爆熱!ゴッドフィンガー -31ページ目

酔った勢い

先週の日曜日の町民運動会の打ち上げの後に運動会の時に使って余ったかき氷用の氷を酔った勢いで正拳で割ろうと試みましたが失敗しました。(笑)
後で冷静に考えたら普通は瓦割りでも氷柱割りでも台座の上に置いて下が空洞になっているのですが自分はアスファルトの上に直置きしたので事実上…

アスファルトに正拳突きをしたも同然でした。(_△_;)
 

右手の薬指と小指の付け根が見事に腫れています。おまけに正しい正拳の突きは人差し指と中指の付け根で突く訳で…正拳の突き方も悪かったというおまけ付きです。(苦笑)


ムー大病!

2004年8月17日の出来事です。
当時、民宿をしていた時に綴った嫁さんの手記を転載します。
かなりの長文ですが、気が向いたら読んで下さい。



前日まで保育所がお盆休みだった為、この日の朝は保育所へ送って行く時に大泣きされるだろうな~・・・なんて予想していましたが、なんと満面の笑顔で両手をブンブンふって

「バイバァ~イ」

をしてくれました。ところが
2時過ぎに保育所から

「熱がでたので迎えに来てほしい」

と電話がありました。
お盆休みの疲れがでたのかなぁ~と思いつつ保育所へ。
先生の話では、午前中は機嫌も良く、お昼もパクパク沢山食べたとのこと。
お昼寝の途中、ぐずったムーをさわった先生が熱があることに気付き連絡をしてくれたのでした。
ひとまずそのままムーを病院へ連れて行こうと車にのせて出発したのですが、病院へ行き着く前に嘔吐してしまい一端自宅へ帰って着替えをさせ再度出発。
しかし病院へ着く前に再び嘔吐。
もう一度自宅へ帰り着替えさせ再々出発。
なんとか病院へたどり着くものの診察の順番を待っている間にも3度の嘔吐。
しかし嘔吐の回数が多いものの風邪の症状だったため、吐く風邪と診断されました。
喘息の症状も出ていたので吸入をし喘息の薬と解熱剤をもらって帰宅しました。
脱水症状が怖かったので水分をこまめに取らせていたのですが、嘔吐が続き体が楽でないようで激しく泣いていました。
パパ(be-free)が仕事から帰ってくる頃には、泣き声もあげなくなりグッタリしてきたため、昼間受診した病院へ電話した所、夜間救急で看てもらえる事になりました。
早速パパの運転で病院へ向かったのですが、その頃にはムーは意識がもうろうとして呼びかけても反応しなくなっていました。
夜間救急外来は来た順に看てもらえるのですが、たまたまこの時は誰も居ず、直ぐに診察してもらえました。
当番だったのが産婦人科の先生で、ムーを看て


「僕じゃ手に負えないから小児科の先生に連絡をとります」

と、すぐに病院近くに住んでる小児科の先生を呼んでくれました。
電話から5分位で小児科の先生が駆けつけてくれ、即入院の手続きをとってくれました。
先生からは

「髄膜炎かもしれないから検査してみます」

と言われ検査結果が出るまでの間を利用して、私は入院準備をするため一端帰宅しました。
当座の荷物を用意し病院へとって返し病室に行ってみると、厳い顔をしたパパがいました。
私が居ない間に検査結果が出て、先生からの説明がありました。
検査結果の事をパパに尋ねてもなかなか答えてくれず、視線も合わせてくれません。再度、尋ねると思いもかけない答えが返ってきました。
検査の結果、やはり髄膜炎だったとの事。その髄膜炎にも「ウイルス性」と「細菌性」が原因の2種類あって、ムーはやっかいな方の「細菌性」が原因だと言われました。
髄液検査の結果、通常健康な人の髄液の中には白血球がゼロなのに対し、ムーは3000以上あり最悪の場合、命に関わるとの事。
しかし発見が早かったため、直ぐに治療に入れたのは不幸中の幸いでした。

「今は悪い事ばかり考えないで、発見が早かったということに望みを託そう…」

みたいな事を言われた様な気がします。
気が動転していた為か、情けないことに当時の事はあまり思い出せないのです。
ただ、意識のないムーの手をにぎり、髄膜炎によるヒキツケを繰り返すムーの側に付いていた事しか覚えて無いような気がします。
この日からパパと2人、24時間体制でムーに付き添い続けました。
入院してからの数日は、4~5時間間隔でヒキツケをおこすムーを見守る事しか出来ず、ただただ『生きていて!!』と願うばかりでした。
熱も39℃台が続き、一時は本当に危なかったのだと思います。
でもムーも頑張りました。入院4日目にはヒキツケもおこらなくなり、熱も少しずつ下がってきたのです。
相変わらず意識はありませんでしたが、ヒキツケが減った為、ヒキツケを押さえる薬が徐々に減らされて、入院5日には意識も少し戻ってきました。
その頃には哺乳瓶で少量のお茶も飲める様になりましたが、顔の表情などは引きつったまま。回診の時の先生の表情も厳しいままでした。
パパは何時までも仕事を休んでる訳にもいかず、後ろ髪引かれる思いで仕事に行き始めました。
脳に膿が溜まっていると、その膿を出さなければならないため、CT検査を1日がかりでしましたが、ムーの脳の映像はきれいだったそうです。
生きることをあきらめず、頑張ったムーの快復力はすごいもので入院8日頃には自分でスプーンを持ち、ご飯を食べられる様になりました。
この頃になると、回診に来る先生も笑顔が見られるようになり入院9日には点滴をしながらも病院中を走り回れる位にまでなりました。
そして入院12日目。再度、髄液と血液検査の結果、血液中の炎症値は標準になり、髄液の中の白血球も109にまで減少。
まだまだ完治ではないものの自宅にて経過観察ということになりました。
自宅へ帰ってきたムーは、廊下を走ったりキャサリンを追いかけたりと以前と変わりない様子。
心配していた後遺症も今の所は無く、顔色はまだ青白いものの腕白ぶりを発揮しています。
後日、CTの検査など、まだ通院しなくてはなりませんが、ゆっくりと治していこうと思っています。
あの時、迅速な判断と対応をして下さった先生方、入院中にお世話になった看護婦さん達、何度もお見舞いにきてくれた義母と実家の両親や親戚の方々。遠くから応援してくれた民宿のお客さんや、守ってくれたご先祖様達。なによりオロオロしてばかりの私を、どっしりとして支えてくれたパパ。
皆のお陰でムーは、快復しつつあります。
感謝してもしたりないくらい、皆に感謝しています。
今回、滅多に無い経験をした私達ですが、改めて家族の大切さを実感しています。
またムーの笑顔を見ることが出来、抱きしめる事ができる幸せをかみしめている毎日です。
来シーズンには又皆様の前に”腕白ムー”がお出迎えすると思いますので、どうぞこれからも宜しくお願い致します。



あれから9年が過ぎました。この文面は、2004年8月31日に書いた物で、今読み返しても当時の厳しかった状況が生々しく思い出されます。
今では小生意気なティーンエイジです。(笑)

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お盆は戦場だ!

お盆時期というのは、特にスーパー関係を相手にしている所は凄く忙しいモノです。
新たに就職した所も例外なく、12日からは毎日8時過ぎまで残業です。
普段300程度のアイテムが3倍の900パックとかになります。(思わず赤く塗ってやりたくなりますw)
そんなお盆時期の商戦をなんとか切り抜けてようやく平和な日常が訪れたのですが…

とんでもない出来事がおこりました!!(°▽°;)

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就活

父を看取る頃と平行して次の就職先を探していましたが、なかなか良い所に巡り会えない物です。
そんな中で、be-free的には条件が合わず辞退させてもらおうと思っていた所から「来ませんか?」という誘いを受けて行くことになりました。
地方コンビニや某大手スーパー、地方スーパーへお惣菜を納入している企業です。
お盆の繁忙期に間に合うように来て欲しいという事だったので、8月10日からお世話になることになりました。

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49日法要…そして次の日

7月12日に父の49日法要と祖母の1周忌をしました。
1年の間に2回も葬式を出すとは思いもしませんでしたし、親戚の方々の色んな意味で大変だったと思います。
その日、母の姉の旦那さんが喪服の上着を忘れてしまいました。
翌日、電話をすると…

通じません。

コールはするのですが出ません。
何があったのかというと…

これです。

2004年は、母の実家が火事になり、父が他界。そして母の姉の家周辺が水害です。

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爆熱!伯父さん4

前にも書きましたが、伯父はほぼ毎日、空けても3日以内の割合でも家の仏壇に手をあわせに来てくれています。
時には1日3回なんて事もざらにあります。
be-freeの祖父が、酒好きだったので仏壇に日本酒の二合瓶を上げていました。

それがある日突然、栓が抜けて少し減っているではないですか!(°▽°;)

ま、直ぐに犯人は分かったのですが、しばらく様子を見ることにしました。
伯父が仏壇参りに来る度に瓶のキャップの分だけ酒が減っていきます。
どこまで続けるか観察していたのですが、半分まで減った所で止めたみたいです。
子供みたいで、ちょっと笑ってしまいました(^^)。

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通常の約3倍



明らかに特定の人種をターゲットにしたフレーズだ。
俺か?…触手が動くぜ~!!(爆)
どうせなら赤いパッケージにしてほしかった!(≧∇≦)/

爆熱!伯父さん3

周りの色んな方々に助けられて無事に父を送る事ができました。
幸か不幸か、9ヶ月前に祖母が亡くなった際に父から

「こういう事は覚えておいた方がいい」

と言われて、一通りの流れを横で聞いていた事がこんなに早く役立つとは正直、思いもしませんでした。

で、伯父です。(笑)

父は生前もの凄く甘党だったのですが、糖尿病になってからは甘い物を極力我慢していました。
なので、もう我慢する事もないと思い仏壇にはいつも甘い物があがっていうました。
そんなある日。
シュークリームをお供えしていたのですが、下ろすのを忘れて1週間位過ぎたでしょうか…

「あれはもう腐っているから捨てなきゃね(^_^;)」

という話をしていたのですが翌朝…

シュークリームが突如として消えました\((;◎_◎)/!

中身だけ…袋は仏壇の前に置いてあります。丁度、その日の朝に伯父が来ていたらしい…

「伯父が食ったな…( ̄▽ ̄;)」

という話でまとまりましたが…

あのシュークリーム、腐っていなかったのか!?(°▽°;)

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爆熱!伯父さん2

父の葬儀に際しては父の同級生やbe-freeの同級生が中心となって葬儀屋さんと話しながら準備を進めてくれます。これはbe-freeの住んでいる地域独特の風習だと思います。
be-freeも友人の親が亡くなったときに同様にお手伝いをさせていただきました。

さて、伯父です。(笑)

父の葬儀のお斎の時、伯父は満腹中枢が狂っていたようで、いくらでもパクパク食べます。

「よう、こんなに食うなぁ~(^_^;)」

と呆れる程に…聞いた話では、若い頃は1升飯もざらだったとか…
そんな伯父です。早々に自分の料理は完食!足りないのか?

気がついたら隣人の料理にも手を付けていました!( ̄▽ ̄;)

見つけた倅さんに

「他の人のお膳まで食う馬鹿がいるか!(°°;)\(- -;)」

…と、大目玉喰らっていました(苦笑)。

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爆熱!伯父さん1

伯父(母の兄)は、40代で不運な事故により頭部を強打してから”ちょっと”天然になってしまいました。
最近ならボケの部類にカテゴリできます。そんな伯父の”おちゃめ?”なボケのエピソード…

伯父はほぼ毎日、空けても3日以内の割合でも家の仏壇に手をあわせに来てくれています。時には1日3回なんて事もざらにあります。

父が亡くなった午後に、伯父が来ました。で、お悔やみを言って帰りました。
で、翌日です。また伯父がやってきました。てっきり父の顔を見に来たのかと思っていたのですが…
父の亡骸が横にあるにも関わらず、仏壇の鈴を叩き手を合わせ一言。

「今日は、鍛冶仕事の音がしないけれども、どうかしたのかね~」

昨日のアレは何!?(°▽°;)
ってゆーか、横に親父寝てんだけど…


そんな伯父に母が一言。

「お前の横に寝ているだろが(-_-#)…」

「ああ、そうでございました(^^)」

と、改めて合掌。
憎めない伯父です。(笑)

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