「三輪(みわ)」
…と言えば素麺ですかね。
素麺大好きですが、それだけじゃないんです。例えば三輪山、大神神社、山辺の道、箸墓古墳、纏向遺跡等々。
うー、でもみんな時代が古いのう。
で、今日は、戦国から江戸時代、三輪山の麓に栄えた、ある場所に行きました。
まず、三輪の里の北西に位置する慶田寺(けいでんじ)です。
お寺を南から望む。集落のはずれにあります。
山門です。後述しますが、芝村藩陣屋の南門で(陣屋の)唯一の遺構ということです。
慶田寺は曹洞宗の寺ですが、じつは織田信長の弟の織田長益(ながます)の子に始まる芝村(藩)織田家の菩提寺でもあります。
織田長益は茶人・有楽斎(うらくさい)としてもつとに有名ですが、関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から大和に三万石を与えられました。のち自分と四男長政(ながまさ)、五男尚長(ひさなが)に領地を三分割しました。
芝村藩の祖・長政は、最初戒重(かいじゅう)に陣屋を置きましたが、七代藩主輔宜(すけよし)の時に当地・芝村に移ってきたそうです。
ちなみに五男尚長は柳本藩(天理市)の祖となっています。
慶田寺の裏の墓地には、織田家累代のお墓があります。
ひっそりとしています。「空、風、火、水、地」
合掌。
さて、慶田寺から東へ歩いて10分ほどの住宅地の中に、芝村藩の陣屋跡があります。と言っても、目に見えるものはほとんど残ってません。
写真は小学校です。それらしい雰囲気のある門です。このあたりが陣屋のようです。
もう少し長い説明文ほしいなあ。(笑)
陣屋の昔人は、いつも秀麗な三輪山見れていたんですね、きっと。
今は建物群で視野の一部あるいはほとんどが遮られるか邪魔されるかして、なかなか絶景ポイントが見つけられません。絶景が必ずいいわけではありませんが。人のにおいしませんから。
ここには陣屋の濠の面影ありますね。
おっ、オオバン泳いでる。ひょこひょこ(首振りの擬態)と。
何だか懐かしい水辺空間。
ここだけ時間が止まってる感じします。
うだつのあがる町並み。かつての大手通りなんだろうか?
突然ですが、こうして、歴史を幾重にも重ねながら、今があるんだと感慨深く思いました。
(おしまい)