爆熱!ゴッドフィンガー -30ページ目

中越地震4

車中泊する事、2日。肉体的精神的疲労と降り始めた雨により、所々でひび割れた目の前の山の斜面が何時地滑りを起こしてもおかしくない状況になり、隣の地区に住んでいる姉夫婦の所へ避難する事にしました。

実はこの時、嫁さん妊娠中。

何でもない時からお腹の張りがあり大変なのに更に悪化し流産の可能性も否めない状況になりました。
そこへ27日に震度5の大きな余震です。震度5クラスの地震になると揺れ方が半端じゃありません。職場の流し台半分くらい張った水が「バシャバシャ」とこぼれてしまいます。
これではマズイ…
答えは直ぐに出ました

「実家のある新潟市への脱出」

問題はルート。当然、関越道及び国道17号は不通。
一般道で塩沢から柏崎へ抜けるルートはあるものの、大きな余震があった直後だけに道中に不安がある。
結果、遠回りとなるものの関越道を逆走~上信越道~北陸道で新潟へという事になりました。総距離約500kmです。
非常時下の為、弁当業の仕事もそんなには休むわけにもいかず、肉体的疲労を考慮して帰りは臨時開設していた新潟~羽田線の空路~新幹線で越後湯沢へ戻る…という強行軍となりました。
27日の午後8時、関越道湯沢インターから逆走して群馬へ…幸いな事にいつもならグズるはずのムーはすぐに寝てくれました。
嫁さんの体の事もあるので寄れる限りのSAには立ち寄りつつ、夜通し走り続け午前2時頃ようやく新潟県内へ舞い戻ってきました。
長野県内に入り、自分達以外は殆どが大型トラック。方やこちらはリッターカー。
普通に走っていても怖かったです。(苦笑)
更には浅間山の辺りまではちゃんと覚えていますがそれから新潟までの間は記憶が曖昧です。(危ねぇ~)
流石にヤバいと思い仮眠をとりました。
更に走り続けて新潟に着いたのは朝の5時頃でした。

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中越地震3

be-freeの会社は、日曜をはさんで25日には幸い被害も少なかったので仕事再開となりました。朝礼で

「体調の悪い人?」

という問いが常時あります。

「殆ど眠れずに体がフラフラです」

という人がいて、そう言うと

「そんなのは、誰だってそうだ!」

と切り捨てられてしまいました。こんな時ですから励まし合って働きたいと自分では思いました。
以前は一応、自分も人の上司でした。ですので、自分なら

「こんな時ですから注意も散漫になりがちです。大変だと思いますが、更に怪我の無いように気を付けて作業に当たって下さい」

と言ったと思います。
10月26日、混乱の中仕事を続けていました。
そんな中、弁当の納品先の対策本部筋から

「本日、午後頃に大きな地震があるかもしれない」

という情報が入ってきました。
冷静でいられない時なので正常な判断も出来ずに只、その情報に踊らされて怯えていました。
今にして思えば全く根拠のない情報だったと思うのですが、誰もがそんな判断すら出来ずにいました。結果的に、翌27日に大きな余震があったのですが…

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中越地震2

その日は、近くの駐車場で車中泊する事にしました。
近所の人も集まっています。相変わらず余震は続いていて「ゴー」という山鳴りがした後、「グツン」という横揺れがきます。
しばらくすると、頭上をヘリコプターの編隊が小千谷方面へ向けて飛んでいきました。

「小千谷はどうなっているのかな…」

と思いながら見上げていたのを覚えています。
殆ど眠れないまま朝になりました。こんな朝でも新聞は、ちゃんと来たのには少しびっくりです。ラジオは常に聴いてはいましたが、頭では半分くらいしか理解できていません。落ち着いて活字で読む事で、「凄い事になったなぁ~」と、やっと事情が理解できた気がしました。
興奮状態が続いていたせいでしょうか?足がガクガクしていて、余震なのかも判断できないでいました。
明るくなったので家に戻ってみると食器棚の戸が外れて食器が割れて散乱していました。2階の部屋のTVは全部落下、乾燥機を上に載せた洗濯機もひっくり返りそうになっています。
一番ビックリしたのは、部屋にある100kg以上はあろうピアノが見事にズレていた事。これだけ重い物がこんなに動くなんて…
家内を片づけようとした時、また「ゴー」という山鳴りです。走って屋外に逃げました。昨日は「安全」と思ってあえて出なかった家ですが、新聞で倒壊した家屋があるという情報を得ると

「本当にこの家は大丈夫なんだろうか?」

という疑問と共に恐怖感が沸いてきて、屋内に止まっていられなくなりました。
比較的、被害の少なかった姉妹や親戚の人が来てくれて、やっと家内の片づけが出来ました。

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中越地震1


今回から数回に渡って中越地震の記録を綴ります。コレは当時、民宿をしていた頃のホームページで綴られていたモノを再編しています。


2004年10月23日 午後5時56分。

仕事から帰宅して、座敷のマッサージ機に座っていると「ズドン」という下から突き上げられた様な縦揺れ。
即座に「地震」と分かりました。
自室には、当時1歳10ヶ月のムーが1人遊びしていました。
嫁さんとダッシュで自室に行きました。部屋に入った瞬間から今度は大きな横揺れになりました。
ムーを抱え上げた直後にそこへ24型のテレビが落ちてきました。

正に間一髪です。

物であふれている自室は危険なので廊下へと避難し、情報収集しようと思いました。この時は関東地区の直下型地震だと思っていましたが、TVを付けた途端、停電。
まさか震源が直線距離で20kmもないであろう所(所々、蛇行している国道17号線を走っても25km位ですから)だとは思っていませんでした。訳も分からず家の廊下に大人3人でムーを取り囲んで居ると次々に余震の連続です。そんな中、常連のお客さんからの電話で小千谷が震度6強と知らされました。後で発表された「激震ゾーン」。自分の住んでいる所は、地図で見るとほぼこの延長線上にあります。
be-freeの住んでいる地区の一部は、元々川だったという地盤の弱さもあり、報道以上に揺れたし被害もありました。(家屋を取り壊した家もあります)
be-freeの家は、阪神大震災以降に建てた家だったので、耐震性充分の構造だったのと、非常電源が作動したお陰で家の中でも明るかった為、子供の身の回りの服などの避難準備をする事ができました。
そうこしている所に、3回目の大きな揺れ。これが一番の揺れでした。
2回目までは、

「外に出ようかどうしようか?」

と思案していましたが、流石に身の危険を感じた事と地元消防団の避難指示で本震から約45分後に外へ避難しました。

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新たな職場

どうしようもない常務のいる会社を辞めて、10月1日から新たな職場に行きはじめました。
今度は簡単に言ってしまうと「弁当屋」です。
この会社も一度は面接をさせてもらったのですが、条件面で折り合わず一度は断った所でした。
業務拡張により若干名の募集が出ていたので、もう一度応募させてもらいました。
お昼時には各企業へ弁当が届いていなければならないので兎に角、時間との勝負です。
そんなドタバタ感の中、3週間が過ぎていました。
2004年10月。平成の大合併によりbe-freeの住んでいる地域や職場のある地域は次々に新しい自治体へ再編されていきます。その合併前の閉村式がその週の日曜日に行われる為、準備を着々と進めていたのですが…

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ガンダムワールド

先週の日曜日(9月1日)に新潟市内で開催されていたガンダムワールドへ行ってきました。
夏休み中は他のイベントで行くことが出来なかったのですが、何とか最終日に行けて良かったです。(^▽^) 



いきなり1/1のガンダムヘッドがお出迎え。



続いてシャア専用ザク

今回はシャアの特集でした。







1/10スケールの歴代愛機が並んでいました。
(ゲルググとリックディアスはなかったです)


サザビーと並んでνガンダムもありました。


ユニコーンガンダム
この構図で撮ると1/10でも迫力がでます!


1/144スケールのジオラマもありました。


この機体数をみると「やっぱ量産型だよなぁ~」と思ってしまいます(^▽^) 

困った常務

最初の給与振り込みの時に余りにも当初の採用条件とかけ離れていたので会社側に聞いてみると

「じゃあ、辞めますか?」

と三行半を突きつけられて結局、1ヶ月半で離職することになったbe-free。
その後、次の会社に就職して

「前の会社から源泉徴収の証明を発行してもらって下さい」

と言われて、お願いをしに行った時の話。
離職時に通常は、この「源泉徴収の証明」は発行してもらえるのが当たり前なんですが発行してもらえませんでした。なので改めてお願いすると…

「源泉徴収は年末に一括してパソコンで発行しているのでできません」

というお粗末な返答。手書きでも良いのでと言ったら

「分かりました」

と言ったので一安心していたのですが…いつになっても発行してくれません。
こういう時は、証拠が残るようにと書面を作りFAXを流しました。で、翌日。電話が常務から来ました。be-freeは既に次の仕事に就いているので不在だったので、嫁さんが対応してくれたのですが…

「何か、FAXみたいなのが来てるんですが…」

と、相も変わらず天然ボケ丸出しの常務。この時、嫁さんも瞬時に

こいつ馬鹿じゃん!?\((;◎_◎)/

と思ったそうです。

「書面に書いてある通り、早急に源泉徴収を発行して頂きたいのですが…」

「源泉徴収は年末に一括してパソコンで発行しているのでできません」

又、同じ事ほざいたらしい!!

この女、真性の馬鹿だ!!(°▽°;)
(嫁さんの心の叫び)

で、一連の話は嫁さんにもしていたので

「手書きでいいので」

という話をまた一から話してもらって、やっと発行してもらったのでした。
一族経営は、良くないって(^_^;)…。人が育たない…

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また離職しました。

いざ働きはじめた会社でしたが、実際に現場で働いてみると色んな所が直ぐに見えてきました。

兎に角、基本が×!

衛生面のマニュアルはしっかりしているのに工業廃水の浄化が殆ど皆無。
社屋の周辺は、鼻が曲がるほどの臭さです。
丁度、夏場の8~9月だったので、効果倍増です!
帰宅時に車に乗ると…吐き気を催す位の悪臭が車内に漂ってしまいます。
衛生担当者が改善要求を上申していましたが

「そんな所にかける経費は無い!」

と、あっさり却下されていました。

「取引先の人が来社したら、一発で取引中止だろ!?(; ̄Д ̄)」

と、誰もが思っていました。が、どーにもなりません。経営陣は身内で固めているので、常に現状維持が基本路線の様でした。
不満を漏らせば、即

「じゃ、どうしますか?辞めますか?」

となってしまいます。なので、従業員の出入りも頻繁でした。
会社の考えはそれぞれでしょうが、この会社は完全に従業員は「人財(財産)」ではなく「人材(材料・道具)」という考えでした。
なので引き留めも一切ないと聞きました。be-freeが面接した総務の人が入社した時には退社していて面接時に聞いていた就労条件が全く違っているという有様です。
結局、自分もこれが原因で離職する事になりましたが、最終的な引き金は経理担当の取締役常務の一言。

「どーせ、大して仕事もできないでしょ?ヽ(´'`)ノ」

…は?!(-_-#) あんたそれ言ったら駄目だよ、誰だって辞めるって!!

更に、この常務の馬鹿な話は続きます。(苦笑)

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聞き違い

昼休みの雑談中の出来事。パートリーダーの田島さんが

「朝出かけ際の忙しい中『足つぼ訪問マッサージ』の無料おためしキャンペーンの勧誘電話がかかってきた」

という話をして、キャッチセールスは迷惑だという話で決着するはずでした。
それを一通り聞いていた真下さん(60過ぎのおばさん)のとんでもないトンチンカンな発言で一転、大爆笑になってしまいました。(ちなみにこの真下さんは、普段からトンチンカンな発言をしていました。)

「なんだい?今時は、そんな所も揉んでくれるんかい?(^^)」

「はぁ~?真下さん、どこを揉むかなんて知らないよ~(-_-#) 」

「さっき言ったでしょ? 『足つぼ肛門マッサージ』って…(^▽^) 」

真下さん、マジで天然です!

…つーか、どんなマッサージなんじゃ!?ヾ(^▽^;)

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検便の悲劇

※注意 お食事中の方には、大変申し訳ございません!( ̄▽ ̄;)

新たに勤めはじめた会社では、毎月検便が実施されていました。で、ある月の検便の締切日の出来事…
衛生担当の高内君が、顔を引きつらせてやってきました。

「勘弁してくれ…( ̄▽ ̄;)」

「どうしたの!?(°▽°;)」

の問いにも、初めは答えることもなく何やら凹んでいる様子…ようやく白状したその出来事とは…

検便袋からう○こが漏れている!!(°д°;;) 

…との事。敢えて誰だかは聞きませんでしたが

「俺からは、誰だなんて言えない!!( ̄▽ ̄;)」

等と自分から宣言する始末!(笑)
結局、所有者?(笑)の捜索はされることなく、高内君は保険衛生局に溢れた検便を持っていったらしい…( ̄Д ̄;) 

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