爆熱!ゴッドフィンガー -32ページ目

伸び盛り

小5の長男。
前の日と明らかに背の高さが違うときがあります。
特に夏休みになって靴を全く履いておらず、足先はノーストレス状態。
しかしながら明日から地域の親善陸上大会へ向けての練習がある事を思い出して、1学期まで履いていた24.5cmのスニーカーを履かせてみました。

「ギリ大丈夫!!(^▽^) 」

とは言っているものの明らかに外から見るときつそうです…
嫁さんの実家から貰っていた26cmの靴があったのでそれを履かせてみると

「あ、丁度良い!!(^^)」

と言うので、念のために指先がどの辺にあるのか確かめてみたら…

ホントに丁度良かったです!\((;◎_◎)/

自分も子供の頃、夏休み中にに25cmをすっ飛ばして2学期に26cmにステップアップした事がありましたが、まさか長男も同じ事になるとは思いませんでした!( ̄▽ ̄;)



父が逝った日

2004年5月22日 父が他界しました。
秋から体調を崩していたのですが持病の糖尿病が進行したのだとばかり思っていたのですが、検査してみると肺癌で既に手の着けようがない状況でした。
当時の詳細を母が民宿をしていた時のホームページで手記として残していたのでそのまま転載します。

<潔いおじちゃんの死>

「この人にこんな強さがあったのか?」と、ただ驚いたおじちゃんの死に方でした。
モルヒネをほとんど使わず、お灸とボルタレンで痛みを止める事が出来たので、意識は正常でしっかりしていました。
声が出なくなってからも口の動きで話す事は出来たし、耳はしっかり聞こえていたので、話かけも正常に考えて答えてくれていましたので、本人も周りにいる人も意志の疎通が出来、思い残す事無くお互いを労りあい感謝しながら最期の時を過ごす事ができました。
最期の言葉は「元気で、仲良く」でした。
全部話終えると自ら酸素吸入をはずし、筋力がなくなって開きっぱなしに成っていた両瞼を渾身の力で閉じ手を胸に組み後は、口をきいてくれませんでした。
それが9時頃、隣で私は点滴を受けていました。
朝、往診してくれた先生は、血圧が90-60だから夕方くらいまでは、もつでしょうといってくれましたが、私の点滴が終わり、見舞いにきてくれていた兄と従姉妹と3人でお茶を飲みながら話していると午前11時5分頃、1回目の呼吸停止、それから何回か心肺ともに吹き返しを繰り返し、鼓動と呼吸がほとんど同時でしたので、鬱血もおこらず本当に綺麗な死に顔でした。
午前11時25分、末娘が会社から駆けつけるのを待って最期の息をひきとりました。


こんな逝き方、マネできないよな~( ̄▽ ̄;)
鍛冶職人だった父は最後まで仕事をする事を諦めず枕元に作業着をおいていました。



居なくなってから感じる事。

「ウチの親父はスゲーヤツだったなぁ…( ̄▽ ̄;)」

勝ち逃げされた気分です。越えようにも越える相手がもういません。イメージの中では常に絶頂期…壁、デカ過ぎです( ̄▽ ̄;)。

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困った男

※今回の話は状況的に重苦しいですが、今では笑い話です。(^^)

父は肺ガンで発見したときは既に手遅れの状態でした。家族の意向もあり、家で最後まで看取りました。


…と、この話がどうやったら笑話に展開していくんですか???(°▽°;)

って思うでしょ?(笑)
塩田を侮ってはいけません!( ̄▽ ̄;)
父が他界する数日前から、執拗なメールの嵐です。

「俺、いまラグビーに凝ってるんだ!ラグビーやらない?」

という内容のメール。塩田の言う「凝ってる」とは決して実践している訳ではありません!(笑)
長いつき合いで熟知しているのですが、大抵はそれに関連するTVだとか、マンガだとかに触発されて言っているのです。
案の定…

「この間、TVでスクールウォーズのシーンが流れてさぁ~(あ、ここで脳内BGMに麻倉未稀さんの”ヒーロー”を流してやってくださいな)…あーやりてーなぁ~ラグビー!!」

という追加補足のメール。勿論、今の状況では塩田の相手をしていられる訳もありません!なので…

無視!!m9( ・`ω・´)

放置しておきました。その間にも父の状況は悪化の一途…そんな中、メールの返事が来ないからと電話をよこしてきた塩田!(_△_;)

「なぁ~ラグビーやろうてぇ~」

「うるせー!!今、そういう状況じゃねーんだよ!!(-_-#) 」

…と、マジギレ状態で電話を切りました。
今思うと「困ったヤツだ…( ̄▽ ̄;)」と思いつつも笑い話の一つになっています。

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せめてもの親孝行

連休が終わり民宿の営業が一段落ついた5月10日。
子供夫婦が企画して父と母を囲んで一席設けました。
当然の事ながら何処かへ行けるような元気は既に無い為、自宅で行いました。
この翌日、父は遂に寝たきりになりました。

農耕具の鍛冶職人だった父は、前の年の秋まで翌年の春に出荷するための鍬を作り置いていたのですが、最後の杖の部分を取り付けていませんでした。
その残った鍬をbe-freeが聞きながら仕上げて出荷するところまで出来ました。
恐らく望んでいたであろう代継ぎ…真似事ではありますが叶えてあげられたと思います。

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ピグモン2

ピグモンくんの続編。
ある日の夕方。その日の作業も一段落したのでbe-freeの他、現場にいた数人で清掃をしていました。
そこへ自分の作業をやっと(be-freeが予定していた作業時間を大幅に超えて)終えたピグモンくんが来て言いました。

「何をしましょうか?」

…(-_-#)

「みんな何してる?」

「………。」

「掃除じゃね?ヾ(- -;)」

目の前の簡単な状況を判断出来ないと困ります( ̄_ ̄|||) …
帰宅して息子に聞きました。

「なぁ、もし周りのみんなが掃除していたらお前はどうする?」

「掃除するでしょ?」

その言葉を聞いて安心しました(笑)。

突然の宣告

3月の中旬。
秋頃から急に体調が思わしくない父を母が検査へ連れていきました。
今時は血液検査だけで大まかなこと分かってしまうんですね。
癌による余命宣告を受けました。

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火事だ!出動!!

2月も半ばを過ぎたある日の夕方。
緊急連絡が入りました。消防団出動です。
火災現場は隣の地域らしく応援の2次出動です。
近くまで行って、積載ポンプ車を降りて火災現場に向かうbe-free…
段々と見覚えのある家に近づいて行きます。
で、着いた火災現場は…

母の実家!!(°▽°;)

まさか身内の家の火災に出動するとは思いもよりませんでした。
火災は2時間後に鎮火して応援部隊だったbe-free達も撤収となりました。
消防小屋まで戻って解散の指示を出すbe-free。

「えーと、皆さんはお疲れさまでした。今日はゆっくり休んでください。俺は…また出直して行ってきます( ̄▽ ̄;)。」

翌日から数日間は、後片づけの手伝いに追われたのでした。
で、出火原因はというと…

伯父さんの豆炭コタツが原因でした。

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2代目候補

キャサリンが他界して4日後の事でした。
何気なく立ち寄ったペットショップに…



いました。2代目が!!
退職金で血統書付きのメインクーンが2代目を襲名することになったのは、それから約2週間後の3月4日の事です。


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墓参はどこに?

お盆前の話です。
お昼休み中にbe-freeが網野くんに聞きました。

「13日は父ちゃんの所へ墓参りに行くのか?」

「はい!(^▽^) 」

網野くんのお父さんは10年以上前に他界しており今の所、網野家のお墓にはお父さんしか入っていません。
所で、田舎の方へ行けば行くほどなのでしょうか、お墓が希に家の軒先や田んぼなどの中にあったりましす。網野くんが住んでいる地域はそういった感じの山間部なので、その辺の意味も含めて聞きました。

「お前ん家の墓って墓地にあるの?」

「いや!ない!!」

「じゃあ、家の裏とかにあるのか?」

「え?(・_・)…あっち」

「…あっちじゃわかんねーよ!ヾ(- -;)」

「○○(隣の集落)の方!」

「ふ~ん。そっちの方にお前ん家の土地とかがあるんだ?」

「無い!」

「(-_-#)…じゃ、他人の土地に墓があるのか?」

「いや、無い!!」

「じゃあ、何処にあるんだよ」

「墓場!」

墓場って久しぶりに聞いたな…(苦笑)

「墓場も墓地も一緒だろ?」

「え?墓場のこと墓地っていうの?」

ぷっ!!

このやり取りを横で聞いていたピグモンくんがお茶を吹きました(笑)。

「ほら、ピグモンくんが鼻からお茶出しそうになってんじゃんか(^▽^) 」

猫の寝姿

かれこれ20年ほど猫とお付き合いしていて今は3代目となりましたが



初代キャサリン
時々、無防備な寝方をしていました。



2代目キャサリン
お腹を出して寝るような事は殆どありませんでした。



3代目キャサリン
一体、何考えているんでしょう…( ̄▽ ̄;)