キューバ生まれの隠れた名カクテル「メアリー・ピックフォード」 | BAR white L(ホワイトエル)のブログ

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天神橋最南端のBARです。
「身近で温かいオーセンティック」
をコンセプトに下町のbar文化を発信していく所存です。
心地良く背筋を伸ばし、限りなく心に寄り添う。
white Lはそんなお店でありたい。

BAR white L
ほぼ無休 18時〜4時
大阪市北区天神橋1-10-9 2F

皆様こんばんは
或いはおはようございます



去年末
2024年にむけて家の隅から隅まで
とことん大掃除
大変でした
めっちゃ大変でした
掃除は溜めちゃあいけませんな
今日出来ることは今日やる
今年は掃除の年   カズアキです



では、今月のクラシックカクテルをご紹介
けっこうマイナーなカクテルです
甘くて、強くて、美しい

「メアリー・ピックフォード」


・ホワイトラム 30ml
・パイナップル 30ml
・マラスキーノリキュール 1tsp
・グレナデンシロップ 1tsp

以上をシェイク



【アメリカの恋人】と称されるほどに人気を博したカナダ生まれのサイレント女優、メアリー・ピックフォード

めちゃくちゃ別嬪さん
写真はネット上のものを使用しましたm(_ _)m


女優活動をしながら自身のプロダクションを立ち上げ、プロデュース業もこなす彼女は
役者として活躍しながら制作も手掛ける世界初の女優として映画業界を大いに盛り上げた人物



そんな大女優の名を冠したカクテル


発祥説など細かな詳細は謎に包まれたカクテルなのですが
1920年にキューバの首都ハバナのセビリア・ビルトモア・ホテルの「エディ・ウォーク」

か、

1926年に同じくハバナのナショナル・デ・キューバ・ホテルの「フレッド・コーフマン」によって考案されたというのが有力な説

だそう


どっちにしろ、キューバで生まれたカクテルとして認識されています




ここで一旦、アメリカとキューバの歴史の話になります

時は遡り1920年
絶賛アメリカ禁酒法時代

第一次世界大戦の影響もあり、アメリカでは酒を飲むことが禁止されていました

それでも酒を飲みたい!と、多くのアメリカ国民は酒を求め国外へ
メキシコ、イギリス、そしてキューバへ



当時のキューバはというと、第二次キューバ独立戦争が終わりやっと自分達の時代がきた!と歓喜に溢れていたそうな

しかしそれはあくまでアメリカ保護国としての独立



スペインの統治下であったキューバは、サトウキビ大国ということで、貿易の主力商品として砂糖とラムを大量に造らされていました
そこから "アメリカの保護国" という形で独立することができたのですが、キューバとしては取引先がヨーロッパからアメリカに変わっただけ

引き続き大量の砂糖やラムを輸出する現状は変わらない

経済を回すアメリカとの貧富の差は更に開く
それでも従わざるを得ない
そんな状況がキューバ国民の不満を募りキューバ独立戦争へと発展するのでした



ちょっと話が逸れましたが、それでもキューバにとってアメリカの保護を受けて起こったことは、なにも悪いことばかりではありません

道路に鉄道に農業の生産拡大、そして娯楽

当時のアメリカは無声映画がブーム
その中でも特に人気があったのが、かの有名な喜劇王「サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン」

チャーリー・チャップリン



1919年、チャップリンは数人の仲間と共に映画の制作・配給会社「ユナイテッド・アーティスツ社」を設立するのですが、そのメンバーのひとりがメアリー・ピックフォードでした

アメリカから酒を求めてくる人々がたくさんの映画を持ち込み、口を揃えて言うわけですよ
「メアリーはアメリカ人皆んなの恋人だ」と

かくも美しいカナダの名女優の名は、こうしてキューバ中で広まり、現地でもとても愛される存在に

厳しく辛い環境の中で、キューバの人々を明るく照らしたメアリー・ピックフォード


そんな歴史の流れの中にこのカクテルは生まれたのではないでしょうか




少し甘口ですが、カクテルとしての完成度はかなり高いです
はじめの一杯でも、シメの一杯でも