もののはじまり「駅弁」 | BAR white L(ホワイトエル)のブログ

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天神橋最南端のBARです。
「身近で温かいオーセンティック」
をコンセプトに下町のbar文化を発信していく所存です。
心地良く背筋を伸ばし、限りなく心に寄り添う。
white Lはそんなお店でありたい。

BAR white L
不定休 18時〜4時
大阪市北区天神橋1-10-9 2F



皆様こんばんは
或いはおはようございます



人はウソをつけるから
集団で生きることができる
最近急成長なAIには出来ない芸当
人類の成長はウソと共にある
そう言われているそうな
さっきまで閲覧できていたページが急に
「404 Page not found」
ウソやろっ!!! カズアキです




えー、だいぶ話が変わります
物事には、何を取っても必ず「始まり」のタイミングがあるもの
AIやスマホみたいな文明の利器はもちろん、食文化や芸術にだって最初のひとつ目がある

そんな、「もののはじまり」をちょっとした豆知識にまとめて、毎月発信していこうかなと思います

シリーズ化します

酒の話ばかりじゃ飽きますもんね 笑
酒以外のこともしゃべります



はい、というわけで
今回はちょっと昔話をひとつ

今や列車旅行には欠かせない駅弁
昔は「立ち売り」という駅弁を盆に入れた売り子がホームにいて、短い停車の間になんとか窓越しに急いで買うのが一般的だったそうな
最近は窓が開かない車両も多くなり、そういった販売形式はほとんど見なくなりました

因みに現在も立ち売りがあるのは、岐阜県の「美濃太田駅(みのおおた)」、熊本県の「人吉駅(ひとよし)」など10駅以下だけだそう



駅弁が最初に販売されたのは1885年(明治18年)
当時、上野と宇都宮を結ぶ路線が建設されていて、作業員たちが宿泊していた白木屋という旅館では、彼らのために毎日弁当を作っていた

その弁当がウマいと好評だったことから、宇都宮駅が開業すると乗客向けに売られるようになった

ただし、駅弁といっても現在のような豪華なものではなく、握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んだだけのもの
それでも5銭、今でいう2,000円以上の高級食だったそう


それだけ高くても、人気の高かった駅のお弁当文化が生き続け、今現在の豪華で安価な「駅弁」へと繋がったそうな



てな訳で、