ミルトン・エリクソンに学びましょう。
ミルトンエリクソンのエピソードを抽象化してお話します。
ある日、一人の女性が精神科医で心理学者であるエリクソンの元を訪れました。
彼女は「死にたい」と言いました。彼女は自分の人生に絶望しており、もう生きる意味を見出せなくなっていたのです。
エリクソンは彼女の話を聞いた後、次のように提案しました。
「わかりました。あなたが本当に死にたいと考えているのなら、それまでにやりたいことを全部やってみるのはどうでしょうか?どうせ死ぬんですから」
「いいですね、その通り、どうせ私は死ぬ気ですから、やりたいことをやって死にます」
「何か特別にやりたいことはありますか?」
彼女は一瞬考えた後、「そういえば、私はずっと旅行がしたかったんです。でも、仕事や家庭のことで忙しくて、そんな時間はなかった」と答えました。
エリクソンは、「それなら、今こそその夢を実現する時かもしれません。旅行に行って、あなたが本当にやりたいことを全部やってみてください」と勧めました。
この提案に従い、女性は旅行に出かけました。
彼女は様々な経験を通じて新たな視点や生きる目的を見つけることができました。
最終的には、彼女は「死にたい」という気持ちから解放され、再び生きる力を取り戻しました。
エリクソンは女性に対して直接的な助言や指示をすることなく、彼女の問題を解決したのです。
エリクソンは彼女が訪れ、その悩みを聞いた時「本当に死ぬことを選んだ人は、死にたいと訴えるために私の元へ来ることなく、ひとり死を選んでいるはずだ」という洞察を得ていたのでしょう。
「死にたい」と訴える、その行為自体が、その人がまだ生きるための希望や助けを求めているサインだと解釈したのです。
エリクソンは女性の話を聞き、彼女の中に未練や希望が残っていることを感じ取りました。
彼女の「死にたい」という言葉の背後には、実際には未だ満たされていない願望や夢があることを察したのです。
つまり彼女の「死にたい」とは、「生きたい」と同義だったのです。
生きたい=義務から解放され、自分らしくイキイキと生きたい
死にたい=義務から解放され、自分らしくイキイキと生きたい
いずれにしても、彼女の真なる一つの要求があったのです。
「死にたい」という言葉も、本当に生命活動を終わらせるいう意味ではなく、
どちらかというと「消えたい」=やりたいことができない自分を変えたい、このつまらない人生を終わらせたい、という感覚に近かったのでしょう。
死にたい=生きたい
大元にあった彼女の望みは「自分らしくイキイキと生きられる人生を生きたい」
彼の提案によって、その女性は自分が本当にやりたかったこと、つまり旅行をすることで新たな視点や生きる目的を見つけることができました。
葛藤(悩み)とは、Aという「現状」と、Bという「あるべき(求めている)姿」のギャップに苦しめられることです。
通常、そうしたギャップは、生きていれば大きいものから小さいものまで、様々あります。
ギャップがあるだけでは苦しみにはなりません。
ギャップそのものではなく、「ギャップがあると強く感じている」ことが葛藤(苦しみ)なのです。
「ギャップがあることが苦しい」というのは、極めて主観的な観測事象であり、簡単にいうと解釈にすぎないものです。
ある人にとってはたいしたことがない、気にも留めないギャップでも、
ある人にとっては、許し難い、無視できないギャップなのです。
その人がそう思っているという内面世界に対して、数学のように一つの解を出すことは不可能です。
内面世界の悩みの解決に「万人に当てはまる一つのアドバイスや指摘」は存在しないのです。
Aという「現状」と、Bという「あるべき(求めている)姿」のギャップが苦しみです。
そして、AとBという事象の大元は、実は一つです。
あらゆる葛藤は、ある一つの欲求に繋がっています。
AとBは、ある一つのCにつながっています。
エリクソンのもとを訪れた女性にとってのCはおそらく「義務から解放され、自分らしくイキイキとできる時間をもっと持ちたい」だったのではないでしょうか。
Cに気付き、満たされると
自動的にAとBの葛藤構造は破壊され消滅します。
エリクソンは、クライアントの現状とあるべき姿のギャップを、相手が訴えるがままに傾聴し、
そのギャップを埋めようとすることなく、その人の持っているリソースを使い、2つの事象が連なっている一つの高みへと連れていったのです。そうすることで、葛藤構造が破壊されることを知っていたのです。
彼女の「死にたい」という辛い現実が変化し、より高次な次元へと上昇することができました。
我々人間はこのように、現状よりも、より高次な次元へと進むことができます。
我々人間が、内面性を問うことの重要性がわかります。
そして、これは生命の自然な法則でもあります。
なぜなら宇宙の根源エネルギーは愛だからです。
最も高次な次元に存在するエネルギー、意識は「愛」そのものです。
あらゆる事象の大元は一つ、愛です。
自然は、生命は常に「愛そのもの」という最も高い次元へと向かっています。
だから苦しみ、悩むのです。「愛そのもの」ではないからです。
その苦しみや悩みは、あまりにも主観的なため、ある一つの解決策は存在しません。
(法的解決などができる問題ではなく、心的問題についてです)
解決策を探すことは無駄ではありませんが、
まずは、AとBの葛藤のその先にあるCという地平を見ることです。
より高い次元が存在することを認識することです。
それが生きる希望であり、未来です。