『共存』英語にしてみました。

これで当たってる?
一応調べたよ。

昨日私は即興のダンスパフォーマンスを観てきました。
『コンテンポラリー』ってやつですが、また日舞の即興なんてものもありましたから、また『コンテンポラリー』の私の勝手なイメージとは、全く違うものでした。


正直ダンスを観に行くのは、抵抗がありました。
若かりし頃、映画「ジゼル」を観て最初から最後まで眠ってしまった私は、ほぼほぼダンスやバレエになんて興味がありません。

血湧き肉躍る感じのダンスは観てて好きなんですが「眠くなるかも」と言う、葛藤と戦いながらライブ会場へと向かいました。


かなり小さな小さなライブ会場でした。
「え?ここでやるの?」と思いました。


その小さな小さなライブ会場でのパフォーマンスは、「型破り」をテーマに即興でやら型やらを交えたものでした。

私はかなりひきつけられました。


「内なるもの」の魂は、真の美を追求します。

私はそこに触れたような気がします。


ただ彼らはプロのダンサーで、踊りで全てを表現する力を持っています。

今まで学んだことのほとんどが、そこに集結しているわけです。

ただただ感動するばかりではなく、なにか圧巻させるものがありました。

この感情はちょっと例えようがないです。


私はこのパフォーマンスを見ることに、目的を持って行きました。


散々ここで書いてますが、私は分かれた人格をひとつにするために、それぞれいっこいっこの人格を受け入れる作業に入ります。


私の中でいちばん厄介だった「声のない人格」について、どうしようか考えていました。


声のない人格は私のお腹のあたりに「玉」のようにいつもいて、それが大きくなったり小さくなったり、広がったりします。

手足が勝手に動くのもあるけれど、玉がお腹からキューっと行って、表情が変わったり、その玉が小さくなって目のところまで行って、私にウィンクさせたりします。


ただこの玉が時々広がったりすると、それを抑えようとする私がいて、そこから『発作』につながるわけです。


この感覚はなんとも言えないので、いつかどうにかしなきゃと思っていました。

主治医のジョージに言わせると、それは私の中の『エロス』なんだそうです。


私はパフォーマンスが終わった後、主催でありダンサーだった方とお話し、私の話をしました。

そうしたら彼は、私が長年悩んでいた『声のない人格』の正体を知っているようでした。

「来週のワークショップで出してみましょう」って屈託なく言ってくれたことに、どんなに救われたか。



というわけで、私のチャレンジ「声のない人格」と私は来週きちんと向き合ってきます。



私は帰り道、それぞれの霊たちと話をしました。

霊たちは「大丈夫」しか言いません。


『声のない人格』はわたしであり、かなりやんちゃです。


それをひとつにまとめるために、私はこのわたしのなかの声のない人格をコントロールしなければなりません。

というわけで。

私とわたしの霊たちとの共存が始まります。


神さま
わたしのところに霊たちの全てを