セカンダリーバージニティは『第二の純潔』です。

女優のルネロッソのように、過去に純潔を失っていても(結婚し子どもを産んだ)ある時点から、この道を選ぶ人がいるようです。


私もはっきり『純潔宣言』したいところですが、私の中のエロが「やめとけ~やめとけ~」って言ってます。

だから宣言はしません。



今日はある人とランチをしました。
その人は私よりだいぶお姉さんで、剣道が趣味で(趣味を超えています)日々剣道に励んでいます。


武道を熱く語る方はたくさんいますが、私の人生の中で猛烈に剣道を愛している方は他にいません。
(合気道ならいるんですがね)


やはり真剣にやっていると、師匠やその仲間とある一定の連帯感が生まれその剣道をする姿がかっこよくて、年齢的なこともあり「不倫」する方がいらっしゃるようです。

趣味の世界で「恋愛」に発展することはよくあると思います。

剣道の世界も演劇の世界も「連帯感」などが産まれるので勘違いするようです。
わたしの趣味、演劇の世界の中では、指導者と関係を持ちたがる方もいらっしゃいます。

でも今日の方はこう言いました。


「関係がプラトニックな方が、夢中になっていることを長続きさせることも出来るし、より心の繋がりが深いのよ」と。


本当にそうだと思います。



この年齢になると『心の繋がり』を互いに求めます。
関係を持ってしまうことによって、心の繋がりが不安定になりあやふやなものになってしまうと私は思っています。



プラトニックの語源、プラトンは『饗宴』でもっとも美しいものは、永遠なる美のイデアにあり、美のイデアを求めることが最も優れている(略)。と書かれています。

イデアについてこう書かれています。

『我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だがこの世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアを思い出す、このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとを原型に即して、真に認識することになる」


プラトンを調べるとなんだかちんぷんかんぷんですが、なぜか結構お腹にずしりとくるものがあります。


プラトンの哲学は「真の美」について語っています。
そしてプラトンは男性(少年)を精神的な観点から愛しています。


私たちは外見を見て、フィーリングに任せ相手を選んでいますが、でも人を「魂」から見ないといけないのかな。と勝手に解釈しています。間違っているかもしれませんが。


わたしは相手の話を興味深く聞きそして話を聞いてもらい、時には抱きしめてもらい私も抱きしめ、心の底から交じわえる相手がいつかいればと思っています。



欲を言えば、心の底から契れる人ね。ウフフ
相性もありますが、愛のある交わいはなんともいえませんもの。



心から愛し合える相手はまず、プラトニックからなのかなと思った一日なのでした。



神さま
私からエロスを
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