30年目のバリクバヤン  -4ページ目

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

7/29(日)マニラ発06:55のセブパシに親戚計9名で乗り、

ビラクへ飛ぶ。空港には妻の兄夫婦が来ていた。迎えの

ジプニーに乗り、途中のレストランで全員で朝食。

ご飯・目玉焼き・一品のフリィピンスタイル。

その後、バトの義姉宅へ。実は義姉の次女(台湾在住)が

義姉宅の隣に自宅を新築(2018年4月完成)し、今回はそこへ

泊まらせてもらう。

コンクリート2階立てで屋上が半屋根で夕方以降は涼むことが

出来る。しかも屋上で隣家の義姉宅と行き来できる。

新築だけあって、気持ちが良い。但しシャワーは水のみで温水器が

欲しい。細かい処でフリィピンらしさが随所にあった。決定的なのは、

私達が泊まった部屋のドアが完全に閉まらない。多分床の水平が

不完全でその上にタイルを貼ったので、ドアの底が閊えていると

思う。もう一点は部屋のシャワーの排水がされない。管が詰まって

いるようだ。これは強引に直してもらった。配水管に砂が詰まって

いたようだ。この辺は完成後のチェックという概念がないらしい。

それでも新しい家は素晴らしい。普段次女一家は台湾住まいなので

管理・掃除も含め義姉が住んでいるらしい。親孝行の一環である。

この家で8/1に親戚50人が集まってパーティーを行った。

食べて・飲んで・ダンス・歌・ゲームで皆楽しく過ごした。

 

 

マニラ周辺の親戚が約40名集合してくれた。

初めて会う甥っ子も。兄弟は15名と聞いていたが16人目の

兄弟も登場。どういうことかというと、10番目の妻が生まれた

時に実の母親が死亡、お父さんが再婚し、その後5人の弟妹が

生まれたが、2番目のお母さんは連れ子が1人いてその人を含めて

16人。この辺の大らかさが私は好きだ。

食事をし、酒を飲み、ゲーム・カラオケ・ダンスと盛り上がり、宴は

続く。

私は23:00には自室に引き上げる。翌朝10名位のグループは遠いので

これから帰ると言う。11:00頃帰途につき、静かになる。

 

私達が来る前は連日降雨だったが、マニラ滞在中はたまに降る程度で

ラッキーだった。

マニラの街のあちこちでビルの建設ラッシュ。コンドやモールの建設中で

経済の活況を感じるが、インフラの未整備が気になる。特に停電・断水・

交通の混雑。日本人から見ると無策な政治と思える。

 

今回の渡比の目的は3つ。

①マニラ・バトの2箇所でFR(ファミリー・リユニオン)パーティーの実施

②8月1日の結婚40周年に際して挙式した教会訪問と挙式した

 書類の入手。(記念として)

③義父と義姉の墓参り。

 

マニラでのFRパーティーは7月27日。開催場所はマニラ・サンタメサに

ある姪っ子の自宅。(マニラ滞在中は宿泊)普段は姪っ子夫婦と子供

4人の6人暮らし。近代的な一戸建て。3年前に訪れた時は、メイドさん

が二人いたが、4人の子供が大学を卒業したので、今はメイドさんは

いませんが、私達が居る間だけ妻の弟・妹(50代)が手伝いに来ている。

唯一温水シャワーのある家。

 

当日は、朝から料理の準備。豚のレチョンも用意されている。

私は、やる事もなく朝から椅子に座ってノンビリ。

開催時間も決まってなく伝統的に夕方開始らしい。所謂フリィピンタイム

郷に入っては郷に従えの諺に忠実な私は全ておおらかに待つ。

15時頃から人が集まりだし。その都度出迎え・挨拶・紹介。

殆どが3年前に会っている人。妻の兄(75歳)が田舎から出てきている。

昔から酒好きで滅茶苦茶なダンスを踊る面白い人。私にいろいろ話しかけて

くれる大好きな一人。3年で大分年を取り足元がおぼつかない。悲しい。

ダンスも手と腰を振るだけでステップがゆっくりになっている。それでも私に

優しく話しかけてくれる。                       つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台風接近中で心配しましたが、昨日午後帰国しました。

PAlは欠航となったので、ANAを選んで良かったと思いました。

今日から出勤予定ですが、台風の影響でどうなるか?

おいおい、渡航記を書いて行きます。

もうすぐ自宅を出発し、成田~マニラへ。

8月8日に帰国します。

旅行中は更新できません。

それでは!!