、背負うことになにか感じていたのかもしれません。


私は昨日の記事に書いた「声の無い人格」「種」について考えます。


「種」を全力で出すとき、必ず同じ風景がフラッシュバックします。


全然見たこともない風景です。


広い広い部屋の冷たい石の壁に、朱い絨毯。
そこから私を見ている人たちは、なんだか心配そうに私を見ています。

広い部屋から広がった、バルコニーには石の筒状の柱の上に「青い透明な玉」があります。

私は広い部屋の真ん中で、青い透明な玉に向かって、舞のような踊りのような動きをしています。

『種』はその動きをしたいようです。

そのことがフラッシュバックする度に、わたしの「種」は震えて泣きます。
私には全く感情はありません。


私は神さまから、地上界に入るとき「踊る」という事を、引き抜かれてしまったようです。
私は全く踊れません。


振りに合わせて踊るのは、まず無理です。
身体や心や頭がついていきません。


でも「種」を出すと、なぜフラッシュバックが起こるのかわかりません。
わたしのすさまじい想像力は、いつかなにかかたちにならないかと考えています。


今日はかなり晴れて、空を眺めて懐かしい気持ちになり、それを書いてみました。
私のおかしな想像力に付き合って下さってありがとうございます。


まず神に呪います。
でもわたしは遠い遠い昔に、なにかやらかしたのか気になります。


eternity


ですね。ほんとにそう思います。


神さま
ありとあらゆる神に『種』への力を

昨日の夕暮れはあなたのいたずらですか


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そう言えばいままで「声の無い人格」の事を「種」って呼んでたことを思い出しました。


私の中に「玉」みたいな形でいて、それが身体の中を動き回る。


無意識に任せて動くと、それらが散らばって「動く」のです。身体が。


昨日はわたりー師匠のワークショップでした。
シーンをやってる間に、小さな小さな解離がありました。

とっさに出てしまったため、引っ込ませることも出来ず、それでいて俯瞰的に私は自分を見ていたので「このまま任せると、一緒の人と繋がらなくなる」と思った私は、私を見てイメージした相手がどんなセリフかで合わせる事にしました。

結局はかなりシンプルなシーンで終わってしまったのですが、わたりーもいろいろ思う事はあったけれども「良し」としてくれました。


あとから聞いた話ですが、私が解離した瞬間に観ていたわたりーとペコはわかったみたいで、わたりーは途中でやめさせる準備の心を持っていたようです。

私はこの数週間「感情の変化」に重きを置いていましたから、私としては大成功なのですが、でも一緒にやってる人と繋がらないといけないと思っています。

俯瞰している私が、変化しているわたしを指示しなければなりません。
「どう繋がるか」に重きも置いています。


私は『わたし』でも演劇がしたいと思っています。
この材料をどう生かすか、いろいろ考えて『表現』に取り組んでいるわけです。

あのあと「演劇と病気は違うよ」と心配そうにそして諭すように言われた事を思い出しますが、主治医のジョージから言わせると「演劇での解離」と私の「解離」は同じだと言っています。

トランスマスクなんてそのものなんでしょうね。
あくまでも想像ですが。
感覚としてはそれぞれですが、自分の潜在意識に触れるところは似ていると思っています。



私はタイトルにあったとおり、「声のない人格」と対話しなければなりません。


蓋をして蓋をし続け、引っ込めてきました。
『種』はやんちゃです。


ゆきおちゃんはいいます。
「隠れていたんだよ」と。



私は無意識に身を任せ、動いてみることにしました。


確実に『種』に私の『器』がついて行きません。

飲んだくれのおばさんの体力も限界です。
集中力もたりません。
なんせ身体が動かないことの自意識が強すぎます。


いつもの霊の会議は私にこう言いました。
「あきらめるな~、あきらめるな~」と。
複数いました。心強いです。


私は学ばなくてはならないことは、たくさんありますが、でも私はそこで「自分を使って楽しく生きる」がベースです。語弊はありますが無理なく




自由に自由に自由に



やっていきます。


来週は山海塾の方のワークショップがあります。
とても楽しみです。
無理なく「声の無い人格」と対話出来たらと思っています。



神さま
あなたのもとにいる『種』は、あの日の約束の舞のわたしですか
『共存』英語にしてみました。

これで当たってる?
一応調べたよ。

昨日私は即興のダンスパフォーマンスを観てきました。
『コンテンポラリー』ってやつですが、また日舞の即興なんてものもありましたから、また『コンテンポラリー』の私の勝手なイメージとは、全く違うものでした。


正直ダンスを観に行くのは、抵抗がありました。
若かりし頃、映画「ジゼル」を観て最初から最後まで眠ってしまった私は、ほぼほぼダンスやバレエになんて興味がありません。

血湧き肉躍る感じのダンスは観てて好きなんですが「眠くなるかも」と言う、葛藤と戦いながらライブ会場へと向かいました。


かなり小さな小さなライブ会場でした。
「え?ここでやるの?」と思いました。


その小さな小さなライブ会場でのパフォーマンスは、「型破り」をテーマに即興でやら型やらを交えたものでした。

私はかなりひきつけられました。


「内なるもの」の魂は、真の美を追求します。

私はそこに触れたような気がします。


ただ彼らはプロのダンサーで、踊りで全てを表現する力を持っています。

今まで学んだことのほとんどが、そこに集結しているわけです。

ただただ感動するばかりではなく、なにか圧巻させるものがありました。

この感情はちょっと例えようがないです。


私はこのパフォーマンスを見ることに、目的を持って行きました。


散々ここで書いてますが、私は分かれた人格をひとつにするために、それぞれいっこいっこの人格を受け入れる作業に入ります。


私の中でいちばん厄介だった「声のない人格」について、どうしようか考えていました。


声のない人格は私のお腹のあたりに「玉」のようにいつもいて、それが大きくなったり小さくなったり、広がったりします。

手足が勝手に動くのもあるけれど、玉がお腹からキューっと行って、表情が変わったり、その玉が小さくなって目のところまで行って、私にウィンクさせたりします。


ただこの玉が時々広がったりすると、それを抑えようとする私がいて、そこから『発作』につながるわけです。


この感覚はなんとも言えないので、いつかどうにかしなきゃと思っていました。

主治医のジョージに言わせると、それは私の中の『エロス』なんだそうです。


私はパフォーマンスが終わった後、主催でありダンサーだった方とお話し、私の話をしました。

そうしたら彼は、私が長年悩んでいた『声のない人格』の正体を知っているようでした。

「来週のワークショップで出してみましょう」って屈託なく言ってくれたことに、どんなに救われたか。



というわけで、私のチャレンジ「声のない人格」と私は来週きちんと向き合ってきます。



私は帰り道、それぞれの霊たちと話をしました。

霊たちは「大丈夫」しか言いません。


『声のない人格』はわたしであり、かなりやんちゃです。


それをひとつにまとめるために、私はこのわたしのなかの声のない人格をコントロールしなければなりません。

というわけで。

私とわたしの霊たちとの共存が始まります。


神さま
わたしのところに霊たちの全てを





神さま

ペコはまた私をガリガリに詰めました。
彼女はまだ懲りていません。

一緒にいた、みかとみほはドン引きしていました。
ペコをどうしたら良いのでしょうか。


帰り際、私をガリガリに詰めた後


「あー、楽しかった」


と言ってました。


彼女はネガティ部に自称所属していますが、偏屈部のスタメンです。




なんなんでしょう。


昨日の彼女はびっくりするくらいの私の秘孔をつきました。まわりは「そんなことなの」と思うかもしれませんが、私は長年思いに思いを重ねた思いを、彼女の「怒り」に任せ話さなくてはならなくなりました。


私の大事な思いをどうしたら良いのでしょうか。
気持ちがどこか遠くに行ってしまったような気がします。

いやいや、私の思いを叶えてくれるのでしょうか。

私は悩みます。


語弊があるかもしれませんが、彼女はプロなゆえ「出る」と言うことに、結構なプライドと意地を持っています。


私は「表現」する事に置いて、全て目的を持っています。
私のベースは「自分を使って楽しむこと」とテーマは「明るく生きる」です。


自分が「表現」する場において、どこまでやれるか多方面で模索中です。


だから「出る」事においては、重きをおいていません。


それこそ単なる「出たがり」だったら、今の仕事は完全なる裏方なので9年もできません。



「のぶは出たいんでしょ」を何度も連呼され、出たいという気持ちがあまりない私は、いままで5年間、ずっと私を見てきた話を聞いてきた彼女に、猛烈に震えが止まらないくらい「それは心外!」と思いました。


ま、出ることはいいことなんだけどね。
思っていない事を言われ、ショックだったりするわけです。

私は過度に自分を信じないようにしています。
だからこそ、あまり出たくないのです。
それこそ私の世界は、演劇への理解が全くありません。
語弊がありますが、やっていて恥ずかしいくらいです。


ふん!


私がゆくゆくやりたいことに、わりと丁寧に伝えたつもりですが、たぶんあの感じだと全然伝わっていません。


終電を逃した私たちは、彼女は私の家に来て、ニャンズと仲良く遊んでいました。
のほほんと。




私は最終のやりたいことまでに向けて、どんなに誤解されようががんばって行きたいと、彼女のおかげで遠くに行ってしまった気持ちを、しっかとつかみ心に誓いました。



お願いです。
彼女のひび割れた携帯のガラスに更なる広がりを。
そして彼女にありとあらゆる「困難」を。





そしてあなたに私はこう言います。

「ペコちゃん大好き」と。


私が彼女を好きになればなるほど「困難」をお与えください。