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30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

9/18から本社へ戻って約1ヶ月が経過した。

採用面接・給与計算・社内面談・社長との打ち合わせ

など忙しく過ごしています。

9:00~16:00の勤務だが大体は17:00まで仕事。

11月からは9:00~17:00の月~金へ変更予定。

朗報は、11/30に退職する人事・総務の責任者

候補の採用が決まり、2019年1月から出社する。

1年間はミッチリ教えれば、2020年1月には隠居

出来る見込みがついた。

それを楽しみにがんばります。

9/27(木)は人事2名で、群馬県の支社へ行き、対人関係に問題

あるパートさんに即日の退職勧告を申し渡し、本人も受け入れて

くれた。

9/28(金)採用面接2件を行った他に、社内の対人トラブルで

当事者2名から話を聞き、18:00から当事者同士の直接の話合いに

同席。つまらない誤解から不信感を生み、お互いに無視されたと主張。

おかげで会社を出たのが19:30になってしまった。16:00が退社時刻

なのに。

今日は、秋の彼岸の中日。浅草の菩提寺に墓参りに行って来た。

30代・40代の時は、数年に一度であったが、60を過ぎてからは

春・秋の2回は墓参りに来ている。

このお寺には2つの墓がある。一つは両親の墓、これは長兄が

継ぐ。もう一つは、曽祖父母・祖父母・叔父夫婦の墓(謂わば本家)。

こちらを縁あって私が継ぐ事になったので、いつも2箇所の墓参りに

行く。お墓を掃除し、水を撒き・お花・お線香を手向けお参りする。

4人兄弟の末っ子であるが、お寺に一番近い私がいつも代表で

墓参りをする。4つの時に父を亡くしてからいつも母に連れられて

来ていたので抵抗はない。

だから、私も時々長男を誘って墓参りに行く。こうすると将来、

長男も抵抗なく私達夫婦の墓参りに来るようになるのではという

ささやかな親の企みである。

 

65歳で退職し、9ヶ月近く雇用保険を貰いのんびりしていた。

ノンビリするのも良いが、体を動かしたほうが良いと思い求職活動をし、

実際面接も数社受けたが不採用であった。

そこで奥の手を使い、元の会社の物流倉庫のマネージャーに連絡し、

週4日・6時間・時給1000円で働かせて貰った。勿論マネージャーは

社長の許可を貰っていた。6ヵ月後社長から電話があり、時給を見直し

1500円にしてくれた。感謝の気持ちで2年10ヶ月が過ぎた。

9月10日に社長から電話があり、翌日本社へ来いという呼び出しであった。

翌日、恐る恐る本社へ行くと、思わぬ話があった。

私の後任の総務・人事部長とその部下の計2名が近々退職したいと申し出が

あったのでどうすればよいかという相談である。

いろいろ話を詰めてみると決意は固く、2ヵ月後に退職するらしい。

そこで、私に9月15日から本社へ来て引継ぎをして欲しいという話である。

何とかしないと会社が回らないので取り合えず引き受ける事にした。

週4日・6時間で引き受け、暫くやってみて後は相談である。

仕事は自信があり、何の不安もないが体調面と3年近くノンビリして

人事・総務の泥臭い仕事がどれくらい続けられるのか?

私的には70歳引退と考えていたのだが、それも後1年数ヶ月。

これから後任を採用し、引き継いでもそれでは終わるはずも無い。

どうしようと悩む昨今である。

 

昨日、時間があったので一人で近くのモールで映画を見た。

「愛しのアイリーン」というタイトルで、9/14から全国公開に

なった映画だ。20年位前の東北・農村が舞台。

嫁不足で結婚出来ない40過ぎの男が、多額の費用を払い

フリィピンへ嫁探しツアーへ参加し、若い嫁を連れて日本へ戻り、

言葉が通じず、夫婦の意思疎通が図れず、嫁・姑の問題、

人種の偏見、フィリピンへの仕送りなどの数々の問題が描かれて

いるが、一言でいうと差別的な悪意でフリィピン人が描かれていると

感じました。日本人側からの一方的な解釈で、この映画を見た

多くの日本人は、日比国際結婚をしているカップルに誤った印象を

植えつけるのではと危惧を抱いています。

あくまでも、私個人の意見です。