30年目のバリクバヤン  -3ページ目

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

蝿が多いのに参った。

日本も1950年代は割りと多くて、まだ殺虫剤の無い時代は

各家庭で蝿取り紙を天井から下げていた。

マニラも多かったが、田舎は凄かった。小さい蝿がぶんぶんと飛び、

体のあちこちに止まって来る。手で払ってもすぐまた別の蝿が来る。

食事の時は、テーブルの料理にも止まる。その内慣れて来て抵抗なく

食べることが出来る。手で追うが埒が明かない。

試しにソファーに座りじっとして蝿の状態を観察していたら片目の範囲で

10匹は確認できた。

8/2 親戚一同約30人で近くのビーチに行った。

勿論、食事飲み物を大量に積み込んで。

白い砂浜で見た目は非常に綺麗である。海に入ってみると

遠浅で海草が茂り、砂の間にゴツゴツと岩が出ている。

腰位の所まで行こうとすると岸から50M位行かないとダメだ。

浅瀬をウロウロしていたとき、引く波に足を取られ前のめりに

倒れ、膝を岩で擦りむいた。幸い傷は大したことは無かったが、

自分の足腰が衰えていることを自覚した。68歳と7ヶ月だが、

勤めも多分70歳が限度であろう事を痛感したので、その後の

ライフプランを考えなければならないと思う今日この頃である。

今回の旅行中、マニラでもバトでも停電と断水があった。

昔ほどの長時間ではなく60分程度で直った。

インフラの整っていない国である。

これほど経済が発展したのだからインフラ整備に投資すべきである。

また道路整備・信号設置・交通混雑の緩和などに力を注ぐべきである。

幸い若い労働力に不足は無いので本来なら一石二鳥の話である。

国が出稼ぎを奨励しているが、自国産業の育成と就労機会の創出こそ

政府の大きな課題である。

また国民性もあるが。過去の失敗から教訓を得て、未来に繋がる発想を

する教育が必要だ。

そうしないとアジアでも遅れてしまう。

私がこの国と関わって42年。経済的には少し良くなった程度で全くお粗末な

進歩である。

フリィピンでは、11月1日に盛大に家族・親戚が集まり

お墓参りをする。

私は、日本人の感覚でお墓参りに行きたいとリクエストした。

私の知識では、フリィピンでは亡くなるとお棺に入れ墓地に埋葬

またはコンクリートで覆う。共同墓地もあればお金持ちは、

壁・天井をコンクリートで囲い、入り口を施錠する。

BATOに住む義姉は10年前にご主人が亡くなった時に、自分の

家から10分くらいの所に立派な墓を作った。

一方、義父と義姉(長姉)は、そこから車で3時間位の田舎の

墓地に埋葬されていたが、既に死亡後25年以上経っているので

埋葬されている遺体を掘り起こし、骨だけを集めて昨年の9月に

自分の墓に改葬した。

そこで、今回の訪比に併せて義父と義姉のお墓参りをしたいと

申し出た訳である。

 

8/5(日)17:30 親戚10名と1978年に挙式したビラク教会へ行く。

事前に予約してある教会の事務所に行く。普段は、事務所は土・日は

休みだが、遥遥日本から来たということで、事務員の方も来てくれていた。

「結婚証明書の発行依頼」「手数料」「寄付」と色々サイン・申請をする。

そこで封筒に入った1枚の証明書を受け取る。「Certificate of Marriage」

というタイトルで二人の氏名・住所・年齢・両親の氏名・挙式した神父名と

教会のmarrige bookの№・ページ・行数が記されており、そこに確かに記載

されているものに間違いないと書かれている。

感激だ!!40年前の証拠がこんな田舎の教会にもキチンと保管されている

なんて正直私は半信半疑であった。まだパソコンもなく手書きの時代で40年前の

記録が手元に残っていることに驚くと共に教会の権威・力のすごさを実感した。

このあと、別室で現役神父さまより祝福を受ける。私はただ挙式した教会が見学

出来れば良いとの感覚だったが現地のファミリーはまた別の感覚があるに違いない。

このあと、教会の日曜礼拝にも参加し、最後に私達の訪問がアナウンスされた。

良い記念・思い出になった。10年後の結婚50周年にも二人が元気ならまた訪れ

たいと思う。