爆熱!ゴッドフィンガー -29ページ目

米原の受難1

時系列的には米ちゃんが結婚する前の話です。

ある夜の事。米ちゃんはヤッチンと釣りに行こうと思い、ヤッチンの家まで迎えに行きました。すると…

塩田出没!(_△_;)
(出没って…と思うでしょうが、我々の中では「出没」という表現がピッタリです)

一緒に行くという塩田に対して

「絶対に途中で帰る様な事を言わない」

という約束で(かなり念を押した)渋々同行させて海に到着!

しかし!!

着いた途端に

「もう帰ろうて~」

その場で揉めたが結局帰宅…釣竿出す事もなく只のドライブになりました。

確かに途中ではない…(笑)

でもね!! …

さすが塩田…( ̄▽ ̄;)

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見事、騙された!!

ここ数日、旧ブログを読み返してネタの書き忘れを調べていると、結構と書き忘れているものです。(なので時系列が遡っていたりします)

結婚したての頃の話。
タケの計らいでタケ夫妻と自分達夫妻の飲み会を設けてもらいました。

「予約は磯野波平で入れてあるから(^^)」

そういうタケの言葉を素直にとってしまった、純朴な?be-free!!
店に着いて、何の迷いもなく

「予約していた磯野波平ですが…」

「は?(°▽°;)」

「あ、いや…予約していた竹幡ですが( ̄▽ ̄;)…」

店員「あ、こちらです。どーぞ!(^^)」

くそ!!まんまとタケにやられてしまったゼ!!(苦笑)

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仮面ライダー発見!

昨日、新潟県内某所で仮面ライダーとすれ違いました。
新潟では有名な話ですが、実際に目撃したのは初めてです!



ネットで調べたらありましたよ~

幸運を呼ぶ男?新潟を走る『仮面ライダー』

暖かい贈り物

中越地震の前の話。
ある日の夕方のことです。嫁さんがムーをお風呂に入れて、ムーだけ先にお風呂から上がり、婆ちゃん(be-free母)に預けました。
丁度その時、婆ちゃんは来客中。それも他界した爺ちゃん(be-free父)に生前、頼んでいた物を取りに来たらしい…

「何処にあるんだぁ~!!( ̄▽ ̄;)」

と、奮闘中でした。(頼まれた当人は、すでに他界。訳が分からない…)
そこへ、裸ポンチのムーくんの登場です。
パワーショベルのアームに見立てて腕を高々と上げ

「はーい、ババどーぞ!(^^)」

と言って何かを手渡しました。婆ちゃんは何の気もなく、手のひらでそれを受け取りました。すると、何やら生暖かい感触…。

!!( ̄Д ̄;) 

良く見たらムーのウンコでした(°▽°;)!

ふと廊下を見ると、風呂の入口から点々と、ムーのウンコが転がっているではありませんか!!…婆ちゃんはお客を待たせて、ウンコ始末に追われたのでした。婆ちゃん曰く

「育児や老人介護で、何度と無く糞の始末をしてきたが、直に手渡しされたのは初めてだ( ̄_ ̄|||) …」

との事です(^▽^笑)。

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ムーとジジの思い出話

ちょっと時系列的に戻りますが、ムーが1歳過ぎた頃の話。
哺乳瓶の乳首に開いている穴のサイズよりムーの飲む勢いが勝りすぎて

「う゛ぇ~!!(。☉・ ⊙。)」
(訳:こんなんチンタラ飲んでられねーよ!!)


とムーが泣いていたので、be-freeの父が

「おー、どうした?ミルクの出が悪いか?どれ哺乳瓶をジジに貸してみろ(^▽^) 」

と言いながら乳首の先をハサミで切ってあげました。
この行動、実は遡ること20数年程前にbe-freeがやってもらっていた事です。
be-freeは幼少期に哺乳瓶で牛乳を飲むことが止められず、結局は5歳頃まで人目を忍んで哺乳瓶で牛乳を飲んでおりました。
その光景がbe-freeの父には鮮明に残っていたのでしょう。5歳児向けに切った哺乳瓶の口のサイズだった為、1歳過ぎたばかりのムーにはがぶ飲み状態となり…

たちまち口から大洪水!(爆)

「う゛ぇ━━━━━━(。☉・ ⊙。)!!!」

更に号泣したムーでした。(苦笑)
それっきりbe-freeの父は哺乳瓶には手を出さなくなってしまいました。

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be-free家の2004年

12月10日まで弁当屋で働き、翌11日から前の年の年末まで働いていた職場に復帰しました。
それからは、がむしゃらに31日まで家でも会社でも働き続けました。
そんな中で何が大変かというと、会社と自宅の行き帰りです。
途中、トンネルがあるのですが地震で天井が崩落した為に交互通行となっています。何でもない時であれば自宅から会社までの片道25kmの道のりは40分もあれば充分なのですが、1時間半かかります。
まぁ、色々と会った2004年でした。思えば…

2月に母の実家が火災。
5月に父が他界。
7月に母の姉妹の嫁ぎ先が洪水。
10月に地震。

地震・雷・火事・親父

4種目制覇しました!(苦笑)

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中越地震8

災害時に感じた人の優しさ。

震災後、間もなくして開設していた民宿のHPの掲示板に色々な方々からお見舞いやアドバイスの書き込みがありました。中でも阪神大震災を経験した方からのアドバイスがとても有効でした。

「お椀にラップをして使えば、洗う手間がいらない」

「火事場泥棒のような空き巣被害が阪神では多発したので注意」

等々…

嫁さんは実家に避難している最中に近くの産科医院へ診察をして貰いに行った時に状況説明をしたら、そこの先生は

「大変な思いをしましたね」

と言って診察料をいただかなかったそうです。

数ヶ月が経った頃、地元の消防団の人との話をする機会があって(ちなみに自分も2004年春までは団員でした)

「地震後、数日間、消防小屋に詰めっぱなしで大変だったけど、地域の人達から差し入れとかもらったり激励されたりして”人の優しさ”に触れられたし、まだ地域性の良さがここには残っている、捨てたもんじゃないよ。こんな災害は、そうそう起こって欲しくないけど悪いことばかりでもない。」

という言葉が印象的でした。田舎だからこその出来事だと思います。

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中越地震7

地震から1ヶ月が過ぎた頃。去年まで働いていた小千谷の会社の情報を耳にすることがありました。

「よく知っている人達が、被災地のど真ん中で頑張っている。何とか力になれないものか?」

という思いが沸いてきました。
一方で現在、働いている職場でも少しづつ仕事を覚えてきているものの、自分の感覚とは異なる上司の言動…


「果たしてこのまま、ここにいていいのだろうか?」

という疑問。
色んな思いが交錯しました。それでも小千谷の事が気になり休みの日にお見舞いを持って訪れました。
そこには、復旧作業をしながらも頑張っているかつての同僚の姿がありました。
その姿を見て半ば心が決まりました。数日後、社長と話す機会を作ってもらい自分の思いをぶつけました。すると社長から

「今いる会社に迷惑にならない環境が整ったら、いつでも帰ってきて欲しい」

という温かい言葉でした。意を決し翌日、退職届を出しました。

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中越地震6

地震から10日後、be-freeの住んでいる地域が被災程度が軽い最前線の場所なので災害復旧の工事関係者が泊まらせてもらいたいと言ってきました。使えなくなっている上越新幹線の復旧工事の方たちです。
正に後方支援と言えるでしょう。断る理由などありませんでした。
災害地に行くので昼食は持参しなければなりませんし、災害現場へ行くにも普段なら30分もしないで行ける所が片道2時間の道のりな為、朝は6時には出発していました。それに間に合うように朝食とお弁当作りをしなければなりません。
be-freeと母2人では到底、出来るハズのないので急遽、嫁さんを呼び戻す事になりました。
幸い余震も頻度が少なくなっていた事と母胎も安定しつつあったので、今度は何とか復旧した高速道路と高速バスで新潟市まで迎えに行きました。
帰り道は、置いてきた嫁さんの車で被害が大きくなる長岡市の手前まで高速で戻り、以後はゆっくりと下道で帰ってきました。
途中、この地震で奇跡的に男の子が救出された現場近くに通りかかりました。そこには未だ行方不明の女の子とお母さんが生き埋めになっています。24時間体制でレスキューの人達が作業していました。TVの映像で見るのと実際に自分の目で見るのとでは衝撃が段違いです。
又、もう一日遅かったら人事ではなかった可能性があります。翌日に長岡へ買い物へ行く予定でした。帰路は必ずあの道を通っていました。もしかしたら、我が身に起きていたかも知れません…。

「早く見つかりますように…」

既に生存は絶望的でしたが、そう思わずにはいられませんでした。
それから工事業者の人達が泊まりに来て、朝4時から全力疾走の2ヶ月が始まりました。

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中越地震5

やっとやっと嫁さんと子供を新潟市内へ脱出させて、とんぼ返りしてきたbe-free。非常時な為、弁当業務も多忙を極めている中で我が儘を言わせてもらったので上司にお礼を言うと…

「飛行機で帰ってくるとはリッチだなぁヽ(´'`)ノ  フッ…」

と半分嫌味を言われた感じがしました。何か嫌~な感じです。非常時なので仕方ないのかも知れませんが、仮に内心はそうだとしても他人を労るという気遣いが全く感じられません。
被災して家が半壊している従業員に対しても

「何時から仕事に復帰出来る?」

と問い詰めたりしていました。又、大きな余震が起こる前日の「大地震情報」の時も上司が出した指示は


「とりあえず作業続行、地震がきた際は速やかに避難せよ」

でした。他の部署の人は、自宅に待避したらしいのに…

「この人の頭は、人命より仕事優先なんだなぁ~…」

と思いました。それもまた正しい選択なのかも知れませんが、自分の考えとは真逆でした。自分の中で何かがおかしい…という思いが沸いてきたのでした。

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